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【読書録】ミュージカルの歴史


1. 序文

この度、立命館大学文学部教授の宮本直美氏による『ミュージカルの歴史 - なぜ突然歌い出すのか』という新書を読了した。本書は新書という読みやすいフォーマットの中でミュージカルにおける歌の意義や歌と台詞の関係性について観点を絞って解説されており、非常に読みやすく勉強意欲をそそられる内容であったため、ここに読書録を記しておきたい。

2. 作品紹介

2-1. 書籍について

タイトル: 『ミュージカルの歴史 - なぜ突然歌い出すのか』
出版社: 中公新書
出版日: 2022年6月25日


2-2. 作者について

作者: 宮本直美 氏, 立命館大学文学部教授
専門は音楽社会学、文化社会学(著者略歴より)

2-3. 概要

副題「なぜ突然歌い出すのか」を問いの中心に据え、ミュージカルにおける音楽と台詞の関係性(著者の言う「言葉と音楽の美学的・社会学的問題」)を考察。
オペラから現代のミュージカル・プレイまでの音楽劇の発展過程において、社会的背景や音楽技術の発展を背景に、社会における音楽の需要や音楽劇の位置付けを踏まえながら、音楽劇における歌・音楽の位置づけを整理。過去の音楽劇の発展を丁寧に下地とした上で、音楽的観点からミュージカルという芸術形態の特徴を整理する。

3. 感想

3-1. 音楽の観点から見た本書の意義

筆者が序章で述べている通り、本書は音楽の歴史の観点から、ミュージカルという芸術のフォームを解析している。

音楽社会学を専門としてきた筆者が目指すのは、ヨーロッパの音楽史を背景として、「音楽の側から」ミュージカルを見ることである。(宮本 ⅵ)

宮本直美. ミュージカルの歴史. 東京: 中公新書, 2022 

私の知る限り、これまで日本でミュージカル解説書として出版されてきたのは、主に個々の作品に焦点を当てた解説書や、作品紹介的にミュージカルの歴史をようやくするものが主である(あるいは宝塚関連の書籍)。つまるところ、ミュージカルを娯楽として楽しんでいる人々向けの書籍はある程度バリエーションが見られるものの、芸術作品としてのミュージカルの特異性に焦点を当てて包括的に解説するような書籍はほとんど見られない。

この分野で著名な書籍といえば、本書でも触れられている『ドラマとしてのミュージカル(原題: Musical as Drama)』だろうが、内容はやや古く、また分量としても多いため一般的な読書にはやや重い印象がある。
読みやすく簡潔に新書形式でミュージカルという芸術の形態の特異性を解説しようとする本書は非常に貴重であり、自分が学生の時代にこの本があったならと思わされた。

また、第2章から第5章にかけて、オペラから現代ミュージカルに至る音楽劇の変遷がまとめられている。ミュージカルはその成立過程自体が議論に困らない話題であるが、西洋音楽史の背景をもとに、音楽と台詞の関係性や音楽劇に対する社会の需要について触れながら示される成立過程がわかりやすい。この部分だけでも入門書として一読の価値があると感じた。

3-2. 本書から得られた新たな視点

読書する中で興味深かったのは、ミュージカルにおけるアンダースコアの役割への着目である。

ミュージカルにおいて、突然歌い出す違和感を論じるにあたり、台詞パートと歌のパートの断絶に着目した著者は、その断絶をつなぐ音楽としてのアンダースコアに着目している。ここで言うアンダースコアとは、映画やドラマなどの映像作品であればBGMに当たる部分であり、物語世界の外から物語世界に対して影響を与え、劇効果を高める役割を持つ。

これまで私がミュージカルを見る上で礎となっていた考え方は、学生時代に読み込んだ『ドラマとしてのミュージカル』に示されている通り、ミュージカルには台本の次元と音楽の次元の2つの次元が存在する、というものである。
台本の次元は台詞により物語を前に進める役割を担い、歌の次元は台本の次元をストップさせ、キャラクターの内面の感情や動きを表現する。この2次元によってストレートプレイとは異なる表現の拡張が実現され、総合的な劇効果を演出するのがミュージカルであるという考え方である。

