資料室#8:「対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件」 <ー 航空自衛隊、実は敵機に向かい実弾射撃の経験あり
今回は「対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件」について見て行きましょう。
ま、昔の航空自衛隊というか、日本は骨があったということですね。
「対ソ連軍領空侵犯機警告射撃事件」: 1987年12月9日に沖縄本島上空および沖永良部島・徳之島の日本領空を侵犯したソビエト連邦軍Tu-16偵察機に対し、航空自衛隊のF-4戦闘機が、自衛隊史上初となる警告射撃を行った事案です。
事件当日、ソ連軍Tu-16偵察機は、沖縄県那覇市の南約100kmの海上から領空侵犯を開始しました。航空自衛隊は、第204飛行隊のF-4EJ戦闘機2機をスクランブル発進させ、Tu-16機を追尾しました。
F-4EJ戦闘機は、Tu-16機に警告射撃を行い、Tu-16機は領空から退去しました。この事件は、冷戦下における日本とソ連の緊張関係を象徴する出来事となりました。
事件の詳細は以下のとおりです。
日時:1987年12月9日午前11時頃
場所:沖縄県那覇市の南約100kmの海上および沖永良部島・徳之島の上空
当事者:
ソビエト連邦軍:Tu-16偵察機
航空自衛隊:第204飛行隊のF-4EJ戦闘機2機
経過:
ソ連軍Tu-16偵察機が沖縄県那覇市の南約100kmの海上から領空侵犯を開始。
航空自衛隊は、第204飛行隊のF-4EJ戦闘機2機をスクランブル発進させ、Tu-16機を追尾。
F-4EJ戦闘機は、Tu-16機に警告射撃を行い、Tu-16機は領空から退去。
この事件を受けて、日本政府はソビエト連邦政府に抗議し、領空侵犯の再発防止を求めました。また、航空自衛隊は、領空侵犯への対応を強化するため、警告射撃の訓練を強化しました。
なお、この事件は、日本の防衛において重要なターニングポイントとなりました。それまで、航空自衛隊は、領空侵犯機に対して警告射撃を行う権限を有していませんでしたが、この事件を受けて、警告射撃を行うことが可能になりました。