【第1回】保守とは何か〜思想家・福田恆存を学ぶ1
皆さんこんにちは!!
第1回を担当致します、幹事長の枯川山茶(@SasanquaP_R)と申します。
早稲田大学文化構想学部で、比較文学や文化人類学あたりを中心に勉強しています。興味分野は先に述べた2つの他に言語学や歴史学、民俗学をはじめとする人文学全般で、今のところは広く浅く勉強を楽しんでいる次第です。
早稲田大学國策研究會自体の詳細・説明等は今回割愛させて頂きますのでどうかご了承を。概要は第0回記事を御覧ください。さて、設立から70年以上経った由緒ある「保守派の政治・学術」サークルの幹事長をこの春拝命致しました私ですが、まだまだ浅学非才の身であります。とても人に何か教授できるような立場にはございません。会員や学友(特にツイッタラー)の知見や読書量に舌を巻く毎日ですから、負けじと自身も一応勉学に励んでいる次第です。(幹事長なんてサークル継続の手続きさえこなせれば良いんだという甘い考えは捨てよう)
ということで、第1回の記事としては私を「保守思想」に誘う契機にもなった、個人的に尊敬・私淑する思想家・福田恆存(ふくだつねあり)について何か書きたいと思います。政治思想やら文芸評論やらに触れたことのある方々は案外ご存知かと思いますが、一般の多くの方々は名前をあまり聞いたことがないのではないでしょうか。個人的に私淑しているというのもあってご存知ない方には是非知って頂きたい思想家です。俗な言い方をすれば私の「推し」という訳です(笑) こないだ遂に文庫本では飽き足らず全集(全8巻)も買ってしまいました………勿論賛否両論あって然るべきですから批判も是非学びたいくらいですが、偉大な思想家と個人的に思う割にはそもそもあまり読まれていない気がします(泣) 高校倫理の資料集には丸山眞男や小林秀雄が載っているんだから載ったっていいだろ(信者並感)なんて思ったりしますが、まずは知って頂くというところから始めたい。今回(第1回)は福田恆存って何者?といった概要を書く所存ですから、有識者の方々には少々退屈に思われるかもしれません。第2回以降で頑張ります、と言いますか当会員は精鋭揃いですから、後々の記事はきっと玄人の皆さんのご期待にも沿うことでしょう。(白々とハードルを上げてすみません)
一方、政治やら思想やらにあまり触れたことのない方々は「保守」と聞いてどんなイメージを持つでしょうか。連想されるものといえば?
「右翼」「安倍政権」「憲法改正」「ナショナリズム」「天皇」「伝統」「戦争」「靖国神社」「旭日旗」「ネトウヨ」「街宣車」「怖い」「うるさい」「ヤバい奴ら」「頭悪そう」…etc (※あくまで連想です。)
途中から何だか悪口のようになってきました(笑) まあネット上でヤバそうな物が目立つ傾向にあるのは右にしろ左にしろ同じような気もします。これでは多くの人々が政治だとか思想を語りたがらないのも無理はないですね。安直に二元論に分けるのも危険とは思いますが政治における思想と言えば「右翼」と「左翼」に分けるのが一般的と言えます。「保守」に対置されるのは「進歩/リベラル」でしょうか。試しにこちらも連想してみましょう。
「左翼」「野党」「護憲」「社会主義」「共産主義」「共和制」「革新」「反戦平和主義」「パヨク」「反日」「デモ」「怖い」「うるさい」「ヤバイ奴ら」「頭悪そう」…etc (※あくまで連想です。)
最近では「ANTIFA」などもそうでしょうか、トランプ大統領が「極左集団が暴力を煽動している!(意訳)」と言っていたのも記憶に新しいですね。さて今回の主題は「保守」ですから、前者について述べたい。しかし無論、連想で挙げた物が果たして本当に「保守」なのか再考の余地は大有りです。そこで今回の主役となるのが「保守思想の神髄・福田恆存」という訳なのです。「神髄」というのは2018年に亡くなった保守派評論家・西部邁による評ですが、もし皆さんの中で保守思想に興味を持っているような方がいれば取り敢えず触れてみて欲しい、そんな思想家であります。「フクザツニアリ」と揶揄されるだけあって少々難解ですが(笑)
また今回のように多くの人々に読んでもらうような長文を綴るのも実は初めてな経験なものですから、どうぞお手柔らかに、暖かく見守って下さると有難い。勿論知識を深め文章力を高める為にも批判やアドバイスの声は積極的に受け止めたいと思っております。こんな冗長かつ緩々な文体で多分この先もやっていくと思いますが、今後ともお付き合い下さると幸いです。どうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m
・福田恆存とは
引用元〈インターネットミュージアム〉
福田恆存(ふくだつねあり、1912年(大正元年)8月25日 - 1994年(平成6年)11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。1969年(昭和44年)から1983年(昭和58年)まで京都産業大学教授を務めた。1981年(昭和56年)より日本芸術院会員。
平和論への批判を早くから行った保守派の文化人で、同時期よりシェイクスピア戯曲作品の翻訳、演劇上演も行った。産経新聞の論壇誌「正論」は、福田と田中美知太郎、小林秀雄等の提唱によって創刊された。文藝春秋社の「文藝春秋」、「諸君」、自由社の「自由」などの保守派雑誌への寄稿でも知られた。
「レトリシャン」とか「論争の手術師」といわれ、一流のリフレーミングの使い手でもあった。 (Wikipedia から抜粋)
何となく「保守派」なのだなということは分かって頂けたかとは思いますが、先程挙げた連想に合致しているかと言われれば矢先から微妙なところではないでしょうか。そもそも「保守」というくらいなら日本史や日本文学、政治や軍事やらの専門家ではないのか?(これは自分の第一印象でした。) シェイクスピアの翻訳者??
