「災害にも役立つ救急法」が普及を始めたキッカケ
どんなところでも人を助ける救急法=野外災害救急法は、アウトドアシーンだけではなく、大規模災害が起きた時の街中にもとても有効なファーストエイドです。今日はWMA Japanが成り立つキッカケになった「あの日」について少し回想してみたいと思います。
東日本大震災、その時…
2011年3月11日日本国民が忘れられない未曾有の大災害に見舞われました。このとき、北米に向けて出国準備を進める2人の男がいました。現WMA Japan代表理事の横堀勇と現北海道教育大学の濱谷弘志准教授です。彼らが空港にいた理由は、北米で行われる予定のWilderness Medical Associates Inetrnationalインストラクタートレーニングに参加するためでした。
さていよいよ旅立ちだ…という矢先に起こったこの災害。この時は初動から官民様々な人が現地に入り支援活動が行われてきました。当時既にWFRというプロフェッショナルレベルの野外災害救急法を心得ていた二人の心も揺さぶられますが、結果的に出国を決意。カナダへと旅立っていきました。
「今自分たちがすぐに現地へ向かえばこのスキルで数人の命は救えることに貢献できるかもしれない。でも一人ができることのキャパシティーなんてたかが知れている。WMAインストラクターになって帰ってくれば今後の救助の担い手をたくさん増やし、その可能性を何百倍にも膨らませられるのではないか…」横堀は当時の揺れる想いをこう回想しています。
現地にたどり着いた先では2人を待っていたのは、まさかのもう1名の日本人。それが現WMA Japanもう一人の代表理事、太田拓哉です。彼は元々カナダに住んでいて、ちょうどインストラクターを目指してこの講習会に参加していたのでした。
ここに偶然のめぐりあわせで集まった3名は、無事にトレーニングを修了し2011年3月に日本人で初めてのWMAインストラクターとして認定されました。
日本に帰国、そして10年…
晴れてインストラクターに就任した3名は日本国内で早速普及活動を開始しました。当時日本では冒険教育機関OBS(日本アウトワードバウンドスクール)が北米からインストラクターを招へいして開催をしいたため、ここに合流。日本語でレクチャーができるようになってきました。
これを機に、太田と横堀は現在のWMA Japanの前身にあたる Backcounrty Rescue Japanを設立。より強力にこの救急法を推進し始めます。招致開催を求める声も増え始め、「北海道・山形・群馬・東京・大坂・大分・屋久島」などコース招致のための地域団体も生まれていきました。
次いで英語だった教材類を太田・横堀を中心に翻訳作業を進め、マテリアルも全て日本語化が完成。2013年WMA Internationalから正式に日本ブランチとして認められ、WMA Japanと名乗ることになったのです。
日本人インストラクターによる、日本語でのWMAクラスが運用し始めました。
その後、徐々にインストラクターのメンバーも増え、時代の要請と共に2017年には3名の医療アドバイザーとしてこの世界に精通した医師・看護師のメンバーを迎え、現在は事務局入れて10名のスタッフでWMAJapanは成り立っています。
日本人インストラクターが誕生してから10年。
あの時、決意を新たにした横堀は年間40コース前後のWMAコースを中心になって開催指導し、現在2,500名近い野外災害救急員有資格者を輩出しています。
東日本大震災から10年。
日本全国の方々が節目の日に災害への備えを新たにされていることと思います。防災対策はグッズも大事ですが、いざとなったときに乗り切るための知恵や知識・技術もまた欠かせません。
知識技術は値段がつけられないものです。この記事を読んでいただいたみなさんにも、一緒に備え高めあえる仲間になりたいなと願っています。
日本国内では毎年どこかしらで自然災害の被害に遭われている方々がいらっしゃいます。全ての被災者の方にお見舞い申し上げます。
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