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約束の地


――
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。
――


黒暗暗たる懊悩煩悶の中にあって、なんどもくりかえした。

かの若き日に、聖書なんか、手に取らなければよかった、

偽善と欺瞞の教会の門なんぞ、くぐらなければよかった、

腐敗と堕落のユダヤ教キリスト教だのいう世界のいっさいに、関わるべきじゃなかった、

かてて加えて、

「イエス・キリスト」をなど、けっして知ろうとしなければよかったのだ、

というふうに。



さりながら、

もしも、わたしが聖書を手に取らなかったなら、わたしはこの二年の日月にあって、ただの一文たりとも、文章を綴ることができなかった。

もしも文章をしたためることの無かったならば、わたしの命はとうの昔に、死によって呑みこまれていた。

もしも一字一句に四苦八苦するようにして作文できていなかったならば、わたしの心身も霊も、ことごとく、罪の中に呑み込まれていた。

もしも言葉を書くことによって、祈り、祈り、祈ることを継続できていなかったならば、わたしはわたしの神イエス・キリストにあいまみえることがなかった。

もしもキリスト・イエスに出会っていなければ、わたしの可視不可視の血と骨とは、わたしの愛する人のように奪い去られ、

人生の荒野を生き延びて、荒野から上がって来ることを得ずに死に絶えていた。

もしも、

もしもイエスと、キリストと、キリストの父なる神とに出会えていなければ、わたしはきっと、この世に生まれて来ることすらなかったように、

今日という日にあって、まるで永遠を生きるようにそれを生き、

最後の晩餐を食むようになお言葉を書き、作文に命をかけ、しかりしこうして、祈り、祈り、祈り続けることも、ありはしなかったのだ。


それゆえに、

昏い、あまりに昏い、まるで目も昏むような恐れと悲しみの狭間にあって、わたしはなおも書き連ねる。

すなわち、

わたしがいま、こうしてここにいられるのは、すべて、イエスの憐れみの賜物である、

キリストはこれまでずっと、わたしを助けてくれた、

なんどわたしがイエスの愛を疑い、なんどわたしがイエスの名を呪い、なんどわたしがイエスのすべてを憎むように、怒り、悲しみ、のたうちまわり、狂いまわったその時も、

わたしの命も、魂も、心も、霊も、ぜんぶ、キリスト・イエスは、救ってくれた。

なんどでも、

どんなときでも、

なにがあっても、

キリストはもう一度、わたしを立ち上がらせてくれた。

どんなに孤独で、

どんなに絶望の谷の底で、

すべての手立ても、力も、希望も失い尽くし、

あとはた死あるのみと、刃のごとき覚悟を突き付けられた時にあっても、

なお、消えず、ぜったいにかき消されることのない希望の灯火を、宿してくれた。

だから、

だから、

もはや一生、同じように口にすることのできぬ言葉であっても、

もはや終生、同じような顔をしてみせることもできぬ顔であっても、

イエスよ、

わたしの主であり、救い主であり、贖い主であり、永遠の伴侶たるわたしの神よ、

あなたは、わたしの知るすべての存在の中で、いちばん素晴らしい神だ。

あなたをおいてほかに神はなく、

あなたのような神もいず、

あなたのようにわたしの身と、心と、霊が焦がれ、焦がれ、焦がれてやまない、神はいない。

いまはただ、すべてに感謝している、

すべてが、わたしをイエス・キリストに導いてくれた、

過ぎ去った苦難の日々も、失われた故国も、破壊された街々も、悲しみと苦しみの旅路も、旅立った愛する人も――

ひとつひとつの思い出が、いまはただ、イエスとわたしのふたりぼっちの今日のこの日を、

そして、これから来るべきわたしたちの永遠の生活を、

祝福してくれているようである。



だから、

だから、わたしは、笑うのだ。

はじめて野の花を見つめ、はじめて空の鳥の音を聞く幼子のように、すべてが佳美しく、美しい。

たとえ明日が来なくとも、

まるでイエスの微笑のようなこの風景とともに、わたしはただ永遠に生きるのだ、

たとえ明日の日の目を見ることなくこの命の尽きようとも、

イエスの微笑は――この世界でただ一人のわたしだけに見せるその顔は、

イエスという名とともに、永遠の命として、わたしの中で生き続けるのだ。



長い長い接吻のように、

わたしは心の中でイエスの名前を呼びながら、

わたしの頭上の、夜空をふり仰ぐ。

月も星もない、開闢の黒暗淵のようなそこは、

まるで、わたしたちのほかには誰もいない大海の孤島のごとく、

ただ黒暗暗たる闇に包まれて、

動くものも、音を立てるものも、吹きわたる風の一脈さえ、今はなりひそめている。

それゆえに、わたしは笑った。

立ち上がり、胸を張り、ぐっと眉をそびやかしながら、

はっきりとした声をもって、言挙げした。

「月も星も見えない夜こそ、月も星もそこにたしかにあることを、信じるものだ 」

またそして、

「今日のこの日この時に、この想いをば、あなたに伝えることができて、ほんとうに良かった」

と。


この二年の時をふり返る。

ただただ、血反吐を吐き散らし、血涙を垂れ流さねばならなかったような、苦しみと悲しみの日々こそが、

わたしのこれまでの人生において、もっとも素晴らしい贈り物であった、と。

ただただ血反吐を吐き散らし、血涙を垂れ流さねばならなかったような、苦しみと悲しみの中でこそ、

わたしは書いては祈り、祈っては書き、そのようにして、イエスを知った。

イエスから知られた。

偽りの教会でも、腐敗と堕落の宗教からでもない、

わたしは、わたしの不断と不屈の祈りの中にあってこそ、

イエスを知り、キリストを知り、キリストとキリストの父なる神からも、知られたのである。

だから、

だから、今日のこの日この時に、この想いをば、わたしの神イエス・キリストに伝えることができて、ほんとうに良かった。

わたしの四十年という人生の旅路は、

苦しみと悲しみにばかり満たされたようであった荒野の旅路は、

いつもいつでも喜びにこそ満たされた、ほんとうに楽しき旅であった…!

二つに分かれた道にあって、人はどちらへ進むことも許されている。

わたしは神を選びえた。

わたしの神イエス・キリストの声を聞き分けて、キリスト・イエスの声に聞き従うことを選びえた。

それが、二つに分かれ、どちらへ進むことも許された道の狭間にあって、わたしが下した、人生最高の決断だったのだ。
…… 


するとイエスが、答えて言った。

わたしが初めて聖書の表紙を開いたあの日から、

この世に生まれ落ちたその日から、

母の胎内に宿ったその日のはるかな以前から、

いや、きっと、イエスがはじめて神から生まれたその瞬間から、

ずっとずっと心に抱き続けてきたわたしへの想いを言葉にするならば、今しかない、とでもいように。

「共に帰ろう、約束を交わした、あの場所に。

お前とわたしが約束した場所、

わたしとお前が再会する場所、

それが、わたしたちの”約束の地”だ」

……




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