それもその筈、東京帝大文学部英文科を卒業した福田は文芸評論を始める傍ら旧制中学の英語教師を務めているのですね。実際政治思想に疎い方々が福田の名前を見かけるとしたら新潮社版のシェイクスピア文学の翻訳者としてかもしれません。因みに福田は他にロレンス、ワイルド、ヘミングウェイなどの翻訳も行っています。さて、赴任した静岡県の掛川中学で校長と喧嘩した福田はその後出版社に転職します。これは最近知ったのですが1941年(29歳の時)には外地の日本語教師向け雑誌『日本語』の編集にも携わっています。時は「大東亜時代」、東アジア共通語としての日本語確立を目指す国策により、福田は中国などを訪問し現地の教育状況の研究等を行います。この経験は戦後「国語国字問題」における日本語「改悪」を批判する後々の主張にも大きく影響を与えたと言われます。(「国語国字問題」についてはまた後ほど。)昨年度私が受講した歴史言語学系の演習で旧植民地等の言語変容等について調べる機会があったのですが〈川村湊(1994)『海を渡った日本語:植民地の「国語」の時間』青土社〉が大変参考になりました。
話は戻りますが、終戦を迎えた後は漸く文芸評論に専念することとなり、嘉村礒多や芥川龍之介に関する論考を発表します。文学論から執筆活動を始めた福田ですが昭和20年代後半から関心は段々と芸術・演劇論や人間論、政治論へと移っていくのです。これは今年度私が受講している英文学講義で扱う英作家T.S.エリオット(1888-1965)とも共通する特徴です。エリオットも一般に保守主義者と呼ばれており、2人は後々会見もしています。(福田はエリオットの詩劇『カクテル・パーティ』の翻訳者でもあります。)福田は多岐にわたる分野で様々な評論活動を続けていきますが、1954年に発表した「平和論の進め方についての疑問」で遂に保守派の論客として世間に認知されるようになります。しかし当時の論壇からの評価といえば………
ここまで読んで頂き有難うございます。この続きはまた次回以降に寄せたいと思いますが予告(?)を少々。福田恆存がいかにして保守思想家として言論活動を行ったのか。福田の「保守派」としての活動は大きく分けて以下の3つに集約されるのではないでしょうか。
・進歩派知識人の平和論批判〜反戦平和/非武装中立など可能か
・戦後の国語国字改革批判〜歴史的仮名遣を守れ
・「政治主義」との対峙〜近代日本の「個人」という問題
次回からはこの3つのテーマを中心に話を展開させていくつもりです。他にも関連人物として挙げられる三島由紀夫、大岡昇平や小林秀雄ら文壇との交流や、時の韓国大統領・朴正煕との親交、福田が関わった「チャタレー裁判」についても何か書けたらと思っています。
最後に福田の考える「保守」について一節を引用して今回は終わりたいと思います。
「私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるやうには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。……保守派は見とほしをもつてはならない。人類の目的や歴史の方向に見とほしのもてぬことが、ある種の人々を保守的にするのではなかつたか。世界や歴史についてだけではない。保守的な生き方、考へ方といふのは、主体である自己についても、すべてが見出されてゐるといふ観念をしりぞけ、自分の知らぬ自分といふものを尊重することなのだ。……保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはありえないことを言ひたいのだ。保守派はその態度によつて人を納得させるべきであつて、イデオロギーによつて承服させるべきではないし、またそんなことは出来ぬはずである。……」(「私の保守主義観」昭和34年)
ではまたお会いしましょう!!
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