わたしは主である ④
4.かたくなな心
私は、おおよそ、聖書の解説なるものを好まない。
が、この文章を進めるべく、なぜ神が、モーセによる二度目のシナイ山の登攀を命じたのか、いちおう「解説」しておくと、
そこには、「戒めの再授与」以上の目的があった。
すなわち、
―― わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。 ――
また、
―― 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち… ――
これらの言葉を、主なる神自身の口ずからモーセが聞き及ぶことこそが、「戒めの再授与」以上の、神の真の目的だったのである。
くり返しになるが、
たったこれしきの聖書解説でさえ、私は私からしか聞いたことのない。
またそして、この世の教会とかクリスチャンとかいう愚物どもには、たったこれしきの解説もできなければ、聞いたところで満足な理解にいたることもままならない。
その証拠に、上のように主の御名を宣言されて、その時、慌てて地にひざまずき、ひれ伏したモーセにおいても、その時にあっては、ほとんど理解することすらできなかったからである。
主の御名はおろか、それを宣言された理由さえ――つまりは、神の心こそを、モーセは理解せず、悟ることを得なかったのである。
さりながら、
それでもその時モーセの心には、かすかな「変化」が起こった。
それは、「わたしは憐れもうとする者を憐れむ」という言葉に呼応するかのように、
これまでにも幾度となく聞かされてきた、「わたしは主である」という言葉の響きの中にもたらされた、変化であった。
というのも、この時モーセにむかって宣言された主の御名こそが、ほかならぬ、「イエス・キリスト」だったからである。
それゆえに、
口の悪い、甘ったれた私が、二度目のシナイ山の頂にあってあいまみえたのも、「イエス・キリスト」であった。
そして、
私はそのイエス・キリストをこそ、「わたしの神」として心に信じ、自分の唇をもって、「わたしの主である」と告白したのである。
これが、冒頭の「対立と分裂」の中で行った、さらには、「命をかけた祈り」の中で行った、私のマニフェストである。
また、神から私に向けての、マニフェストでもある(なぜなら、神はその名前という本質を、対立する人間に向かって宣言したからである)。
そして、これが私の「アーメンごっこ」であり、「信仰ごっこ」なのである。
それゆえに、
はっきりとはっきりと言えることとは、
私はこの世の教会なんかの床の上で、他のクリスチャンたちの猿真似をしながら、胸の前で両手を重ね、首を垂れながら「アーメン」している時に、「イエス・キリスト」に邂逅したわけでは、けっしてない。
まことに退屈なる我が身の上話など、披露する価値もないのだが、
私はかつて、「教育虐待」にも「ブラック企業」にも「格差社会」にも「戦後レジーム」においても、成功を収めた人間だった――病に冒された無二の友人とともに、「文句なしの愛国心」においてすら、私たちは成功者だった。
しかしある日、私はわたしの神の「御手」によって、そのすべてからこぼれ落ちた。
ある日突然、いかなる事前の同意も合意も警告もなく、この地上に生まれさせられたように、
またある日突然、いかなる事前の説明もなく、私は、わたしの神の「計らい」によって、その「御心のままに」、すべての成功を剥ぎ取っていただいたのである。
その結果、私は「教育虐待」や「戦後レジーム」における失敗者となり、落伍者となった。
それでも私は、「失敗」という結果を受け入れることを選択をし、「落伍者」として生き永らえるという決断に至った。
それゆえに、すべての責任は、私にあるのである――あえてこの世的な言い方をするのであれば。
さりながら、
かつて、夏目漱石が血反吐を吐き散らしながら純文学をしたためたように、
また、癌に冒された私の無二の友人が、「復讐のために」ブラック企業にいまだしがみついているように、
あるいはまた、エジプトを出たすべての民は死に、たったひとり生き残った自分もまた、ヨルダンの向こう側へ渡ることを許されなかったモーセが、ピスガの山頂へひとり登っていったように、
