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【観劇/読書録】tick, tick…BOOM!


序文

少し前になるが、2024年10月末、シアタークリエで上演されたtick, tick…BOOM!を観劇した。本作はRentを生み出したジョナサン・ラーソン(Jonathan Larson)が生前に残した自伝的ミュージカルを、彼の死後(つまりRentの大ヒット後)に編集を加える形で作成されたものである。Avenue QやIn the Heightsなど、2000年代初頭のオフブロードウェイ発の秀作を手がけたロビン・グッドマン(Robyn Goodman)プロデュースのもと、2001年にオフ・ブロードウェイで初演されている。

私が本作に初めて触れたのは、著名なリン=マニュエル・ミランダ(Lin Manuel Miranda)が監督を務めたNetflixの映像版である。それからAPPLAUSEのThe Complete Book and Lyricsで原典を辿った。その事前知識をもとに、今回初めてtick, tick…BOOM!の舞台公演を観て、ある意味ミュージカルらしからぬ本作の特異性や後のRentにつながるジョナサン・ラーソンの意識について考えさせれることが多かった。そのため、舞台観劇メモをお供に、改めてThe Complete Book and Lyricsを読み返し、本作について考察していく。

参考)tick, tick…BOOM!: The Complete Book and Lyrics

自伝でありながら自伝ではない、客体的な表現 — 比較文学的考察

まず本作において注目したいのは、本作が完全な自伝作品ではないことである。オリジナルのtick, tick…BOOM!は1990年にジョナサン・ラーソンによって制作された(当初はBoho Daysというタイトル)。こちらは作者ラーソンが彼本人として物語全体をひとりで語り、歌い、演じる形式であったため、自伝的なミュージカルであると言える。
一方、今回私が観劇したバージョン(現在一般的に演じられている演目)は、彼の死後、ジョン(Jon = Jonathan)の親友マイケル(Michael)と恋人スーザン(Susan)役を加えた計3人の役者によって演じられる形式に転換され、2001年にオフブロードウェイで初演されたものである。プロデューサーのグッドマンが述べている通り、ストーリーはジョンの30歳の誕生日の周辺を切り取り、彼の芸術追求と金銭的余裕の対立をメインで描く形に変更された。楽曲としても”Come to Your Senses”を含むいくつかの楽曲が追加/修正されている。

Victoria and I were thrilled when they came back with a structure that included three characters—Jon, his girlfriend, and his best friend. They framed it around his birthday and the crisis many artists face when balancing paying the bills with pursuing their craft. They energized the dramatic structure with mostly Jon’s own word and, … only added one song from Suprbia (Jon’s produced musical) called “Come to Your Senses” (Larson ⅶ - ⅷ)

Larson, Jonathan. tick, tick ... BOOM!: The Complete Book and Lyrics. Applause Theatre & Cinema Books, 2009.

「Rentの作者の自伝的ミュージカル!」と喧伝される本作であり、基本的なプロットは1990年の版を踏襲しているものの、受容者として、この他者による編集は意識しなければならない。そのため、ここではこの形式変更がもたらす作品への影響について考察してみたい。

そもそも、人物にフィーチャーした作品を作る際、その人物を語る手立てはいくつかある。ひとつは、該当人物が自身で語る形式である。この形式では、観客は本人役による内面の説明や行動を通じてその人物を理解する。1990年版はラーソン本人が自身を語る形式であり、まさしくこの語りの視点が適用された例であった。それもラーソン本人が自身の物語を語るからこそ、物語に意味や重みが生まれ、聞き応えのある物語が形成されることになる。しかしながら、ラーソンの死後にこの形式を続けることは困難が伴う。ラーソン自身が演じるイメージが残っているが故に、他者がラーソン(=ジョン)の視点で語り通したところで、それはあくまで伝聞的なラーソン像となってしまい、伝えられる情報量が相対的に限定されてしまうからである。

人物を語るための別のアプローチのひとつは、その人物の物事や他者との向き合い方や距離感を表現する形式である。これは客観的で対照的な表現である。2001年版では、ジョン役の他に2人の役者とこの2人が演じる複数の登場人物が登場する。この2人の登場人物の存在は、ジョンが他者とどのように関わっていたのか、或いは他者がジョンに対してどのように関わっていたのかを視覚的に表現することを通じて、観客がジョンの人となりを理解するための手立てを多分に提供する。例え本人が語れない状況にあったとしても、ジョンと他者の関わりと通して、ジョン(=ラーソン)像を重層的に表現することが可能になる。

