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サッカーの生い立ち Part2

 前回に続いて、今回は中学時代のサッカー編という事でお話しして行きたいと思います。少し長いと思いますが、今回お話しする内容はサッカーの事をお伝えしていく中で僕が最も知って欲しい内容や伝えたい事を書いているのでお時間がある方は読んでいただけたらなと思います。

・海南FCエンジェルス

 サッカーに真剣に打ち込もうと決めた僕は、海南FCのジュニアユースチーム(中学生)エンジェルスにそのまま昇格しました。

エンジェルスにはGKが一人もいなかったため、昇格してすぐに3年生の公式戦に出ることになりました。もちろんサッカー初心者で試合の経験値も0に等しいのでリーグ戦では大量失点が続き、チームは中々勝つことが出来ませんでした。


責任を感じていた僕はこのままではダメだと思い、チームメイトの実力に追いつくために、学校がを終えて15時頃に帰宅してはすぐに着替えて近くの公園で19時からの練習までの間に自主トレを始めることにしました。公園には自分よりサッカーが上手な人達がいつもボール回しをしていたので、混ぜてもらっていました。

当然足手まといになる事は分かっていましたが、自分が上手になる為の事だと思い必死について行きました。サッカーが上手な人達とプレーするのはこんなにも頭使うし、難しい事なんだと改めて実感したと同時に(ここまでサッカーが上手になったらもっと楽しいんやろうな)そう思いました。

 そんな日々が続いていたある日、チームから海南市トレセン(選抜)の選考会があると告げられました。

トレセン

・いわゆる選抜のことです。

 僕は正直受かるはずもないと思っていたけれど一応受けてみようと思い、軽い気持ちで受けて見ました。そしたらなんと合格が決まり、海南市トレセンU-13のメンバー入りを果たしました。更にこの合格に喜んでいた僕にはもう一ついいニュースが入ってきました。それは、和歌山県トレセンの選考会への参加が決定していました。海南からは僕ともう一人海南市の中学でプレーしているGKの2名だけが海南市の代表として参加できることになりました。なぜ僕がいけるんだろうと正直謎でしかありません。まだサッカーを始めたばっかのペーペーが県の選抜になるなんてのは誰も想像なんかしていなかったはずです。正直自分ですら想像できなかった。でも行くからには合格して和歌山県の代表になりたいそう願い、僕は必死に違う市から来たエリート軍団達と争い1次選考、2次選考と順番に合格し、遂に最終選考まで残った僕は見事、和歌山県トレセンU-13メンバー入りを果たしました。

 一番びっくりしていたのは自分でも親でも無く、自チームのスタッフ達でした、選考会が終了した翌週から自チームでのGKトレーニングには変化が起きました。GKコーチもいない、あまりGK練習をする時間もない、GKにフォーカスされていなかった日々から、チームはセレッソ和歌山というチームから週に1回GKコーチを招聘しTRしてくれるようになったのです。僕はこれを見て(自分の行動一つで周りの環境も変化させられるんだ)そう感じました。仮にもし僕がトレセンに選ばれていなかったり、伸び代がなく日々成長していなければこのような環境にはなっていなかったかも知れません。

・初の和歌山県選抜チームでの活動

 初の選抜チームでの活動という事で山梨の方に遠征として行きました。

対戦相手相手はフォルトゥナFC、ヴァンフォーレ甲府、清水エスパルス、この3チームと何日かに分けて試合を行いました。初のJユースのチーム相手で緊張のあまりガッチガチでアピールどころかプレーもママらない状態でした。全ての試合、1日1チームと3本ずつ行われ僕は3チーム1本ずつ出場しました。結果は全て大量失点、やっぱりJのチームで育っている選手達は動きやサッカーIQが僕たちとは全然違いました。清水や甲府には年代別の代表に呼ばれている子や、自チームのトップチームのプロのレベルを真近で見て勉強できている分、全員の意識が違う。上に行くためにレベルが下の僕たち相手でもコーチングスタッフにアピールするために必死でプレーしていました。僕にとっては結果こそ出なかった分、初めての体験や上を本気で目指すということはこういうもなのかと思い知らされ、メリットとして得られるものが遠征に行ったメンバーの中では一番多かったと思います。

