選んだ職業、義務の仕事、ヨガブロック、Amazon配達。仕事は志事でありたいのだが・・・うーん。
一昨日、といっても2015年9月14日のこと。
Amazonで注文した個人事業者の超簡単経理が郵便受けに押し込まれていた。本の上部がよじれて傷んで新品なのに折れて価値が下がっていた。
これは郵便局員が無理矢理に郵便受けに入れたから起こった事故でありAmazonの落ち度ではない。
では、この傷んだ本・商品を郵便局にクレームとして電話するか?
妻曰く、「言っても謝って終わりだけやよ」
そうだ、別に謝ってほしくて郵便局に電話しようとしてるんじゃない。じゃぁいったい何がこのことで気に入らなかったのか?
この現象だけを見てはダメだ、もっと掘り下げてみよう。
ここから何かの隠れたメッセージや教訓、そして何かをつかまなくてはならないはずだ。
えっ?メッセージ?教訓?何かってナニ?
つまりこれからAmazonで本買うなってことか?
いやいやそうではないだろう。
しばらく妻が沈黙した後、こう答えた。
「この郵便局の配達員、仕事を嫌々やってるだけや」
そうか、そうなんだろうな、そうに違いない。そういうことにしておこう。みんなお金のため、生活のため、好きでもない仕事を我慢して毎日毎日やっているんだなぁ、ということにすれば辻褄があう、ということにしておこう。
今は仕事辞めていて、とりあえずは無職のポジションにいる自分は一生懸命耐えて仕事をやっている配達員を責められなくなった。
さかのぼること数時間前。
家から一番近い百貨店6Fでヨガブロックを売っているかと尋ねたら、
「それは店の名前ですか?」ときたもんだ。
ヨガマットも売っているからヨガブロックも知っているだろうと思って尋ねたのに意味不明な対応。ヨガブロックって聞いたことないのか?
その後、某スポーツ店で同じく「ヨガブロックって置いてますか」って店員に確認したら、トランシーバーでその店で一番詳しい人を呼んできてくれた。
だがしかし、その一番詳しいという店員もまた「ヨガブロックとはどういったものでしょうか?」だ。
つまりこれはこの店では取り扱っていないと言っているのと同じである。なぜに少しの商品知識も勉強していないのだろうか。
勉強していればすぐに分かるくらいのアイテムだと思うのだが、それはこちらの思い込みなのだろうか。
話は最初に戻るが、どの店員も配達員も、もしかしたらその仕事を好きでやったり誇りをもってやったりプロ意識を持ってやっていない・・・のではないかと今日出会った仕事人を見るとそう考えてしまう。
こうなるとさらに悪い方向に思考が向いてしまい、、、ただの飯のタネとして義務としてやっているのかと勘ぐってしまう、そしてそしてそう思ってしまう自分が悲しくなってきてしまった。
仕事してないのは自分やんか(涙)
今は無職の自分だからこれ以上、仕事している人を責める資格もないし、責めると自分を責めることと同じことだから、もう何も考えるのはやめよう。
色々あったが総じて今日はとても良い日だったのだ。事故なく怪我なく、無事過ごせた一日に感謝。