そんな「どうしても割り切れない思い」を心にたずさえて、
私もまた、私をさながらヨブのように「不幸にした神」と、
「一対一の、命をかけた決闘」に臨むことを、選んだのであった。
神が与えた絶望の夜にあって、自ら命を絶つような選択ではなく、
同じ命をかけて、神と闘うことを決断したのである。…
しかししかし、
こんなふうに書きながらも、私は特別に大仰な、ドラマチックな行動に打って出たわけではけっしてない。
しょせんこれまで書いて来たような文章が――全部ではないが――「私と神との闘いの記録」にほかならず、
それゆえに、いわば経験的に言えることがあるとするならば、「神と命をかけて闘う」ことくらい、やろうと思えば誰にだってできる行為なのである。(いつもいつも言っていることだが、やるかやらないかだけの問題なのだ。)
しかしかし、
「誰にだってできる」ことではあるが、この世の「教会」だの「クリスチャン」だのいう連中がやっているような「アーメンごっこ」をば一万年くり返してみたところで、それは「神と命をかけて闘った」ことには、けっしてなりえない。――その証拠に、私がこれまで書いて来たような文章のような、たったそれだけのモノですら、神に向かって「バカヤロウ」とさえ言えない彼らなんかには、とうてい書くことはできないから。
私は「教育虐待」や「戦後レジーム」やからこぼれ落ちたように、この世の「キリスト教会」や「クリスチャン」やといった世界からもこぼれ落ちた。
――そんなすべてからこぼれ落ちた時、私は「わたしの神」であり、「いま生きている神」であるところのイエス・キリストと、キリストを死者から復活させた父なる神と、イエスの名によって父なる神から遣わされた聖霊とに、出会ったのである。
――それもこれも、すべてからこぼれ落ちた私が選択し決断した、神との決闘の結果なのである。
もちろん、はじめは予想もできなかった。
「もう一度シナイ山に登れ」と言われた時、それがイエス・キリストとの邂逅になるだなんて、想像だにできなかった。
なぜとならば、
さっきも書いたように、シナイ山とは、あくまでも、神の裁きの山でしかないから。(全山を煙に包まれたあの厳かな姿こそは、神の裁きの顔なのだ。)
シナイ山とは、すべての人間が己の「罪を知る山」であり、
天地が溶け落ちても変わらぬ、神の裁きの座であって、
すべての人間は、ある日突然、否も応もなく生まれさせられたように、
すべての人間は、かの日において、否も応もなくその山を登らされるのである。
なぜとならば、そう、「わたしは主である」から――。
しかししかし、
その時に備えた「訓練」として、
すでに、自分の人生という聖書の中で、シナイ山を二度登ったことのある人間は、知っている。
主なる神の名前がなんであるのか、イエス・キリストとはどのような神であるのか、さらには、「わたしは主である」という言葉をもって神がいったい何を一番に伝えたかったのか――その身をもって、知っているのである。
だから、胸を張って、意気揚々と、神の裁きの山を登っていけるのである。
ただしただし、
はっきりとはっきりと言っておくが、
このような、「登っていける」という趣旨の文章を読んだからといって、誰でも自動的に「胸を張れる」ようになれるわけでは、けっしてない。
また、
仮に完璧なヘブライ語の解説に終始し、聖書の他の箇所との整合性も申し分なく取れており、歴史的背景についての考察も、あらゆるアカデミックな研究分析においても非の打ちどころがないような文章をもって、「モーセは二度シナイ山に登った」というふうに読み込んでみたところが、
ただそれだけをもってしては、一万年を経てみせたところで、「いま生きている神、イエス・キリスト」に出会うことにも、けっしてなりはしない。
もしもそんな程度の努力で可能だったならば、
かつて、シナイ山に二度登り、その身をもって主の御名にあいまみえ、神の御手ずから「完璧なヘブライ語をもって書かれた戒め」を授かり、なおかつ「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」とまで言われたモーセがであってさえ、なにゆえに、失敗してしまったのだろうか――?
