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【観劇録】ミュージカルSIX来日公演 -メタミュージカルの定義について


1. はじめに

2025年1月、EXシアター六本木で上演されたミュージカルSIXの来日公演を観劇した。各キャラクターの特色を前面に押し出したソロパートの連続の後に展開される一体感や臨場感に溢れるラストナンバーは感動的だった。
アカデミックな側面で興味深かったのは、作品全体を通じたダイレクトなメッセージ性や、随所に見られるメタ的な表現が見られたことである。そこで、この2つの視点を主軸として、観劇体験を振り返ることをつうじて、SIXの魅力を考察してみたい。

2. 大局的な考察(メッセージ駆動の設計)

まず、作品全体を俯瞰的に捉えると、SIX は非常に明確なメッセージのもとに構成された作品であると感じられた。本作のプロットを大局的にまとめると、ヘンリー8世の6人の妻たちが「誰が最も酷い扱いを受けたのか」をライブパフォーマンス形式で競い合う、というものである。

作品はこのコンセプトのもとで、6人の妻たちがそれぞれ歌とダンスを通じてヘンリー8世とのエピソードを語り、自身の悲劇性をアピールする。6人の妻たちはまるで1つのアイドルグループのように統一感のある華やかな衣装を見にまとっているものの、それぞれが個人的特徴を持つ異なる存在として明確に描かれる。彼女らは一人一人テーマカラーをもっており、ポップやR&B、ヒップホップなど、全員が異なる曲調で歌う。「大きなコンセプト」に基づき、断続的にナンバーが展開される構成は、非常にコンセプトミュージカル的であると言える。

本作のテーマは、ラストの楽曲「Six」に表されるように、ヘンリー8世側からのみ捉えられてきた歴史を再解釈し、影に追いやられていた6人の妻たちそれぞれが意思を持つ「個人」であるという点に焦点を当てることである。歴史において軽んじられてきた女性たちに光を当て、彼女らが尊重されるべき個人であることを提示する姿勢が、本作の根幹を成している。

観劇時に印象的であったのは、このメッセージが非常に直接的に提示される点である。

広く文学作品を見渡すと、作品は大きく「作品から解釈を委ねられるもの」と「作品から解釈を提示されるもの」に分類できる。ミュージカル作品を例にとると、Les Misérables(『レ・ミゼラブル』)やThe Phantom of the Opera(『オペラ座の怪人』)のようなメガミュージカル作品は前者に分類できる。これらは舞台上で物語を展開することに主眼を置いており、それをどのように解釈し、何を受け取るのかは需要者側に委ねられている。

一方でSIXでは、作品のメッセージがヘンリー8世の妻たちの口から直接語られる。彼女たち自身が、ヘンリー8世の妻たちという一面的な捉え方をされる現状に疑問を提示することを通じて、彼女たちが自らの理想的な解釈を歌うラストナンバー「Six」につながる。受容者は作品のメッセージをダイレクトに受け取ることができ、より日常生活における行動につながる実践的な観劇体験を得られる。このような傾向はRentやKinky Bootsなど、特に1990年代後半以降に成長した社会課題と密接した小・中規模ミュージカルに顕著な傾向であるように思われる。

改めて作品全体を俯瞰すると、SIXではラストシーンまでのすべての言動がこのメッセージへの布石となるよう構成されている。その意味で本作は、制作側に込められたメッセージをダイレクトに表現することに焦点を当てた、言わばMessage-drivenな作品であると言える。

3. 局所的な考察(メタ性のある表現)

作品を局所的に切り取った際、特に興味深かったのは、ミュージカルにおいて一般的に「メタ」とみなされるような発言が多く見られた点である。例えば、「こんなに高いキーで歌ったのだから私の勝ちだ」や「コーラスパートが多すぎて疲れてしまった」とったセリフが挙げられる。また、観客に向けて語りかける形式も多用されており、伝統的なミュージカルのフォームにおいては「メタ的」と捉えられる発話が随所に見られた。

ミュージカルにおけるメタ発言を分析の中心概念としては、「メタミュージカル」という分類コンセプトが存在し、これまでも研究者の注目を集めてきた。そこで、ここではメタミュージカルの概念を整理することを通じて、SIXにおけるメタ発言の意義について明らかにしたい。

2-1. メタミュージカルの定義

複数のウェブサイトや論文情報を集約し要約するリサーチAI(Gen spark)を用いると、種々の先行研究におけるメタミュージカルの定義は下記の通りである:

