雨の日、不幸な日
雨の日は嫌いだ。理由は暗いから。夜になれば無条件で暗くなるのだから、何も昼から日光をケチる必要はないと思うのだ。それに加えて僕の住んでいるアパートは、夏になるほど日の光が入りにくくなる。これからどんどん太陽の出ている時間が長くなっていくというのに、なんという皮肉だろうか。健康的ではないと思うのは私だけだろうか。
まあ、どうしようもならないことにうだうだ文句を言っても仕方がない。僕は、某映画のヒロインのように、自分の意志で天気を変えられるわけではないのだから、考えるだけ無駄というものだ。そう思いながら、僕はカーテンを開けて、めいっぱい体を伸ばした。
と、無理やり切り替えようとしたものの、なんというか、今日は不幸だと強く感じてしまう。些細なことにイラついてしまうし、何をしてもうまくいかない感じがする。今日の授業の講師の話が明らかに原稿を読んでいるだけで、全然頭に入ってこないし、毎日追加される課題が重くのしかかる。本を読んでもなんだか頭に入ってこない。不幸だと感じる事象がとるに足らないことだとわかっているのに、まるで自分が悲劇の主人公みたいに演出したくなってくる。こんなに不幸なのは、世界中で僕だけなんじゃなかろうか、と。
のどが渇いた。冷蔵庫を開けるとお茶がない。そういえば昨日買いに行くように携帯にメモを残していたのだった。ちょうど雨が降っていなかったので、傘を持たずにスーパーに行き、買い物を済ませて、家に帰った。すると家の目前で、雨が降り始めた。おかげでずぶぬれにならなくて済んだ、ラッキー、と思いながら、家の中に入った時、ふと気が付いた。今、僕の心に浮かんだラッキーという感情は、幸福感とは違うのだろうか。
もし今日が普通の日だったら、こんな些細な心の動きに気づけるだろうか。おそらくこれが幸せかも、とは間違いなく考えていないだろう。ただのラッキーにすぎないと思うはずだ。
人間は不幸に感じる日には、その日なりに、今まで気づかなかった小さな幸せをかき集めて、幸せを感じようとしているのではないだろうか。そう考えると、不幸に感じる日とは、自分の感情のセンサーが敏感になっている日とも考えることができる。普段なら気にも留めない小さなことにも反応してしまう日。それが今日のイライラにも、小さすぎて気が付かなかった幸せに気づけたことにも関係しているのかもしれない。
雨の日は、光が少なく、視界は悪い。その分、心の目は大きく見開かれていて、いつもは見えない世界を、自分自身を映し出しているのかもしれない。だとすると、雨の日も捨てたものではないのかもしれない。