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【読書録】ミュージカルの解剖学
1. はじめに
この度、長屋晃一氏の著書『ミュージカルの解剖学』を読了した。本書は2024年10月に初版発行と最近出版されたばかりのミュージカルの専門書であり、書店で見かけて気になっていたため、この年末年始のお供として読み通した。
読後の感想を簡単にまとめると、本書はミュージカルを構成する「多角的な要素」を観劇者にとって「実践的な視点で」解説することを通じて、ミュージカルの「読解力を向上」させてくれる一冊であった。
読書内容についての理解を深め、今後の観劇体験ならびに学問的探究の地肉とするべく、ここで書評と本書から得られた学びをまとめていく。
2. 書籍の概要
2-1. 本書の問い立て
筆者は序章で「ミュージカルというジャンルを成り立たせ、『きらめき』を生み出す『型』のしくみを、私なりに解き明かしてみたい」(長屋 ⅶ-ⅷ)と述べている。この言葉に示される通り、本書の焦点はミュージカルに共通する「型」との分析にある。
この問いを私なりに深掘りすると、以下の2つの問いに分けられる。
[構成要素の定義] ミュージカルというジャンルを成り立たせる構成要素(共通する基盤)は何か
[芸術効果の考察] それぞれの構成要素が、観劇者に対してどのような芸術体験や印象を与えているのか
2-2. アプローチ
本書はミュージカルを構成する要素を6つの視点に分類し、それぞれを章ごとに詳細に解説している。各要素は理論的な定義に留まらず、有名作品から具体例を多分に取り上げて解説されている。
本書で取り上げられている視点は以下の通りである。
筋とプロット: 物語の骨組みとなる「筋」と「プロット」の概念と、プロット上におけるナンバーの位置付けについての分析
キャラクター: 登場人物の性格や役割に基づくキャラクター造形の特徴と読み解き方(主に近代的キャラクター造形について)
ナンバーの機能: ミュージカルナンバーを筆者の視点から4つの機能に分類し、それぞれの定義と効果を整理
アダプテーションとリプライズ: 舞台作品を映画化する際の「アダプテーション」の論点や、「リプライズ」による表現効果の考察
せりふと歌詞: セリフに対する詞のリズムや音楽の影響についての分析
音楽の役割: 音楽が作品に与える印象や意味の考察(特にクラシック音楽の技法について深掘り)
2-3. ポイント
① 窓口の広さ
本書は、ミュージカルという複合芸術を多角的に捉え、読者の興味や知識レベルに応じて多様な入口を提供している点が大きな特徴である。文学や物語に関心を持つ読者は「筋とプロット」や「キャラクター」の章から深い理解を得ることができ、音楽を通じてミュージカルを楽しむ読者にとっては「歌詞」や「音楽の役割」に関する議論が特に興味深く映るだろう。
私自身私自身、物語構造やアダプテーションについては馴染みのある領域であり、これらの章を通じて筆者と視点を共有することで本書の考え方を取り入れつつ、既存の知識を筆者の視点から深めることができた。一方で、歌詞や音楽の役割については理解の浅い領域であったため、本書を通じて新たな洞察と視点を得る貴重な機会となった。
②1つの作品を読み解くための視点構成
本書の視点構成は、ミュージカルを観て楽しむ人にとって、非常に実践的であると感じた。歴史や社会、商業などの側面からは距離を置き、物語、キャラクター、ナンバー、音楽など、観劇の際に意識される要素に焦点を当て、それらの表現効果を具体的に解説している点が特徴的である。
そもそも本書の問いの立脚点は、筆者が「きらめき」と呼ぶミュージカルの芸術体験をミュージカルのフォーマットの視点から解説することであり、この問いに対するスタンスが一貫していると言える。また、ミュージカルを学問的に観る立場においても、ひとつの作品の深い理解は基礎中の基礎となる部分であり、学問的知見を深めたい人にとっても本書の内容は重要な知見となると考えられる。
3. 学び・考察
3-1. ナンバーの機能分類について
筆者はナンバーを次の4つの機能に分類している。
1. 「ショー」 舞台上の客役を相手に歌ったり踊ったりしている。
2. 「ユニティ」 全員が同じ動きをして歌う(踊る)。