メタミュージカルとは、ミュージカルの形式を用いながら、その内容や構造自体を批評的に扱う作品を指します。具体的には、ミュージカルの要素(歌やダンス)を用いながら、演じられている物語やキャラクターの存在を意識させるような演出が特徴です。これは、観客に対して「これは演劇である」という認識を促す手法です。

メタミュージカルとして分類される作品としては、主に以下のような2000年代以降のコメディ作品が挙げられている。

  • Urinetown(『ユーリンタウン』)

  • Avenue Q(『アヴェニューQ』)

  • Producers(『プロデューサーズ』)

  • Spamalot (『スパマロット』)

藤原 麻優子による論文『「これはどんなミュージカルなの?」--メタミュージカル試論』では、メタミュージカルを構成する要素として、「自己参照性」と「自己言及性」の2点が挙げられている。これらの要素を簡潔にまとめると以下の通りである。

①自己参照性

他のミュージカル作品の演出やセリフを引用することで、観客に他の作品を想起させる手法。例として、Book of Mormon『ブック・オブ・モルモン』では、アフリカへ旅立つ主人公たちを見送るシーンにまるでThe Lion King(『ライオン・キング』)のような衣装を纏った役者が登場する。このようなパロディはメタミュージカルに見られる特徴の一つである。

②自己言及性

ミュージカル作品の内部で「ミュージカルの慣習や約束事に言及する」(藤原 39)表現。例えば、ブロードウェイでの成功を夢見る2人のプロデューサーを描いたProducers(『プロデューサーズ』)では、あえて酷いミュージカルを作ることで金儲けを企むMaxが、”We can Do it”という曲の中で、ブロードウェイで成功するための酷い作品の作り方5箇条を述べる。このようにミュージカルの慣習に対するブラックジョーク的な表現が見られるのもメタミュージカルの特徴である。

これらの表現を可能にする要素として演出上重要なのは、登場人物の過度な自意識である。例えば、Avenue Q(『アヴェニューQ』)ではソロを歌おうとするKate Monsterが邪魔をするTrekkie Monsterに対して、「私の歌を邪魔しているから終わるまで静かにしててくれない?(抄訳)("You are ruining my song… if you wouldn’t mind, please, being Quiet for a minute so I can finish?" (Whitty and Lopez 42))」と注意するシーンが見られる。ここにおいてKateはミュージカル作品内の登場人物でありながらも、自身がミュージカルという枠組みの中で歌うことに対して自覚的なのである。

藤原はこの自意識について以下の通り述べている。

これらの作品群には過度な自意識を備える登場人物たちを認めることができる。そしてこれらの登場人物たちのメタ意識は、なぜ歌っているのか、どんなミュージカルなのかという問いへとたどりつく。同様に、これらの作品は劇のプロセスによってもミュージカルをめぐる疑問を提出している。(藤原 41)

藤原 麻優子, 「これはどんなミュージカルなの?」--メタミュージカル試論, 西洋比較演劇研究, 2015, 15 巻, 1 号, p. 33-47, 公開日 2016/04/01

つまり、メタミュージカルでは、登場人物たちがミュージカルの形式に対して再帰的な自意識を持つことで、ミュージカルという芸術フォームそのものに対して批判的な態度を示すのである。

2-2. SIXにおけるメタ表現

このように整理すると、SIXにおいてみられるメタ発言は、一般的なメタミュージカルの定義とは大きく異なるようである。

確かに、自身の歌に対する発言(キーが高い)や、役回りに対する文句(コーラスが多い)、他の王妃の曲を遮る様子などは、一見メタ的な特性を持つ発言や言動に見える。しかし、これらはあくまで「ライブコンサートでパフォーマンスするヘンリー8世の妻たち」という役割設定の中で発せられる自然な表現である。そのため、自己参照性や自己言及性といった要素は厳密には見られない。また、登場人物は自身の属するミュージカル世界に対して過度な自意識を抱いているわけではない。

さらに、SIXにはメタミュージカルに見られるミュージカルという芸術フォームそのものに対する批判性も存在しない。むしろ、SIXで見られるメタ風の発言や観客に語りかける構造は、ライブコンサートにおいて至極自然な表現であるため、舞台構造を補強し、観客に対してライブ感を提供する役割を果たしているのだと考えられる。

