見出し画像

10月の聖書タイム「収穫期は短い」

by 山形優子フットマン

山形優子フットマンの執筆・翻訳 by 「いのちのことば社
新刊「季節を彩るこころの食卓 ― 英国伝統の家庭料理レシピ
翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著
とっても うれしいイースター」T・ソーンボロー原作
おこりんぼうのヨナ」T・ソーンボロー原作

「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで弟子たちに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」ーーーマタイによる福音書9:36~38

冒頭の聖句はキリストのガリラヤ伝道活動が一巡した際、弟子たちに明かした感想とでも言いましょうか。キリストは人々の魂の救いを農作業にたとえて、「収穫」という言葉を使いました。近年の収穫作業は普通、トラクターなど機械を使いますが、キリストの時代にはたくさんの働き手がいっせいに畑に繰り出し共同作業で麦を刈り取りました。「収穫は多いが、働き手が少ない」とキリストが語ったように「魂の救い」は昔も今も機械で十束一絡げというわけにはいきません。なぜならイザヤ書43:4にあるように「私の目にはあなたは価高く、尊い」からです。

冒頭聖書箇所の「働き手」とは、誰のことでしょう?収穫の場面を舞台とする旧約聖書ルツ記を参考にすると、登場する「働き手」とは、畑の主ボアズの召使いである監督、農夫たち、女性たち、若い衆です。加えてボアズ自身も頻繁に現場を訪れ指揮を下し、自分も作業に加わったようです。

ここで、ルツ記のあら筋を。モアブの地に暮らし二人の息子と夫を失ったナオミは、亡くなった息子が娶ったモアブ人の嫁ルツに付き添われ、ナオミの故郷ベツレヘムに帰ってきました。時は収穫期でした。嫁ルツは、ナオミと自分の食べ物を確保するため近隣の畑に行って落穂拾いを志願。農夫が麦を刈り取る際に落とす穂を、後ろについて拾うのが落穂拾いです。これは貧しい人たちに許された当時の生業でしたが、落穂を拾う人の後に続くのはカラスだけ、いじめられたり、嫌がらせをされたりと楽ではなかったようです。

たまたまルツが出かけたのは、名士ボアズの畑、彼はルツに次のように言います。「わたしの娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落穂を拾いに行くことはない。ここから離れることなく、わたしのところの女たちと一緒にいなさい。刈り入れをする畑を確かめておいて、女たちについて行きなさい。若い者には邪魔をしないように命じておこう。喉が渇いたら、水がめの所へ言って、若い者が組んでおいた水を飲みなさい。」ーーールツ記2:8~9

地主ボアズは女が安心して自分の畑で働けるように配慮してあげています。よそ者のルツは直々に声をかけられ、さぞかし、ほっとしたでしょう。ルツはボアズの言葉に従い、女たちの後につき、姑ナオミと自分の糧のために一心に落穂を拾います。

次にボアズは若い衆に次のように言います。「麦束の間でもあの娘には拾わせるがよい。止めてはならぬ。それだけでなく、刈り取った束から穂を抜いて落としておくのだ。あの娘がそれを拾うのをとがめてはならぬ。:15~16と。つまりボアズは「働き手」に「弱い者に親切にしなさい。持っているものを、さりげなく分かち合いなさい」と指導。そして食事の時はルツに、離れて座っていないで皆と共に食べなさいと言い、「働き手」と「落穂拾い」の距離感を縮めます。またルツが食べ飽きるほどに炒り麦を自ら手でつかんで彼女に与えました。(:14)

もうお分かりでしょう?ルツ記では「働き手」の理想的な姿勢が学べます。規則は一つ、「『働き手』は畑の主人の指示に従う」です。具体的には、落穂拾いの人が遠巻きについてきたら、そっと仲間に入れ、自分が採った分をわけ与え食事も一緒にするーーー収穫の力仕事の他にも、輪を広げ、一時的かもしれませんがコミュニティーを作ることが「働き手」の役目と言えます。ルツ記のボアズはキリストに重なります。ですから、この世で形成される収穫を巡るコミュニティーの「和」は、天にある永遠の共同体に繋がります。
あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」ーーーマタイによる福音書16:19

では、魂の収穫における「働き手」は一体どんな人たちでしょう?伝道師、牧師、聖書のリーダー、洗礼を受けた人のことでしょうか?神学校の卒業証書がある人たちだけが「働き手」でしょうか?いえいえ畑という現場では学歴や資格は問題になりません。ボアズの畑で働く人々は、あらゆる年齢、男女、それぞれ異なる人生の道を歩んで来た人たちの集まりで、「キリスト(ボアズ)の指示に従って仕事をやり遂げる」で一致します。

あなたも私も自分の食べ物、つまり日用の実際の食べ物と、霊的糧の両方の収穫に精一杯かもしれません。けれども一息入れる時、ちょっと後ろを振り向いてみましょう。あなたの落穂を大切そうに拾おうとする人が遠巻きについて来るのが見えますか?そんな時はそっと落穂を用意してあげましょう。その場合の落穂とは、あなた自身が感動した聖書の言葉や、あなたが受け取った神からの大きな愛を、分かちあうことかもしれません。「働き手」とは、あなたであり私です。

ルツ記には、ナオミの夫の畑の所有権をボアズ(キリスト)が代価を払って買い戻し(十字架による罪の許し)、ルツと結婚し子供が生まれたと記されています。このハッピー・エンドのかげには、夫と二人の息子を失い苦渋を味わった寡婦ナオミ、そして知らない土地ベツレヘムで、姑と自分の死活をかけたルツによる落穂拾いの働き、寡婦年金もなかった当時の、二人の女たちのサバイバルがあります。この女たちが単に豊かになっただけのハッピーエンドではありません。ボアズがルツと結婚し、子孫を残したため、風前の灯火だったダビデの家系が繋がり、やがてそこからキリストが生まれ、罪を贖う十字架という人類にとっての一大ハッピーエンドがもたらされたのです。

ルツは、こうして落穂拾いから働き手になりました。キリストが「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」と語ったように、彼女はまさに主の「働き手」として用いられました。

ところで、ルツ記には書いてありませんが、一般に収穫は天気が崩れない前に一気に終わらせる必要があります。魂の救いで言うなら収穫期限は二つあります。一つ目は、あなたが、そして私が「生きているうち」です。命あるうちに自分の魂を収穫物として創り主に刈り取っていただくことです。もう一つの期限は、いつおこるか誰にもわからないキリストの再臨です。その日が来るまでに必ず収穫しておかないと、せっかく成った実にカビが生え、くちるだけです。

見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者、初めであり、終わりである。命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。」ーー~ヨハネの黙示録22:12~14

さて、あなたは「働き手」?それとも魂のフリーターのように、ずっとずっと落穂だけ拾っていたい方ですか?主からコールがあったなら、あなたは応答し喜んで「働き手」になれますか?刻々と過ぎて行く「時」を意識し、短い収穫期を無駄にやり過ごさないように。共に「収穫の主」の畑から離れず、落穂を一本たりとも無駄にしない良い「働き手」となれるよう「収穫の主に願いなさい」と、私たちの主キリストは語ります。

わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四ヶ月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」ーーーヨハネによる福音書4:34~36