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あたりまえ

当たり前ってよく聞く言葉でよく使う言葉
でも、よくよく考えると当たり前って何を基準に当たり前なんだろうか?

勉強出来て当たり前
絵が描けて当たり前
運動が出来て当たり前
仕事が出来て当たり前
家事が出来て当たり前
子育て出来て当たり前
食事が摂れて当たり前
眠れて当たり前

○○〜当たり前と言うが…はて?
それが出来ない人もいる。かく言う私は運動が苦手な上に食事や睡眠も不得意で心掛けないと忘れてしまうこともある。

どうしてこんな話をしたのかと言うと、当たり前が出来れば優れているという価値観に私はよくぶつけられる。
当たり前が出来て当然のように語られることが多々ある。すると、出来ない私は劣っているのかと、心がくすむのである。この悪循環は割と誰にでも良く起こることかなと…実は思っていたりする。

さて、この話をしたのだから、私はどうにか食して噛み砕いて飲み込めたということである。

それは、簡潔にいえば諦めである。
当たり前=価値観
ではないかと考えに至ったからだ。
価値観は千差万別、十人十色と…人それぞれである。当たり前とはその人にとっての価値観の中での当たり前なのである。
つまり、合わない時があって幾分おかくしないし、なんなら私の当たり前も合わない人がいておかしくないのだ。

他者の当たり前に合わせるのではなく、その当たり前と自分の当たり前の差を知り、寄り添えるところは寄り添えば良いし、合わなければ無理をして付き合う必要も無いと思う…と、私はこの当たり前の言う言葉は便利である分、取り扱い注意な代物だと考える。言葉というのは難しい。その根源を理解するのは時間がかかるし、何なら考えることも面倒だと思う人もいるだろう。

なぜ、私はこんなことを考えるのか?
人生はいつだって学びだからである。
学校が終わっても社会で学ぶことはあるし、人間関係もなんだかんだ学ぶことが多い。そう…人である以上学ぶ日々なのである。その学びの中、解決出来たこと…解決出来なくてもその過程は人を育む財産である。話が脱線した気がする…が、こんなこと考えては、それを文に起こすことが未だに苦手である。伝わっていたら幸いというところで…とりあえず、当たり前に囚われすぎに貴方らしく生きていくのが一番いいという話でした。
(急に終わらせるな…)


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