ナッシュビルよ、永遠にさようなら!(※最悪の聖書の読み方 補足)
「憐れみ深く…」 「慈しみはとこしえに…」
という神の名前、神の本質、神の力の源を、ほかならぬ自分自身の目をもって見ようともせず、自分自身の身をもって知ろうともしない――
心は焼かれ、胸は焦がれ、はらわたは捩れるという思いを持って言葉を言ったり、行動したりしない――
そういうことをする代わりに、さかしらな脳みそなんぞをもって「聖書」を読みこんだり、
ヒトサマの神学という「噂に聞いた神」ばかりお勉強して、信じようとする。
それゆえに、ナッシュビルみたいな、ノーベル賞級の「マトハズレっぷり」をオオマジメに宣言してみたり、署名しちゃったりするハメになる。
倒れた旅人を見て見ぬふりをして通り過ぎた、「祭司」や「レビ人」のたとえ話そのまま。
姦淫の女を引きずり出したエピソードよりも、低レベル。
顔も上げられずに祈る取税人と、自信満々に祈るパリサイ人のたとえ話は、誰に向けて、語られたことなのか。
そんなことも分からんで、よくもまあ、いけしゃあしゃあと、自称「レビ人」やってられますね、って話。
こんなことが、時も2022年まで下ってなお、現実で起こっているなんて。
はっきり言っておくけど、LGBTQプラスや、ノンクリスチャンたちの方にこそ、「善きサマリア人」は存在する。
はっきり言っておくけど、いつの時代も、ほかならぬ、ナッシュビルを作ったり署名したりするような「レビ人」たちこそ、最低最悪の聖書の読み方を繰り返してきた。
はっきり警告しておくけど、これ、「死者が出るような事件」にまで発展する危険性をはらんでるし、本当に本当にヘタすれば、「アウシュビッツ」にまで発展しかねないよ。
はっきり、もう一度言っておくけど、「ヤバいぜ、これ…」
「聖書」をどう読むかが、世界という船の「舵とり」だというのに……暗澹たる思いがする。
ベストな方法は、たった一つだけ。
こんなクダラナイ宣言、議論する価値もなく、考えることすら時間の無駄だから、徹底的に無視。
ナッシュビル自体が、「憐れみ」と「慈しみ」という神の御心に適ってないのだから、徹底的に無視。
ヘタに騒ぐと、誰かさんを喜ばせてしまうから、徹底的に無視。
とにかく無視、徹底的に無視――これが一番の道。
ナッシュビルよ、永遠にさようなら!!