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雑な反差別はやめよう

「ペドフィリア差別」なるものをめぐってカオスなことになっている今日このごろですが

差別についてすごい雑なことを言う人も多いので、軽くまとめておきます。


「少数派=差別されている」ではない

よくある誤解ですが、単純に数が少ないことをもって差別されているとするのは間違いです。
これを認めてしまうと「男性は女性より数が少ないので男性は差別されている」とか「場所によっては白人のほうが黒人より少ないので白人が差別されている」とか「金持ちは庶民から差別されている」とかそのような雑な議論を許すことになります。

「扱いに差がある=差別されている」ではない

例えば、保育園や小学校の先生など、「ペドフィリアだ」と公言したらクビになると思われる仕事はいくつか存在しますが、それは扱いに差をつけるだけの合理的な必要性のあることであり、差別ではありません。差別されているとするためには、扱いに差があることが不合理であることを説明できないといけません。

「ペドフィリアとチャイルド・マレスターは違う」という主張をするのであれば、むしろペドフィリアをチャイルド・マレスターにしないために、それらの仕事から遠ざけるのがベターだと判断するのは合理的です。


「悪口を言われる=差別されている」ではない

たとえばペケったーではしばしば「自民党議員は人殺しだ」とかいうような過剰気味の批判を見ることができますが、それをもって「自民党議員が差別されている」などとすることは不当です。差別はあくまでも構造上の問題であり、皆に悪口を言われている存在だから差別をされているなどとしてはなりません。

反差別を掲げている一部の人には「反差別=優しくする」みたいな誤解がしばしば見られますが、反差別とは、ときには差別をしているほうを強く糾弾する必要があるものであり、必ずしも優しくすることが反差別ではないです。


軽率に「AはBと同じだ」とするのはNG

LGBTがセックスモンスター扱いされるとのペドフィリアがセックスモンスター扱いされるのは似ていますが同じものではないです。それぞれにはそれぞれの理由があり、混ぜて話すようなものではありません。
例えば、「ゲイは保育園の先生をするべきではない」というのは不当な主張になりますが「ペドフィリアは保育園の先生をすべきではない」という主張は先程の議論で正当化されうるでしょう。
「似ている」とかそういうので何でもかんでも雑に語るのは、同化主義を招くものであり反差別を掲げるなら厳禁です。それは「BlackLivesMatterじゃなくてAllLivesMatterだ」とかいう主張が一見正しそうに見えるが実質的には黒人差別の訴えを無効化しているのと同様です。



差別の指摘は具体的にする

SNSではつねづね言ってるのですが、差別の指摘とは「マジョリティの場合ならこうだが、それがマイノリティの場合ならこうなる」というのを具体的に説明できなければ差別の指摘はできません。
例えば賃貸物件に「LGBT不可」が明記してあるとかいうのは言い逃れできない差別の事例でしょう。
しかし、「ペドフィリア不可」などとする賃貸物件がどこかにあるでしょうか。


差別の指摘は誰に対しても平等でなければならない

もし仮に「ペドフィリア差別」なるものがあるとして、それは「LGBT」だけがやっているものではないでしょう。

例えば「LGBTは過去に性欲のモンスターとして扱われてひどい差別を受けてきたのだから、ペドフィリアにたいして同じことをやるのはやめるべきだ」のような意見は一見するともっともらしく見えますが、この理屈をそのまま文字通りに受け取ると「LGBTだけはペドフィリアを批判するべきではない」となってしまいます。このように「LGBTだけがペドフィリア差別反対をしなければならない」という主張になってしまうとそれはもはや、LGBT差別です

冷静に考えればわかりますが、「LGBTが過去にひどい差別を受けてきたこと」と「ペドフィリアが今現在批判されていること」は独立した事象であり、なんの関係もありません。関係のないものを無理やりくっつけようとするのはまさにLGBT差別です。

LGBTはペドフィリア差別をしてはならないけどほかならオッケーなどとする合理的な理由はどこにも存在しません。

LGBTだけをターゲットにした「反ペドフィリア差別」はやめましょう。


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