コロナ騒動とマスク問題は二者択一より「第三の選択」を模索せよ
私も半年近く経ちコロナ騒動には疲れました。でもそんな騒がしさから一歩、いや半歩は抜けているんじゃないかとも思っています。
あなたもコロナ騒動に影響されにくい世界に一緒に近づきませんか?
今回はコロナの真実に偏り過ぎて、マスク星人・コロナ信者に対して批判を繰り返し続ける人たちに向けたメッセージです。
コロナは存在しないと考えている人向けに書いています。コロナ対策で本気でマスクをし続けている人は読まないで下さい。
あなたはマスク派、それともノーマスク派?
そのどちらでもない選択肢を考えたことはありますか?
ネオ、これは私達ノーマスク賛成の世界で生きていて、特によく感じるのだが・・・
マスク批判ばかりに偏りすぎて、コロナ信者を誹謗中傷し始めている我々仲間が見受けられてきている。
しかしこの状況は支配者にとってもっとも喜ばしいシナリオになっていることに気付かないか?
そう、分断だ。分断工作だ。支配者層は我々を分断して統治している。AチームとBチームに分断させ、争わせどちらが勝っても負けても支配者の思惑になる筋書きだ。
なに?Bチームが勝てば支配者層に勝てるだと?
ではもっと教えてやろう。さらに上の見えない存在たちは我々の妬みや嫉妬、怒り、そして最大は不安と恐怖のエネルギーをエサとしているのだ。
そうなれば奴らの思うつぼだ。こちらは冷静な判断を見失い、あちらはそれをエサにますます力をつけてくる。状況がどんどんと不安と恐怖の結果になってくるぞ。
目指すべきは心の平安だ。
内側に平和の火を灯し続ければ、ひとりでは微々たるものでも、100人、1000人、1万人となれば、それはやがて大きな平和になっていく。
我々の肉体は映写機だ。内側フィルムの状態が外側に映し出されているようになっている。
・内側に不安があれば目の前に不安な出来事が映し出させる。
・内側に喜びがあれば目の前に喜べる出来事が映し出される。
ただこれだけ。
難しいのだ少しだけ伝えておこう。
内側が原因で目の前が結果ということだ。内側が最初で外側が二番目だ。
内から出てしまった結果をごちゃごちゃといじくり回しても、結果が出た後なのでどうしようもない。次に目の前に起こるのは今、内にある不安かもしれないし希望かもしれないのだ。
ただ精神世界と物質世界では次元の隔たりがあるので時間差がある。その時間差を待つことが出来ない人は・・・いやいやここから先は難しい話になるので別の機会にすることにしよう。
ホントにこれは難しいのでこんなところでサラッと話すような内容ではないのだが・・・。
ともかく、重要なことは目の前の状況に一喜一憂しないということだ。平常心を保ち、心の平和をどこまで保ち続けられるかというのが課題だ。
もう情報は揃っている、情報弱者は言い訳だ。
私のところにくる報告では、街中でも仕事場でも、マスク信者に合わすのがつらい、同調圧力に屈しそうになる、今まで付き合ってた人と会えなくなった、とこのような人が沢山出てきている。
さらには、不満や愚痴や怒り、将来の不安と、ありとあらゆるネガティブエネルギーをコントロールできない我々の仲間たちが、ストレスを発散するかのようにマスク反対のエビデンスをSNS上に出し続けている。
むろん、それはそれでいい。間違っていない。
しかしここまで情報が出揃えば後は各自の自己責任でいいのではないのか。いまさらに啓蒙目的だとしたら効果はどれほどなのか?
我々ノーマスク派も自分たちの情報が多すぎてうんざりしてきていないか?
だから今更に同じような情報を出さずとも既に賛成派、反対派、両方の主張はネット上に有り余るほど見つけられる。
情報弱者とは言わせないぞ。スマホでアマゾンで買物が出来るなら自分から情報を取りに行くことも出来るはずだ。
それをしないのは本人の自己責任だ。
そしてなぜ前回このような記事を書いたのかご存じか?
いや、読まなくていい。要約してやろう。
どんな人も、自分が見たいように見て、聞きたいように聞く。
自分の世界をより強固にするため、自分の世界に合う情報をワザと選び続けるということを書いたのだ。
ここでの流れでいうと、
・マスクをしたい人はマスクが必要な情報を探し続ける。
・マスクをしたくない人はマスクの弊害な情報を探し続ける。
ということなんだよ。
マスク賛成派からマスクを取ることは、我々ノーマスク派にマスクをつけろと言うのと同じなことに気付け。相手の立場になって考えろ。
放っておけ。お互いがお互いを尊重していけば良いのではないか。
しかしここでまたノーマスク派は言う。「本人はいいかもしれんが子供がかわいそうだ」と。
そう、そうなってくるとノーマスク派のネガティブエネルギーが出て、支配者層の狙い通りになってくるのだよ。
怒りを出す代わりに沈黙の抗議だってある
そうは思わないか?
黙ってマスクを外し続けてればいい
マスクを外す理由を延々と語るより、マスクを外す姿を見せ続けることも個人の抗議行動じゃないかと思う。
ここで問題が出てくる。マスク賛成派の攻撃だ。
こちらがおとなしくしていても、向こうはコロナがどうこうと言ってくるし、同調圧力も加わってかなり強敵だ。
そこで第三の選択肢が「戦わずして勝つ」こと。
マスクをしながらマスクをしない第三の選択
私は職場でマスクを義務化されている。
しかし、私は酸欠状態を防ぎながらマスクをするという選択肢を選んだ。
これだ。
このマスクは網目が荒すぎて呼吸が普通に出来る。酸欠には一切ならない。ただ口の周りがうっとおしいだけの問題だ。
このように「やってる感」が大事。
仕事以外の街中で「マスクはどうした」と揉めそうになったら、このマスクをサッとつけて「あい、すいません」とスタコラサッサと退散して、その場を離れてから外せばいい。
争えば争いが返ってくる。
批判すれば批判が返ってくる。
今は「スマホを埋め込まれたい」とか「早くワクチンが打ちたい」という人だって沢山いるのだ。
その人たちと争うのも諦めたほうがいいし、今から改宗させるも無理。それぞれの世界の住人として、分かれて生活すればいいんだ。
今は一緒の世界にいるように見えても、半年でこんなに変わったんだ。あと半年で一気に何かがどう変わっても不思議じゃない。完全に違う世界に住むようなことになるかもしれない。考えられないこともないだろう。
何が起こるか分からない世界。不安になれば不安なことが起こるよ。絶望し続ければ絶望が起こるよ。
今、目の前に見えている世界は内側の世界を映しだしたスクリーンでしかないんだよ。
このようなスピリチュアル的な話は理解してもらえないかもしれないが、
私達は現実の世界をそれぞれが都合よく創り出し共有しながら、恐怖を感じたり、悲しみ、痛み、喜び、憂い、体の機能、五感を使っている。
それぞれの信じる世界をそれぞれが体験しているだけ。あまりにリアルなのでついつい仮想現実と気付かない、目覚められずに夢中になっているだけなのだよ。
結論
コロナと戦うな、マスク論争と戦うな、戦わずして勝て。それが兵法の鉄則。
マスク賛成と反対のAチームBチーム、そのどちらかに所属するのではなく、両チームを観戦する支配者視点も加え、さらに世界を俯瞰せよ。
そして心の平安をどこまで保ち続けられるかが今後の課題。
誤解なきように言っておく。
第3の選択を選ぶのも選ばないのもAチームに所属するのもBチームに所属するも、全て自分の自由意志だ。
責任は全て自分に返ってくるのだから・・・。