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資料室(人名)#7: 「児玉誉士夫」 <ー 日本のフィクサーのチャンピョンの可能性、じつはデヴィ夫人とインドネシア大統領の結婚にも関係あり
今回は「児玉誉士夫」について見て行きましょう。
「児玉誉士夫(1911年2月18日 - 1984年1月17日)」: 日本の右翼運動家で、自称CIAエージェント。彼は戦争中、海軍航空本部のために物資調達を行い、終戦時までに蓄えた物資を占領期に売りさばいて莫大な利益を得ました。この豊富な資金を使って、戦後分裂状態にあった右翼を糾合し、鳩山一郎など大物政治家に政治資金を提供しました。彼は「政財界の黒幕」、「フィクサー」と呼ばれました。
児玉誉士夫は福島県出身で、7歳で母親を亡くし、8歳で朝鮮へ渡りました。その後、東京に戻り、鉄工場で働きましたが、12歳の時に関東大震災で父親を亡くしました。18歳となった1929年、右翼の赤尾敏(元衆院議員)のやっていた国粋主義団体「建国会」に入りました。
1941年11月、児玉が属した国粋大衆党を主宰する笹川良一の紹介で海軍省(海軍大臣は嶋田繁太郎)の外局である航空本部(本部長は山本五十六)より招かれました。ここから児玉は海軍航空本部のため航空機に必要な物資を調達する。
児玉誉士夫は、その後、政財界との関係を深め、「戦後政財界の黒幕」にのしあがりました。彼は、その頃にはもう、「大艦巨砲主義の海の時代は終わった。次は空だ」と思っていたと言われています。
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デヴィ夫人とインドネシア大統領と児玉氏の関係?
児玉誉士夫氏はデヴィ夫人(本名:根本七保子)とインドネシアのスカルノ元大統領との結婚に関与していました。
デヴィ夫人は、日本生まれでインドネシア国籍のタレントで、スカルノ元大統領の第3夫人です。彼女は19歳の時に、当時CIAエージェントとして暗躍していた「児玉誉士夫」の仲介で、親日派として知られているスカルノ元大統領の元に送り込まれ、1962年に「第3夫人」として正式に入籍しました。
児玉誉士夫氏は、「昭和のフィクサー」と呼ばれ、政財界の黒幕として活動していました。彼の関与により、デヴィ夫人はスカルノ元大統領との結婚を果たし、その後も彼女は世界的なセレブとして、また日本でのタレントとしても活躍しました。このように、児玉誉士夫氏はデヴィ夫人とスカルノ元大統領との結婚に大きな役割を果たしました。