著者はここに、アンダースコアという「音楽の語りによって展開される次元 (宮本 12)」の存在を主張し、これこそが台詞と歌の断絶をつなぎ、次元の移動の違和感を減じながら、表現の幅を広げる役割を担っていると語る。

このアンダースコアによる「音楽の語り」という観点はこれまで私が意識していなかったものであり、新たな観点を得られた。
私は先日、本書の読了後に劇団四季の『アナと雪の女王』を観劇したのだが、アンダースコアによる表現拡張の効果を節々に感じることができた。アンダースコアによって過去の回想の世界が違和感なく差し込まれたり、台詞パートが展開されている間に徐々に迫り来るアンダースコアが歌のパートへの自然な接続や連続的な盛り上がりを作っていたり。

こうしたミュージカルを観る際の新しい視点を得られたことは、とても大きな収穫だった。

3-3. 「なぜ突然歌い出すのか」に対する現時点の考察

「なぜ突然歌い出すのか」という問い自体は、ミュージカルを専門とする書籍において、比較的よく語られる問いであると思う。様々な著者がこの1つの問いに対してそれぞれの専門性から提示した主張を読むのは非常に楽しいことであると同時に、わずかばかりであれ学問としてミュージカルを学んだ者としては、私なりの解釈を常に持っていたいものである。(ミュージカルに馴染みのない友人との会話の中で、ミュージカル好きを公言した暁には、「ミュージカルって突然歌い出すやつでしょ?変じゃない?」なんて質問が飛んでくることは日常茶飯事だからだ。)

私の解釈では、本書ではこの問いに対して2つの観点から結論が提示されている。1つ目は「音楽的に表現する蓋然性」、もう1つは「歌で表現することに対する社会的な需要」の観点である。
簡潔に要約すれば、表現者・受容者の視点で見ると、音楽はその機能や重層性により表現・伝達できる情報量を文章以上に拡張できることに価値があり、制作者・消費者の視点で見ると、ミュージカル世界の素晴らしいナンバーを劇場外で聴きたいニーズが存在することに価値がある、ということになるだろうか。

どちらも観点や内容に対する納得感は高い。特に後者の観点については、私にとって新しい視野であったが、数章を割いて音楽劇に対する社会的需要の変化が解説されているため、一貫性のある新しい学びが得られた感覚がある。

一方で、1人の受容者の観点でこの問いに対する現時点の解を残しておくのであれば、やはり突然歌い出す理由(あるいは意義)は、音楽により可能になる表現の拡張と、それによる観劇体験の拡大に求めたい。

歌としての次元を持つことで、ミュージカルは心理的な内面や、各キャラクター間の関係性の変化を表現する枠を持つことができる。本書で触れられていた通り、物語世界と背景音楽の世界が明確に分たれた映像作品とは異なり、物語、歌による内面表現、アンダースコアが有機的に連結し、境界線を曖昧にしながら進行することがミュージカルの特徴である。表現の形式が限定された舞台芸術において、このような複雑性な次元構成を成り立たせ、表現を拡張できることは、歌い出すことの大きな意義であると言えよう。

また音楽の次元の存在により、観劇後の体験もリッチなものになる。音楽を聴きながら劇を追体験することができれば、物語だけではなくリプライズやコード進行などの音楽構造、各次元間の位置付けや表現の特色など、幅広い視点や階層での劇考察が可能になる。これはミュージカルだからこその娯楽体験であり、他では得難い価値であると考える。

4. 終わりに

全体として、まずミュージカルという研究対象の芸術における位置付けと、ミュージカルを取り巻く学問領域における自身の関心領域の位置付けの2点において解像度を上げることが、本書を読んだとても大きな収穫だった。(筆者があとがきで示している通り、ミュージカルを研究したい大学生の入門書として非常に有益だろう。)

やはり私の中で関心があるのは、学生時代に『ドラマとしてのミュージカル』を読んで得たミュージカルという演劇フォームの特異性の視点であるため、この関心領域に対して、演劇学的な観点から深めていきたい。本書を読んでその思いがさらに強くなった。
今後の計画として、まずは『ドラマとしてのミュージカル』を再読し、ミュージカルにおける音楽と台本の役割の理解をさらに深めていきたい。また、オペラや音楽の観点を学習に取り入れることで、自分なりの「ミュージカルという芸術フォームの特異性」に迫る問いを形作りたいと考えている。


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