2-3. SIXにおけるメタ風表現の意義

SIX におけるメタ的な発言は、ミュージカルという形式そのものに対する批判ではなく、観客との一体感や親近感を創出するための装置として機能している。これらの発言は、コンサートのライブパフォーマンス形式を基盤とする本作の構造において、観客が作品のメッセージをより受け入れやすい環境を形成する重要な役割を果たしていると考えられる。

1章で述べたとおり、本作をMessage-drivenな作品として捉えると、その目的は観客に「6人の王妃それぞれが(誰もが/どんな女性もが)意思を持つ個人であり、尊重されるべき存在である」というメッセージを伝えることにある。このメッセージを効果的に届けるためには、観客を能動的に舞台へと引き込み、作品世界に没入させることが肝要である。そのためには、登場人物と観客との距離感を縮め、一体感を生み出すことが演出において極めて重要となる。

例えば「こんなに高いキーで歌ったのだから私の勝ちだ」や「コーラスパートが多すぎて疲れた」といったSIXにおけるメタ風のセリフは、ライブコンサート形式の枠組みを前提にした際、各登場人物が観客に対してぶっちゃけたような実直さや人間味を感じさせる効果を持つ。さらに、舞台上の王妃たちが観客に語りかける構造は、観客に能動的なリアクションを生み出し、登場人物と観客が同じ空間を共有しているという印象を生み出す。このようなセリフや働きかけを通じて、観客は登場人物を「遠い歴史上のone of them」ではなく、「同じ時間や空間を共有する個人」として捉え直すことができる。

このような観客の認識の変化は、まさしく「王妃たちが意思を持つ個人であり、尊重されるべき存在である」という本作のメッセージを体現していると言える。
また、この認識の変化を補強するために、メタ風の発言や観客との対話的な演出が巧みに活用されている点は、本作のメッセージ性をより効果的に伝える鍵となっている。

以上のように、SIXにおけるメタ風の発言は、登場人物と観客の心理的な距離を縮め、一体感を創出することを通じて、劇の主題たるメッセージを構造的な共感とともに伝えるための優れた構成となっていると言える。

4. まとめ

SIX は、ヘンリー8世の6人の王妃を主役とし、それぞれの物語をライブパフォーマンス形式で描くユニークなメッセージ性を持つミュージカルである。本作の目的は、これまで歴史の影に隠されてきた王妃たちを「One of them」としてではなく、「それぞれが意思を持つ個人である」と再解釈し、観客に彼女たちを尊重されるべき存在として認識させることである。

分析にあたり、メタミュージカルの定義を調査し、SIXと比較したところ、SIXにおけるメタ風の発言は、ミュージカル形式への批判や自己参照的な表現を伴うメタミュージカルの特徴には当てはまらないことが分かった。それらの発言はむしろ、観客との一体感や親近感を生み出すための装置として機能している。ライブコンサートという形式を活かし、登場人物からの語りかけやぶっちゃけた実直さを感じさせる発言を通じて、観客は王妃たちを「歴史上の存在」ではなく「同じ空間を共有する個人」として捉え直す。この認識変化自体が、まさに本作のメッセージである「個々の存在を尊重する」というテーマを体現している。

このように、観客自身が作品の主題に共感し、メッセージを深く受け止められる演劇的構造は、ミュージカルSIXの大きな魅力である。

5. 作品紹介

SIX は、トビー・マーロウ(Toby Marlow)とルーシー・モス(Lucy Moss)によって制作されたオリジナルミュージカル。2017年、イギリスのケンブリッジ大学で開催された「エディンバラ・フェスティバル・フリンジ」で初演され、その後ロンドンのウエストエンドやブロードウェイでのヒットを経て、世界各国で上演されている。
日本では、2023年に初めて日本語版として公演。

観劇した公演:
今回は2025年1月にEXシアター六本木で上演された来日公演を観劇

引用文献

[1] 藤原 麻優子. 「これはどんなミュージカルなの?」--メタミュージカル試論. 西洋比較演劇研究, 2015, 15 巻, 1 号, p. 33-47. 公開日: 2016/04/01. Online ISSN 2186-5094, Print ISSN 1347-2720. DOI: 10.7141/ctr.15.33. J-STAGE.
[2] Whitty, Jeff (Author), Lopez, Robert (Composer). Avenue Q: The Libretto (Applause Libretto Library). Paperback – October 1, 2010.


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