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2022年7月の聖書タイム「私の中の、知らない『子供』」

by 山形優子フットマン

山形優子フットマンの執筆・翻訳 by 「いのちのことば社
新刊「季節を彩るこころの食卓 ― 英国伝統の家庭料理レシピ
翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著
「とっても うれしいイースター」T・ソーンボロー原作
「おこりんぼうのヨナ」T・ソーンボロー原作

子供達を私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者達のものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこにはいることはできない。」
ーー マルコによる福音書10:14~15

そろそろ夏休みです。英国の子供達の声が海に山に、元気に響き渡る時期です。ヴィクトリア時代の諺に「Children can be seen, but not heard.」、「子供達は目に見えても、(子供達の声は)聞かれない」というのがあります。つまり「子供はうるさいので静かにするよう躾ける」という意味で、昔の厳格なイギリス紳士淑女は表向きには子供嫌いだった様子が想像できます。

マルコによる福音書が書かれた時代はどうだったでしょうか? ユダヤ教に基づく男性優位の社会でしたから、「女・子供」はセカンド・シチズンだったでしょう。冒頭の聖句は「キリストに祝福してもらいたい」と願い、子供達を連れてきた親達に対し、弟子たちが「うるさい子供を連れてくるな」と叱った時のことです。これをご覧になったキリストは、子供を大事にするようにと、逆に弟子たちを叱ったわけです。

ファミリー・ツリーと言って、英国では子孫がどこから、どこまで続くかを、木の枝が別れてのびていく絵図にすることが多々あります。日本でも先祖から今に至るルーツを家計図にします。もちろん、このファミリー・ツリーは「この世」の系図で、旧約にも新約聖書にも、キリストの家系図が長々と書かれている箇所が、いくつかあります。それは、「神の子」キリストが「人」の姿をとって、この世に生まれたことを明らかにする良い手がかりとなります。

けれども新約聖書の時代が到来し、キリストが十字架にかかり、私たちの罪を贖い、人が神の前に義とされ、キリストの兄弟姉妹になることができるようになってからは、聖書に家系図が細かく記録されている例はありません。マタイによる福音書には、公生涯を歩き始めたキリストが

「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれかそして、弟子たちの方を指して言われた。誰でも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟姉妹、また母である。ーー マタイによる福音書1246~50

と語ったとあります。血縁を超え、天の父なる神様の家族になるという家族再編の時代が幕開けしたのです。

もちろん、この世の血縁家族はだれにとっても大切で、聖書は親を敬うことの大切さを教えています。そして、子供は人類の宝、「うるさい」存在として扱うのは不当で、子供の人権は尊重されるべきです。「女・子供」はセカンド・シチズンではありません。一方、聖書が指南する子供の価値とは、この世の価値感を優に越えたものまでにも及びます。冒頭の聖句は単に教会の日曜学校の子供達や、子供達一般のことを大事にしなさいということに留まりません。

子供のように神の国を受け入れる人でなければ決してそこに入ることはできない。

同上の冒頭聖句はどういう意味でしょうか? 私たち大人は人生経験、学歴、読書、思考を重ね、自分なりの答えや価値を探る力を身につけ、人生における判断や選択基準にしています。それは良いことで、この世のファースト・シチズンの証拠です。が、心の奥では「自分の判断は間違うこともあるけれど、正しい方」と満足していませんか? 金銭的にも自立、社会的にも受け入れられ、ほぼ安定する生活を営むあなたは独立自尊の大人。自分で自分を見て管理するはず。しかし、自分を見張る自分自身が、実は、あなたを本当の自分から遠ざけます。あなたの中の本当の自分を、あなたはセカンド・シチズンにしている可能性があります。

実は、あなたの中には、未知のユニークな「子供」が住んでいます。けれども、常識的な大人のあなたは、その「子供」がいることをすっかり忘れていませんか? 知的なあなたは、例えば、創世記に登場する人類の先祖アダムとイヴの話を読む時、鼻でせせら笑ってしまうかも。無理に信じろと言っているのではありません。この世の常識からいったら、信じれなくて当然。でも、聖書を読む時も、日常生活においても、あなたの中に潜む「子供」の声に耳を傾けたら、あなたの知性には丸みと深みが加わり、知識は知恵となるでしょう。その「子供」の小さな声は、あなたの人生を豊かにします。

耳を傾けて聞きわたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。」ーー イザヤ書55:3

「子供達を私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者達のものである。」ーー 冒頭聖句

ご存知かと思いますが、心理学では、その「子供」を、インナー・チャイルド(Inner child)と呼びます。神の国を知りたいと思うなら、自分の中の「子供」の声を聞き取る練習をする必要があります。頭脳と常識だけで聖書を読むのでは不十分。まずは、あなたの中の「子供」と付き合うことが大切です。その子供は、神様が創造された、あなたの本質であり、あなたの個性です。

天国の門の鍵を手に入れたいなら、インナー・チャイルドと二人三脚することをお勧めします。けれども大抵その「子供」は抑うつされています。生い立ちの中で、他の大人や親達に傷つけられたり、または、あなた自身も、その「子」を傷つけてきました。そうです。自らインナー・チャイルドを、セカンド・シチズンに追いやっているのは、あなたかもしれないのです。

どんな人もヒーリング(癒し)が必要です。「子供」を自分の中に見つけたら、弟子達に叱られた親達のように、「子供」を連れてイエス様の前に出ることが肝心です。あなたの「子」をイエス様のところへ伴えるのは他でもない、あなただけです。イエス様は、傷ついたあなた=子供(インナー・チャイルド)を大歓迎してくださいます

「そして子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された
ーー マルコによる福音書10:16

イエス様はご自分がいたいけない「人の子」として生まれたことを常に心に留められ、弱さを通して私たちを愛されました。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ーー中略ーーその名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」ーー イザヤ書9:5

マタイによる福音書22:39には「隣人を自分のように愛しなさい」とあります。自分を愛するとは、自分が自分の中にある小さな「子供」を愛し、育むことでしょう。ところで、あなたの隣人の中にも「子供」が住んでいます。「子供」同士、互いに手を繋ぎあい、神の家族の輪を広げていきたいものです。