不安を感じてるひとは思考停止してる
自分で行動をおこすとき、恐怖はあるけどそれは自分の中で嫌なものじゃなくて、ヒリヒリワクワクするものだった
大衆、世間の意見に浮いてる時
ずっと不安を感じていた
3.4年になってから定期的に不安になることがあった
友達にあんたはいろんなことに追われてる時きゃぱおになるねといわれた
ほんまにその通り
後回しに後回しにしてしまうのは、感情に流されてその出来事に対して自分の意見がないからだ
そして全部中途半端になって、途中で投げ出してしまうんだ
やり切ることを本当にしなくなってしまった
楽な方に楽な方に。モヤモヤした気持ちを抱えたまま。
そしてその結果が大学四年生8月にして内定ゼロ、単位も残り40単位
でも私は別に悲観してなかった
だってこれが自分を悲しませる理由にはならんやん?て思ってた
でも心の中では行動してない自分に対して焦りもあって、言葉で誤魔化してた
危険なポジティブさはあんまりよくなかった
ポジティブは立ち向かう時につかうべきなのかも
私は救われたい一心でポジティブをつかった
就活も5月くらいのみんなが終わりかけてから始めた
いままで貯めてきた課題たちと一緒で本当にやばいギリギリになって始めた
特に意見もない、ぼんやり就活しなきゃーが頭に溢れてそこから進まず思考は停止
そして8月になった
焦りからずっと思考停止してて、何も考えられなくなった
毎日焦ってはいるけどどうしようで埋め尽くされる脳内。他のものの意見もなくなる
そしてYouTubeやSNSに逃げる。さらに思考は停止していった
親にも友達にとバイト先の人にもいろいろ心配してもらって言葉をかけてもらうけど、脳死している私の頭にはちゃんとはいってこなかった
気持ちも沈んでいってこんなことがなかった私は焦った。定期的にテストの前とか、履修登録の前にこうなることはわかってた。でもなぜかを探らなかった。気づいたらその期間は終わっていて、いつもの楽しい日常に戻ってたから
これも後回ししてる
焦って明るい言葉をTwitterで探して一時的に意見を得る。
その時は元気だけど結局人から借りた言葉の効力は自分が体現しない限りすぐ切れた
そしてやっとわたしが不安を感じてる時って思考停止してる時と思った。思考停止してしまうのは、マイナスな感情になった時意見がないから。
そういうときこそ意見を持たなきゃなのに
明るさは意思、悲しさは感情
感情にただながされて、何も考えたくなくなって意見がなくなる。
自分の意見は自分の幹
考えて自分の意見を出すことは、簡単に見えて難しい
思考停止でも過ごせてしまう日常
実家暮らしでごはんをつくってくれる家族も、遊びに誘ってくれるたくさんの友達も、4年続けてるバイトも
思考停止してれば、ぶっちゃけ楽なのかもしらない
でも不安だしくるしい。
思考停止で不安を抱えながら生きるなら、自分で選んだ道で恐怖を感じながらその恐怖も楽しみたい
みんなの意見に流れてわかりいった未来を生きるなら、自分の意見で、見えない未来をつくりたい
自分でなぜ?と考える。
思考停止して、大衆の概念に流されないで
いまの自分の行動パターンを疑ってみる
周りの環境を疑ってみる
意見することは恐怖
だけど恐怖は経験
自分を強くする