ここがサッカー人生が始まって初めての挫折でした。でもこの遠征こそが僕にプロという言葉を学ばしてもらい、そこを目指したいと思ったきっかけになったのです。

・ガンバ大阪との出会い

遠征から帰ってきてすぐ、僕は親のパソコンであることを調べました。

それは、(Jユースのセレクション)です。

上を目指したい、もっとサッカーが上手くなりたいと思った僕は自分の実力がどこまで通用するのか、受からなくてもいいから、その受けるチームにはどんな実力のGKが受講しに来るのかが物凄く気になり始めたので、思い切ってセレクションを受けて見ることにしました。そして、家から近いチームを検索し、セレッソ和歌山、セレッソ大阪、ガンバ大阪、ガンバ堺、という4つののクラブチームが出てきました。和歌山でサッカーをしていて上を目指している子達は6割以上がセレッソ和歌山に受講します。実際に海南FCで一緒にプレーしたチームメイトも2、3人受講し、一人の子は中学に上がるタイミングでセレッソ和歌山に合格し既に入団していました。

しかし、僕はセレッソ和歌山には行きたくありませんでした。僕の性格上、人と同じ道や方法を選択するのが嫌いだったため、セレッソを受講することはやめました。そして一番目についたチーム、それが、ガンバ大阪というチームです。和歌山の人々では絶対に考えないような行動を馬鹿で浅はかだった僕にはすぐに思いつきました。受講することをクラスメイトやチームメイトに話すと「絶対受からん」「恥かくだけやで」という言葉や、呆れて笑っている人もいました。

 しかしこの時の僕には逆に火をつけてくれる原動力となっていました。ここで得るもの得て努力し上手くなればいつか周りを黙らせれる、そう思いセレクションに臨む気持ちがより一層高まりました。

 「あれ?セレクションって進学のタイミングや次年度のチームの為に行われるんじゃないの?」と思った方がいると思います。僕が検索した時に出てきたセレクションの種類は(冬季GKセレクション)というものです。まず受かるはずがないと言われている超難関のテストです。なぜ超難関かと言いますと。この時点では受けるチームにはもう既にGKは勿論、フィールドプレイヤーも昨年度のノーマルのセレクションで合格した子達が在籍しているからです。なので冬季セレクションでは本当に目立ったり、スタッフの目に止まるような存在感を出さないと合格出来ません。僕が受けた時点では同じU-13のカテゴリーには既に3人の優秀なGK達がいました。

 セレクション当日、万博に到着しテストに備えウォーミングアップをしながら周りを見渡すと、約50人くらいのGK達がいました。この中から一人、もしくは0人の人が残り、全員もしくは9割以上のGKが落選すると考えただけで緊張で震えが止まりませんでした。今でもこの心境を鮮明に覚えています。でも自分の目的はあくまでも実力の確かめとGKの分析、その事にだけ集中しながらセレクションに臨みました。

 僕らのセレクションに手伝いに来てくれていたU-13に所属するGK達がデモンストレーションを行ってくれ、僕たちはそれを見てプレーして行きました。デモをするGK達に感動を覚えた事を覚えています。同い年でこんなにも実力の差があるんだと関心しながらプレーしました。

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↑デモをしてくれたGK3人と僕、

僕が受講したセレクション内容は、GKの基礎基本、クロスボールの対応、50メートル走、この三つくらいだったと思います。無我夢中でプレーしていた為、あっという間に時間が過ぎ無事セレクションが終了しました。

「受かるかな」という気持ちよりも、「あんなGKがいるんだ」、「GKにはこういうプレーもあるんだ」「こんなトレーニング方法があるんだ」など、関心することばかりだったので、まっさら合格することなんて頭にはありませんでした。

そして、セレクションから約1週間が経ったある日、一本の電話が自宅にかかってきました。親が話していた電話の相手はガンバ大阪ジュニアユースでU-13を担当し指導しているGKコーチからでした。「2次、最終のセレクションは受けなくてもいいので来週から2週間練習参加をして欲しい」との事でした。その時、僕とお母さんはびっくりし過ぎて数時間フリーズしてしまいました。なぜならサッカーを始めて一年足らずの僕が実際にガンバの超エリート達と一緒にプレーするなんて想像もしていなかったからです。お母さんは慌ててお父さんに連絡していました。

 夜になり、お父さんが帰ってくるとすぐに家族会議が始まりました。お父さんは即「やめときなさい、通用するわけがない」その一点ばりでした。お父さんが反対する理由は色々ありました。まずガンバの練習時間が夕方17時半、僕は和歌山の中学校に通っていた為、授業が最後まで終わるのが16時なので練習に参加するには学校を2週間毎日早退して参加しなければいけなかったのです、更に一番負担になるのは親です。送り迎え、遅くに帰って来ての僕のご飯や洗濯、そういった部分も考慮しダメだと言っていました。しかしこのチャンスを無駄にはしたくなかった僕は「絶対に受かってくる、時間の無駄やお金の無駄にはしないから2週間だけ挑戦させて欲しい」と本気でお願いしたのが伝わったのか、練習参加を合意してくれました。