この他者との関係性を通じて人物を表現する方法論は文学の分野で広くも活用される手法である。例えば、自己を表現することについて、村上春樹氏は次のように述べている。

あなたが牡蠣フライについて書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。それはすなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。(村上 25)

村上春樹. 村上春樹 雑文集. "自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)". 新潮社, 2011.

ラーソン本人が演じられない以上、本人の感情を深掘りして主体的な表現を実施するには制約がある。本人が演じていた過去と比較されてしまう状況なら尚更である。一方で、あくまでジョンのナレーションをベースに進む自伝的形態を取りながらも、他の登場人物との関わりの中でジョンを客体的にアプローチをとることによって、ジョンの生き方を他者の視点を含めて重曹的に描くことが可能になる。

ジョンが自ら語る1990年版では、観客がジョンの内面的葛藤に直接アクセスすることができた。一方で、2001年版では他者を通じた表現が、観客に彼の人物像を多層的に提示する。換言すると、アダプテーションの加わった2001年版tick, tick…BOOM!は、1990年版のようにジョナサン・ラーソンという人間を語ることではなく、「ジョンという人間を描くこと」に焦点を当てた作品であると言える。

物語るジョンの視点 — 文学的考察

とはいえ、物語構造の観点から作品を捉えると、本作はジョンの語りによってジョンとその周囲を描く自伝的なミュージカルである。一般的に、こうした語り形式の物語では、語り手以外の人物や情景は全て語り手の視点を通して受容者に届けられると理解される。そしてこの構造はtick, tick…BOOM!でも同様である。

この視点を顕著に表しているのは、“Johnny Can’t Decide”中の下記の歌詞である。

    SUSAN. SUSAN LONGS TO LIVE NY THE SEA
                 SHE’S THROUGH WITH COMPETITION…
    MICHAEL. MICHAE’S GONNA HAVE IT ALL
                    HIS LUCK WILL NEVER END… (Larson 15)

Larson, Jonathan. tick, tick ... BOOM!: The Complete Book and Lyrics. Applause Theatre & Cinema Books, 2009.

このシーンでは、スーザンとマイケルの状況が3人称の形式で説明されているものの、この発話者はジョンではない。スーザンがスーザンの状況を3人称で語り、マイケルがマイケルの状況を3人称で語っている。このあと、彼らはアンサンブルとしてジョンが発する"JOHNNY CAN’T DECIDE"のコールに加わり、ジョンにプレッシャーをかける様が表現される。

これが意味するのは、ジョン以外の登場人物はジョンが語る人物像を反映した存在であるということである。彼らは絶対値的な人物像を持つ存在ではなく、常にジョンの認知や感情が投影される相対的な存在と位置付けられる。

この認識は、本作においてジョン以外の登場人物の内面を主体的に描いたシーンがないことからも裏付けられる物語進行の次元と歌の次元が併存するミュージカルにおいて、人の内面や感情の変化を表現する主体となるのは歌の次元である。この視点で本作の歌の次元を観察すると、内面表現として提示されるナンバーは基本的にジョンから発せられたものである。上記の”Jonny Can’t Decide”のように、ジョンの歌い出しに対して他の登場人物が参加し、共鳴したり、反対したりする構造が多重奏ナンバーの基本構造となっている。

例外的にジョン以外の人物が内面を吐露するように見えるシーンは存在するものの、そうしたシーンにおいても感情の起点がジョンになっている。
例えば、Real Life”はマイケルが歌い出し、内容面では彼の心情を語るものである。しかし、歌い出す流れを見ると、ジョンが喚起した問いに対して、マイケルからジョンに対して語りかける形式であり、ジョンと彼が共通して抱いている悩みを文言化し、ジョン自身が自身の悩みを理解することにつながるシーンであることがわかる。

