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資料室#32: 「風船爆弾作戦」
今回は「風船爆弾」について見ていきましょう。
最近話題の「風船爆弾作戦」ですが、これは第二次世界大戦のときにすでに日本軍がいろいろやっていたもので、北朝鮮がウクライナでやろうとしているのはこの作戦のコピペですね。
以前、中国がアメリカ大陸を気球を横断させた事件がありましたが、米国人の頭には第二次世界大戦のときの「風船爆弾作戦」がちらほらよみがえったものあるとか...
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第二次世界大戦の風船爆弾?
第二次世界大戦末期、日本軍が極秘裏に進めた「風船爆弾」作戦。これは、アメリカ本土を攻撃するために開発された、ある意味で奇想天外な兵器でした。
風船爆弾とは?
風船爆弾は、直径10メートルほどの巨大な気球に爆弾や焼夷弾などを搭載し、ジェット気流に乗ってアメリカ本土まで飛ばすというものでした。日本から約9,000キロ離れたアメリカ本土に到達し、広範囲に被害を与えることを目的としていました。
風船爆弾の目的と背景
アメリカ本土への報復: 連日の空襲に苦しんでいた日本は、アメリカ本土に打撃を与えることで戦況を有利に転じさせようと考えました。
民間人への心理的な影響: 直接的な軍事目的だけでなく、アメリカ国民の士気をくじき、戦争継続の意欲を削ぐことも目的の一つでした。
奇襲作戦: 従来の兵器とは異なる奇抜な作戦で、アメリカ軍を攪乱しようという意図も含まれていました。
風船爆弾の製造と放球
大規模な製造: 風船爆弾の製造には、多くの労働力が必要とされました。学徒動員された女学生たちが、昼夜を問わず過酷な労働に従事し、爆弾を製造しました。
多数の放球: 1944年11月から約半年間、数千発の風船爆弾が日本から放球されました。
気象条件への依存: 風船爆弾の航路は、ジェット気流の動きに大きく左右されました。気象条件が作戦の成否を大きく左右する、非常にリスクの高い作戦でした。
風船爆弾の被害
アメリカ本土での被害: アメリカ各地で風船爆弾が発見され、爆発によって死者が出ました。
日本国内での影響: 風船爆弾の製造には多くの資源と人手が費やされ、日本の戦況を悪化させる要因の一つとなりました。
戦後の影響: 戦後、風船爆弾の開発に関わった人々は、そのことを深く後悔し、平和の大切さを訴えるようになりました。
風船爆弾が語るもの
風船爆弾は、戦争の悲惨さやむなしさを象徴する存在です。科学技術を軍事目的に利用することの危険性、そして戦争がもたらす無辜の犠牲者など、多くの教訓を残しています。