まことまことに残念ながら、
「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち…」というふうに宣言された主の御名が、自分に向かって何を言わんとしていたのか、かのモーセにおいてさえ、その真意(真理)が分からなかったのである。
だからこそ、モーセは失敗した。
すなわち、二度目のシナイ山の登頂のその後に、メリバの水のために、岩を二度打つという「大罪」を犯してしまったのだった。
この、岩を二度打ったというモーセの「大罪」について、「メリバの岩とはキリストのことであり、そのキリストを二度打つとは、キリストを二度十字架にかけて殺す行為であり、だからとてつもない大罪なのだ…」などというように「解説」し、だから当然と言わんばかりに「献金袋」を回してまわるのが、この世の「教会ごっこ」である。
はっきりとはっきりと言っておくが、そんな「解説」ふぜいが的を得たものであろうとなかろうと、どうだっていい話である。
ここで起こった出来事とは、メリバの岩に「(水を出すように)語りかけよ」と主なる神から言われたのに、「かたくなな心」をしたユダヤの民に怒りを覚えたモーセが、怒りに任せて岩を二度打った――というだけのことである。
たったそれだけのことではあるが、もうずっと書いて来たように、食べるなと言われた果実を食べてしまったように、「主なる神の言葉とおりに行動できなかった」――すなわち「わたしは主である」を体現できなかった――それゆえの「大罪」なのである。
「イスラエルには再びモーセのような指導者は現れなかった」と言われた人間にして、「二度のシナイ山の登頂」にも生き永らえて、「イエス・キリスト」にも出会ったはずのモーセにして、「怒り」に任せた行動に出てしまったこと――それほどまでに、「人の心は病んでいた」のである。
それゆえに、モーセの怒りとは、「かたくなな心」をしたユダヤの民へばかり向けたものではない――
自分の人生に、
自分の運命に、
また、あらゆる人間の持って生まれた宿命に、
そして、なによりもなによりも、「わたしは主である」という神に対してこそ、
「モーセは怒った」のである。
そんな「どうしようもないような怒り」こそが、彼をして二度、岩を打たせたのである。
ふたつに割れた海の底を渡り、天から降るマナを食べ、岩からほとばしる水を飲んでいようとも――
シナイ山を下山した時、金の仔牛を囲んで踊り狂う民の姿に激怒した神を、命をかけてなだめた祭司であろうとも――
それゆえに「もう一度シナイ山を登れ」という好意を施された、そんな「神のお気に入り」の人間であろうとも――
人が母の胎にあるころからたずさえた、「かたくなな心」とは、
それほどまでに、「何にもまして、とらえがたく病んでいた」のだった。…
そうとはいえ、
裁きの神の目の内にあっては、なんという違いもないのである。
激しい怒りにその身を焼かれるように、岩を打ったモーセの鬼気迫るような姿であろうが、
ひっきょう、金の仔牛像を造って踊り回る民たちの、みだらな(不信仰な)姿に、勝るものではなかった。
「わたしは主である」という神の言葉のとおりに行動できなかった者には、いかなる「違い」もない、
だからこそ、
どんなに祈り、願い求めようとも、ついにモーセは、ヨルダンの向こう側の、乳と蜜の流れる土地に入ることを許されなかったのである。
そして、許されなかったこととは、とりもなおさず、「荒野に死骸をさらす」ことであり、
いかに偉大な祭司であり、預言者であり、指導者であったところが、そんなモーセもまた落伍者に過ぎずして、罪と失敗の象徴たる「死骸」にほかなかったのである。…
そんな「死骸」のように老いさらばえたモーセが、最後の力をふりしぼるようにして語った『申命記』など、いったいどれほどの若き民の心を打つことができたであろうことか。――いやしくも、それが完璧にして美しい、非の打ちどころもないようなヘブライ語で語られた、神の言葉であったとしても…!
表面上はいくらモーセの死を悼んでも、「しょせんは去りゆくばかりの老兵の繰り言」としか受け取られなかった事実は、その後のユダヤ民族の堕落と腐敗の体たらくを見てみれば、瞭然たる史実というものである。
そして、当のモーセは、そんな民の心底を知っていた。
主なる神から、そう言われなくとも、そんな民の「かたくなな心」については、誰よりもよく見抜いていた。
なぜとならば、いくら祈り、願い求めても、けっしてヨルダンの向こう側へ渡って行かせてはくれない――そんな厳粛な、あまりに厳粛な神の審判に向かって、ほかの誰よりも自分こそが、「割り切れない思い」を抱いた者だったからである。
つづく・・・