“Come to Your Senses”はカレッサ(Karessa)の歌い出しからスーザンの独唱の形に転換される演目ではあるものの、根本的には劇中劇のシーンである。そしてその歌の作り手は劇中のジョンであるため、スーザンの想いを描いているというよりは、ジョンが自己に言い聞かせている内容がカレッサ/スーザンの口を通じて語られるシーンである。

また、ジョン役以外の演者が複数の役を演じる形式も、このジョンの主観的視点を補強する。(小規模上演が求められた商業的な理由もあるのだろうが)ひとりが複数の役を演じられることは、つまるところ役者と登場人物が厳密に紐づく必要がないということである。登場人物がジョンの視点を反映した相対的な存在であるからこそ、この配役が違和感なく受け入れられる。

このように、ジョンによる語りの形式を取る本作は、一般的な語り文学の形式と同様に、語り手の心情が他者や情景に反映して表現された文学と理解して良いだろう。

自伝的な語り口とミュージカル — 美学的考察

ラーソンが後世に与えた計り知れない影響の一方で、1990年に彼自身が演じた本作が世に受けいれられることはなかった。

思えば、自伝的なミュージカルというとあまり話に聞かない。例えば本作のNefflix版を監督したリン=マニュエル・ミランダが製作したハミルトン(Hamilton)など、1人の偉人に焦点を当てた作品は見られるものの、自己を語る形式で作られたミュージカルが世に出ることは少ない。
一見すると、個人の内面や語りなどの次元を分けて描くことができるミュージカルは、自伝的な語り口と相性がいいように思われる。歌の次元や物語進行の次元、或いはアンダースコアで表現する次元が存在することで、ナレーションの場面、物語進行の場面、歌で内面を表現する場面の移行を設計しやすい。本作でも、例えばScene 12のワークショプのシーンでは、ラーソンによるワークショップの紹介(ナレーション)→ ラーソンと観客が挨拶を交わすシーン(物語進行)→ラーソンによる心情の説明(ナレーション)→ カレッサが”Come to Your Senses”を歌う場面(歌の場面)と頻繁に次元が行き来する。

しかしながら、自伝という文学形態のあり方を考えると、その人物自体が人々の興味を喚起するような傑物でなければ観客を読み込むことができない。その意味では、当時のラーソンのようにパブリックに功績を打ち立てていない人物が演じる自伝形式の演目は、かなり小規模な演目にならざるを得ない。そもそもミュージカル業界自体もまだまだ発展途上であり、生前から自伝的演目で人を呼び込めるほどの人物はなかなかいないだろう。ミュージカルのような舞台芸術は舞台や演者を必要とする関係上、書籍とは異なり本来的に自伝的な演目を扱う制約が大きい。

一方で、特にRent以降、オフブロードウェイのミュージカルは身近な人々の生き方や社会のトピックをリアルに描くことで人々に受け入れられてきた。これはある種作者の自己投影的な描き方であり、自身を一般化した先にある社会の描画である。例え自分自身をそのまま描くことはできずとも、等身大の自分をキャラクターとして置き換え、目の前の社会を投影した作品を描くことで、自分自身を表現することができる。これもまたミュージカルのあり方であり、ラーソンが切り開いた表現のひとつであろう。

ブロードウェイへの挑戦 — ミュージカルファン的考察

視点を変えて、先のRentを見据えた時、本作において興味深いのは、ジョン(=ラーソン)のブロードウェイミュージカルへの野望が垣間見えることである。
Scene 7では、タイムズスクエアを通りがかったジョンが、ロンドンミュージカルに侵食され、商業化された古臭い音楽で演じるブロードウェイを否定する一方で、彼自身が持つブロードウェイやスティーブン・ソンドハイム(Stephen Sondheim)に対する憧れを明らかにする。そしてロックミュージカルの制作を通じてブロードウェイを変革する野望を語る。

Every show’s from London and every ticket costs a jaw-dropping fifty bucks. I guess that’s what they want—tourists, the snoring businessmen, the busloads of sweet old ladies from Connecticut with their 90-decibel cellphone-wrapped hard candies—I want no part of it … I write musicals with rock music … Broadway’s about sixty years behind anything you hear on the radio …. You can’t put rock onstage. Nevertheless, that’s what I’m trying to do with Superbia. (Larson 35)

Larson, Jonathan. tick, tick ... BOOM!: The Complete Book and Lyrics. Applause Theatre & Cinema Books, 2009.