 そして、運命の練習参加が始まりました。

ガンバ大阪ジュニアユースは、U-13、Bチーム、Aチームと三つに別れている中、僕はU-13のチームへ参加しました。GKトレーニングでは学んだことのない事ばかり教わり、フィールドとの合流してのトレーニングでは今まで受けたことのないパスやシュートを経験し、本当に未知の経験でした。当時は週に一度だけGKはユース(高校生)の選手達との合同練習がありました。ユースのGK陣は本当に別格で、一緒にトレーニングしてくれたGKの方々は、トップチームの選手達とプレーしている方や、年代別代表にも選出されているGK、ユースのAチームでスタメンにもなっているGKの方々でした。本当に勉強になることばかりで、プレーを見る度に、「自分もこんな風になれるのかな」など色々な妄想が一気に膨らみました。

 練習参加が1週間が過ぎようとしていた時、僕はユースのGKコーチから「ガンバ大阪に入団したいか?本当にプロを目指して頑張れるか?」と質問されました。僕は即答で「入団したいです!頑張れます!」と答えると、コーチから驚きの言葉が帰って来ました。「ようこそガンバ大阪へ、これから頑張っていこう!」そう告げられました。セレクションを飛び級で合格し、尚且つ練習参加も1週間早いタイミングでの入団が決定したのです。

 夢のようでした、自分が想像していた光景が12年間で初めて現実になった瞬間でした。すぐにお父さんに連絡し、色々話し合い、海南FCのスタッフやチームメイトにもお話し、引越しの準備と学校の転校手続きを済ませ、挑戦の地、大阪へと移しました。チームも移籍という形でガンバ大阪ジュニアユースへの入団となりました。

 ここまでが僕がプロになりたい、上を目指したいと思った経緯や僕というプロサッカー選手が生まれた生い立ちです。

僕は今でもあの頃と変わらず大事にしている事があります。

それは実行することです。正直な話、僕がここまでこれたのは運やタイミングも少なからずあると思います。これを読んでくれている人の中にもそう思う人が必ずいると思います。

 でももし僕が(あの時パソコンでセレクションを検索していなかったら)(2週間練習参加をしていなかったら)というような行動を起こしていなければ、このガンバ大阪というクラブと出会ってもいなければ、現在プロサッカー選手として活動出来ていなかったかもしれません。口だけではなく、実行に起こす、これはサッカーだけではなく色々な物事においても大事な事ではないかなと思います。でも実行した事全てが思い通りに行くとは限りません。人は人に助けてもらわなければ生きては行けません。僕は周りのサポートや本当にいろいろな人との出会いがなければこのサッカー人生は実現していなかったと思います。サッカーというスポーツを教えてくれた海南FCのスタッフ、セレクションで僕に目を止め、ガンバ大阪というビッククラブに招いてくれたコーチ、影で常に支えてくれていた両親、本当に恵まれて来たと思います。但し少なからず人一倍努力はして来たつもりです、そうした一つ一つの行いが、今に繋がっているのではないかと信じています。

 現在、プロ4年目で目指していた環境、目指していたピッチレベルでサッカーをさせて頂いています。しかしこれが手に入ったからといって満足ではありません。次なる目標は(プロデビュー)です。プラスただ出場するだけではなく、結果を残し、和歌山のプロを目指しているGKの子や僕と同じ境遇の子達に夢や希望を与えるのが僕の目標であり、使命だと思っています。

そして長くなりましたが、僕がこの投稿をするにあたって一番伝えたかった事、

それは、「自分を信じ行動を実行すれば、その行動は絶対自分の為になる」

 ここまで読んでくれていた方はわかってくれたと思いますが、僕はここまで自分の人生は自分の手で切り開いて来ました。人生は一回きり、できれば後悔して欲しくない、だから人に左右される人生ではなく、自分の手で人生を歩んでいってほしいと思い、この記事を書こうと決めました。

 なので、僕はこれからも色々なものを背負い、全力で、サッカー人生が終わるその日まで、全力でプレーしていき、これからの人生も自分の手で切り開いて行こうと思っています。

長い時間お付き合い頂いた方、ありがとうございました。

どうでしたか?少しは参考になったでしょうか!

もし、この記事が為になると思って頂けていたら、色々な方に届けたいので、SNSなどで拡散の方宜しくお願いします。

昔のサッカーのお話は以上にしたいと思います。

これからサッカーのお話をする際は日々のサッカー日和として更新していきたいと思います!

ご静聴ありがとうございました。

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2020.5.28



 


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