3. 「ダイアローグ」 現実に置きなおしたときに歌っておらず、誰かに語りかけている。
4. 「モノローグ」 現実に置きなおしたときに歌っておらず、ひとりごとになっている。(長屋 81)
これらをもとに、ナンバーをカテゴライズした上で、ナンバーの機能の違いによって生じる印象の違いが解説される。また解説に際して、筆者は実際のミュージカル作品では、往々にして各機能が組み合わされて活用される点を強調する。ナンバーが2つの機能を同時に兼ね備えていたり、見かけ上と実際の機能が違ったり、舞台上で同時並行で発生しているような場合である。この柔軟性がミュージカルの表現の幅広さに寄与している。
そもそもミュージカルの研究において、ナンバーを分類しその役割や効果を定義しようとする試みは、比較的ホットなトピックである。例えば、スコット・マクミリン(Scott McMillin)氏が著書『ドラマとしてのミュージカル (Musical as Drama)』で述べた2次元論に基づくナンバー分類をはじめとして、巷には複数の定義が存在する。
私自身も過去、ミュージカル『ライオン』を題材に、作品の中で登場する音楽の役割を下記の通り整理することを通じて、ナンバーによって可能になる表現拡張について述べた。
1. ナレーションに対する感情文脈の補強
2. 過去の情景を再現する
3. 内面世界を表現する
4. 場面間の関係性の明確化
本書の作者が実施した分類は、私がこれまで親しんできた視点とは異なる分類であった。
私が過去に実施した分類は、ミュージカルという舞台作品において、ナンバーが存在することでどのような表現が可能になるのか、という問いに基づくものであった。換言すれば、ミュージカルにおけるナンバーそのものの存在意義を深掘りする視点である。
一方で、今回の著者の分類は、あくまでナンバーの存在を前提とした上で、ナンバーが舞台上で表現される際の現象を分類しようとした試みである。これはミュージカル作品を読解するための1分析スコープとしてナンバーを考察する視点である。本書の目的はミュージカルの「きらめき」を解き明かすことであり、この研いだ手のスタンスに則った分類方法である。これまで私がミュージカルナンバーを捉えようとしてきた視点とは別角度の視点での分類であったため、非常に興味深く、新たな問いの入り口となるような内容だった。
ただ、こちらの分類はあくまで事象の分類であり、この分類自体が効果の考察につながるわけではないことには注意が必要である。作者自身も、本機能分類をそれだけで終わらせるのではなく、プロットやキャラクター造形など、他の視点と複合的に評価することで作品の意味理解の結論を導出しているように、舞台上の演出としてどのようなシーン構成となっているのかを理解するための入り口として活用し、問いに合わせて分類結果の活用は変えていく必要があるということを肝に銘じておきたい。
3-2. ミュージカルの記号化による分析可能性
本書を通じて考えたのは、ミュージカルのような文学領域の研究においても量的な分析が適用できる可能性についてである。楽研究の立場では、スコアを通じた定量的な研究はこれまでも盛んに行われてきた。(だからこそ音楽生成のような技術も発展してきている。)一方で、物語の内容や表現効果の分析はこれまで定性的な分析を通じて発展してきたものである。
一方で、前述したナンバーの機能分類のような記号化の取り組みやは、こうした芸術効果を一部定量化する取り組みであると言い換えることができ、その上で量的な研究の足掛かりとなるものであると考えられる。ミュージカルは音楽やリズムと密接につながる芸術であるため、スコアの分析や詩の格の定義と組み合わせた複合的分析を実行できる可能性もある。現状、記号化自体のアノテーションは人手で実行する必要があるものの、こうした定義を作ることで広がるアプローチの存在自体に気がつけたことが大きな収穫であった。
文学研究の場面ではテキストマイニングなどの自然言語処理を通じたトレンドや特性分析が急速な広がりを見せる中で、単純な単語処理にとどまらない機械的なミュージカル分析の発展にも期待しつつ、私自身もそのような領域に挑戦してみたいという意欲を新たにした。
4. 書籍紹介
『ミュージカルの解剖学』
著者: 長屋晃一
出版社: 春秋社
出版日: 2024年10月20日