ロックミュージカルでブロードウェイを変革することへの野心は作品を通じて度々語られており、Scene 11のカレッサとの会話のシーンでは、Hairを引き合いに出してロックミュージカル制作の野心を語っている。

Maybe I really have written the show that will reinvent musicals for our generation—the Hair of the ’90s—the cultural lightning rod that will energize the twenty-something generation (Larson 51)

Larson, Jonathan. tick, tick ... BOOM!: The Complete Book and Lyrics. Applause Theatre & Cinema Books, 2009.

Scene 7でジョンが語る通り、1980年代~1990年代前半のブロードウェイはいわゆるメガミュージカル全盛の時代であり、豪華絢爛で壮大なロンドンミュージカルやディズニー作品が隆盛を極めていた。ミュージカルは商業的な成功を収める一方で、作中の音楽は古臭く、ブロードウェイはもはや最新の音楽を取り入れる場ではなくなった。若者の間で流行りのロックは取り入れられず、古臭い音楽であると考えられた。

しかしながら、彼の遺作となったRentはそんなミュージカル界を180度転換した。全世界的でクラシックで華やかで、まるでお伽話のようなミュージカルに替わり、身近な音楽に乗せて身近でリアリティのある小規模なオフブロードウェイ作品が繁栄を極める時代が訪れた。

自身が手がけたRentが引き起こしたミュージカル産業の革命的転換を目にすることもなく、35年の短い生涯を終えたジョナサン・ラーソン。彼がもたらした変革を享受してきた1ミュージカルファンとして、彼が生前抱いていた野望が声高に語られるこうしたシーンは、筆舌に尽くしがたいほど、非常に感慨深いものである。

まとめ

ここまで、ミュージカルtick, tick…BOOM!について、私の観劇体験とAPPLAUSEのComplete Book and Lyricsを手引にしながら考察してきた。

作品についてまとめると、1990年版から2001年版への更新、そして物語るジョンの視点が非常に興味深い作品であった。
1990年版とは異なり、私が今回観劇した2001年版のtick, tick…BOOM!は、ジョナサン・ラーソン個人を語る作品ではなく、他者との関わりを通じてジョン」いう人物像を多層的に描くことに焦点を当てている。その中で、物語は語り手ジョンの視点で進行し、彼の心情が他者や情景を通して表現されることで、観客はジョンという人間を深く理解できる構造となっているのである。

ラーソン自身が1990年に演じたこの作品は、当時世に出ることはなかった。しかしRentがもたらしたミュージカル産業の革命的な転換を考えると、彼の遺した影響の大きさを改めて感じさせる感慨深い作品であった。本作を日本で観られたことに感謝しつつ、私はこれからも、post-Jonathan Larsonのミュージカルをこれからも楽しみながら、ミュージカルへの興味関心を深めていきたい。

作品紹介・公演詳細

2001年版『tick, tick…BOOM!』作品概要

ジョナサン・ラーソンによる自伝的ミュージカル。ニューヨークを舞台に、30歳を目前にした作曲家ジョンが人生の選択や夢への葛藤に直面する姿を描く。オリジナルのモノローグ形式から発展し、3人のキャストによる演劇的な構成が特徴的。
本作はラーソンの死後、1990年版をもとに脚本家デイヴィッド・オーバーンと音楽監督スティーヴン・オーレムによって再構成され、2001年にオフ・ブロードウェイで初演された。以後、世界中で上演され、日本でも2006年に初めてミュージカル化され、その後も幾度か公演が行われている。ラーソンが遺したメッセージと彼の革新的な音楽スタイルは、観客に強い感動を与え続けている。

今回観劇した日本公演

主演ジョン役: 薮宏太さん、スーザン役: 梅田彩佳さん、マイケル役: 草間リチャード敬太さん
2024年10月6日~31日、東京のシアタークリエで上演

参考文献

[1] Larson, Jonathan. tick, tick ... BOOM!: The Complete Book and Lyrics. Applause Theatre & Cinema Books, 2009.
[2] 村上春樹. 村上春樹 雑文集. 新潮社, 2011.

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