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巨星墜つとも魂滅びず

古巣新潟アルビレックスBBラビッツの前ヘッドコーチ、というよりは新潟県の選手育成に多大なる貢献をされた大滝和雄先生が亡くなられました。

「俺ラビッツやるんだよ」
と電話をいただいたのは私が新潟を離れてから3年後。
ものすごく驚きました。
もちろん70歳を超えていたこともありますが、何と言っても新潟県バスケットボール協会の現職の会長だったからです。

それでも
「指導者で始まり、指導者で終わりたい」と、会長という誰もがなれるわけではない要職を捨て、最後まで一指導者としての生き様を貫いたのでした。

私は競技畑の人間ではないので、先生のコーチングを受けたことはありません。先生のことを語るのであれば他に相応しい方がごまんといることでしょう。

それでも、亡くなる12日前の3月2日に病室からわざわざお電話をいただいたことは忘れられません。

今シーズンのWリーグはどうだ?
ラビッツはどうだ?
◯◯の◯◯さんは元気か?
いつ帰ってくるんだ?

最後の最後までバスケットの話でした。

もうすぐ退院できそうだから…ということなので、
「来シーズン新潟で試合やりますから、必ず来てください!」
とお伝えして電話を切りました。

「おお、新潟でやるんだな、わかった」

それが先生の最後の言葉になりました。


先生とのエピソードを1つだけ。

新潟のチームを離れてからは、中立な立場ということもありますが、やはり途中で辞めたバツの悪さもあったので、実は3年間チームに近づくことはしていませんでした。

それでも先生の「いいから来い」という命令により監督就任後の6月、チームの練習会場を訪問したのでした。

もはや3年が過ぎて、半分以上は知らない選手ばかりでしたし、リーグの人として距離を置いて眺めていました。

「ちょっと来い、紹介するから」
と、躊躇する私を選手のハドルの前に立たせて先生はこう言いました。

「いいか、知らないかもしれないが、この人がラビッツを作ったんだぞ。今はなんかリーグの偉い人になっちゃったけど笑 この人がいなかったらこのチームはないんだ」

私はチーム創立の仕事はしましたが、そんな風に紹介されるとは夢にも思いませんでした。
そして、変に意地を張って距離を置いていた自分を恥じました。

自分の仕事を誇り胸を張って、
それでも謙虚に。

新潟への思いも持ちつつも、この業界の全体最適にしっかりと向き合おうと思いました。
先生がくださったこの機会に心から感謝しています。  


そして最後にこのスタッツを。


現場で見ることが出来た大滝ラビッツ史上最高のゲームがこちら。

まるで学生のようなオールコートハードプレスに、とにかく隙あらば迷わずリングを狙う強気のオフェンス。
弱者の戦法と笑わば笑え。
点を多く取ればこちらの勝ちだ。

99得点は2011年からの歴史の中で堂々のチームハイ。

これがシーズン唯一の勝利でもありましたが、これまでの全敗を嘲笑うかのような、終わり良ければ全てよし、まるで優勝したかのような圧勝劇でした。


そして先生が旅立った3日後。
今シーズンの最終戦を迎えたラビッツはOTの末、格上のトヨタ紡織に見事に勝利し有終の美を飾りました。

もちろんシーズンを通じて頑張ってきた選手・スタッツは讃えられるべきですが、

私は先生の魂が最後に刈谷に立ち寄ったのではないかと信じずにはいられないのです。


日本全国どこに言っても
先生の名前を出せば
こんな畑違いの私でも
バスケット関係者は先生へのリスペクトと共に私のような者でも受け入れてくれます。

先生、しばらくはまだ先生の名前で仕事をさせて頂きますのでお許しください。

そして、
どうかゆっくりお休みください。

https://niigata-basketball.jp/information/%E3%80%8C%E8%A8%83%E5%A0%B1%E3%80%8D%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%A0%97%E5%B1%B1%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88

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