『Winding Road』
頭の中にメロディが流れることって、ありますよね?
今から40年も前のことだ。高校卒業時には反対されたので二十歳になるまで待った。「車の免許を取りにいきます」自動車学校に申し込んでから報告した。わたしが何かしようとするたびに両親は反対する。やっと支配から開放されると思った。
講習の時間に適性検査の結果が発表された。「全員合格でしたが……」と前置きされた上で、わたしの名前が呼ばれた。
満員の教室。恐る恐る起立すると「『頭の中でいつも音楽が聞こえている』と言う欄に○がついていますが、間違えたンですよね?」と言われた。
いや、間違えたワケではなくて。聞こえるんで。え?わたし、普通じゃないの?
いつものように「はぁ」と返事した。別にどっちでもいい。「きっと精神疾患を見つけるための設問なんだろうな」とは思ってたけど。でも。
職業病?電子オルガンを教えていた。聴いたばかりの曲、いま練習している曲、生徒が弾きやすいように編曲している途中の曲、たいてい何かのメロディが浮かんでいた。
みんなもあるでしょ?たとえば何かのCMの曲なんだけど何だっけ?ぐるぐるする。わからなくて悔しいから、人にもスマホにも訊かずに一日中ぐるぐるする。
とりあえず車の免許は手にいれた。自分の世界が広がった気がした。これで北海道内どこへでも自分で行ける!教習所に貯金全部を使い果たしたので、車は買えないけど。仕事に向かうバスの中で、ひとりニヤニヤした。
わたしの道は真ん中に草のはえた土の道。曲がりくねった細い道。でも、それでいい。それがいい。昔は車で舗装道路を走ったこともあったのよ。でも速すぎてまわりの景色を楽しめなかった。そして車は途中で故障した。あ、人生の話です。
よく頭の中に、この曲が流れている。発売は2006年だが、わたしがCDを買ったのは何年もたってから。失恋の曲だけど歌詞よりもMVの映像に共感してしまった。
普通は「幻想的」とか「おとぎ話みたい」とか思うんだろうけど、わたしにはスゴく現実的だった。北海道でよく見るキタキツネとエゾタヌキ。そしてわたしは卯年うまれ。ウサギの皮を被ったおばさんで悪かったな。いや、そんな事はどうでもよくて。
わたしは一度死んでいる。
メンヘラをアピールするみたいであまり話したくはないのだが、書かないと伝わらない。
中2の時、なんでも思い通りにしようとする両親に我慢できず手首を切ろうと思った。死んだら思い知るかな。後悔するかな。ざまぁみろ。
真夜中に洗面所でカミソリを手にお湯を溜めていると、鏡に映った自分と目が合った。いつもなら目をそらすのに、あの時は違った。「本当にそれでいいの?」自分に問われた。
とたんに涙があふれてきた。両親に聞かれぬよう、声を殺してひとしきり泣いた。やっぱり死にたくない。わたしはまだ、自分としての人生を歩き始めてさえいない。
ウサギのお父さんが矢を放ったのは娘を守るためではない。自分が弱いからだ。娘の世界が広がっていくのが怖いのだ。自分の知らない世界へと娘が離れていくのを怖れているからだ。
そんなの愛情でも何でもない。
タヌキがキツネに背負われて去っていく時の、あの2匹の目が哀しい。ポルノファンとしては、お二人の貴重な瞬間をみられる嬉しいシーンなのだが、わたしはあの頃を思い出して堪らなくなる。昭仁さんの声とブルースハープ、晴一さんのギター、どこを聴いても泣く。
死ぬのをやめたあの時、自分と約束した。この先どんなことがあっても自分では死なない。まだ自分として生きていないのに自分で自分を殺すわけにはいかない。「自分」が確立したのかな?両親に反抗する日々が、あの時始まった。
ポルノグラフィティの『Winding Road』は、わたしのテーマソングだ。初めて聴いた頃には既におばさんになってたけど、頭の中に、いや、心の中にこの曲はずっと流れている。
あぁ。
タヌキさん。キツネさん。出会えてよかった。
いつもお世話になっております。
え?終わっちゃうの?
あー!失恋の曲だった。
でも最後のウサギちゃんの笑顔が救いです。
昭仁さんが作った時の曲の意図とは違うかもしれないけど、聴いた瞬間からは、もうこっちのモンだからねっ!
わたしはポルノグラフィティの『Winding Road』が大好きです。
あ、行っちゃう前に、しっぽ触らせて!
病気や事故で死ぬときは
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