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もしも寿命が延ばされたなら・・・


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われらが年をふる日は七十歳(ななそじ)にすぎず、あるいはすこやかにして八十歳(やそじ)にいたらん…
願わくは、われらにおのが日をかぞえることをおしえて、知恵の心を得しめたまえ
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南ユダの王、ヒゼキヤは、まことにまことに「幸運」な人物だったと思う。

聖書によると、

「彼は二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった」

また、

「 彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタンと呼んで、これに香をたいていたからである」

ということである。


さりながら、

これと比べ、「最後の良き王」たるヨシアについては、

「彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった」と書いてあることからも、

ヒゼキヤが、その生涯を通して「右にも左にもそれなかった」王ではなかったということもまた、明らかである。

その辺りについては、

「そのころ、ヒゼキヤは病にかかり、死にそうになった。彼が主に祈ったので、主は彼にこたえ、しるしを与えられた。 しかし、ヒゼキヤは受けた恩恵にふさわしくこたえず、思い上がり、自分とユダ、エルサレムの上に怒りを招いた」

というふうにも、はっきりと書かれてある。

いったい、どういうことだろうか?

ヒゼキヤは、何をしてしまったがために(あるいは何をしなかったがために)、「受けた恩恵にふさわしくこたえず、思い上が」ってしまったというのだろうか――?


これは大変に有名な逸話であるが、

ヒゼキヤは死病に冒されたとき、時の預言者から、「あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい」という「主の言葉」を宣告され、大いに嘆く。

その嘆きと涙を憐れんだ神から、祈りを聞きいれられて、「わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す」という約束を与えられる。

そのしるしとして、「日時計に落ちた影を、十度、後戻りさせる」という奇跡まで、ヒゼキヤは見せられている。

そして、このことについて、私はいつでも「ヒゼキヤこそ聖書の中でもっとも幸運な人物ではなかったか」というふうに思うのである。


どういう意味かというと、

ヒゼキヤは死病を癒されて、さらには寿命を延ばしてもらったから、「幸運」だと言っているわけではない。

「日時計に落ちた影が、十度、後戻りする」という、宇宙規模の影響まで不可避な、とんでもない奇跡をばその目で見ることができたからでもない。

むしろ、

「あと十五年」という、はっきりとした命の残数を教えられたからこそ、「聖書の中でもっとも幸運だった」というふうに思わされるのである。

たとえば、

かつてモーセは、「われらが年をふる日は七十歳(ななそじ)にすぎず、あるいはすこやかにして八十歳(やそじ)にいたらん」と詠んだ後で、

「願わくは、われらにおのが日をかぞえることをおしえて、知恵の心を得しめたまえ」 

と祈り求めている。

そう祈ったモーセ自身、百二十歳まで生きながらえた上に、死ぬまで「目はかすまず、活力もうせてはいなかった」ということであるから、この男もまた、大変に「幸運」な人物だったと言える。

しかし私は、そんなモーセよりも、ヒゼキヤの方がなお「幸運」だったと、思われてならない。

なぜとならば、

くり返しになるが、「あと十五年」という、はっきりした数字をもって、「おのが日をかぞえることを」教えられたからである。

これは、現代において、六十五歳になったいわゆる「高齢者」が年金生活を送りながら、「生きながらえても、せいぜいあと十五年くらいだろう」と思い浮かべるような、そんなぼんやりとした憶測なんかとは、ワケが違う。

「人間五十年」なる小唄を歌った心情とも、まったく似て非なるものである。

ヒゼキヤは、「天と地の創造主」であり、この世のすべてを統べ治めている「万軍の主」であるところの、「わたしの神」の言葉として、「あと十五年の寿命」と、確言されたのである。


「二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった」ということから推測するに、「あと十五年」と主なる神から言われたこの時、ヒゼキヤはおよそ四十歳であったと思われる。

当時のユダ王国における平均寿命など、特に興味もない事柄ではあるが、ヒゼキヤと同じような、「主の目にかなう正しいことをことごとく行った」王として、

アマツヤという王もまた、「二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった」ことや、

アザルヤにおいては、「十六歳で王となり、五十ニ年間エルサレムで王位にあった」事実からかんがみても、

ヒゼキヤの寿命はきっと、当時の「平均」ぐらいまで、延ばされたのであろうか。

ちなみに余談ではあるが、「最後の良き王」ヨシアにいたって、「八歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった」ということである。そのヨシア王の最期は、エジプトの王との戦いの中で戦死しているが、それもまた四十歳頃のことだったと推測される…。


それでは、ヒゼキヤが「幸運」だったのは、「平均」まで寿命を延ばされたからであろうか。

決してそうではない。

四十歳の時であれ、何歳の時であれ、「お前の寿命はあと十五年」と、明確に、明瞭に、けっして誤りも偽りもありえない「真実の言葉」をもって、宣告を受けたからこそ、そう言っているのである。

想像してみれば、分かることだ。

もしも、自分の命の残数があと十五年と決定したならば、

与えられた「残りの人生」において、

自分はいったい何をなすべきで、何をなすべきでないのか――

ということが、はっきりと見えてくるだろうから。

この不思議な、不可解な、不可思議な人生において、自分は「何をなすべきで、何をなすべきでないのか」――この一事さえ、人が悟ることができたならば、

誰と付き合うべきで、誰と付き合うべきでないのか――

どこに住むべきで、どこに住むべきでないのか――

何を食べるべきで、何を食べるべきでないのか――

というような細かい生活上の習慣(人間関係、経済・食生活などすべて)にいたるまで、おのずと決まってくるからである。

いつかこうできたらいいなとか、こんなふうになりたいなというような漠然たる「夢」の話から、

いっさいが、

俺はこれだけはしなければならない、私は死ぬまでにこれを成し遂げなければならない、それゆえに、これとこれはなすべきではないといった、「揺るぎなき決意」へと、変わっていくのである。

だから、「幸運」だと、言うのである。

「おのが日をかぞえること」とはまさに、まさしく、まちがいなく、「知恵の心」にほかならない。

そしてそれは、

人類史上もっとも成功した王であり、

なおかつ、神から「知恵と識見が授けられ」、

また、「富と財宝、名誉も与えられ」、

さらには、「あなたのような王はかつていたことがなく、またこれからもいない」とまで言われたあのソロモン王ですら、手に入れたくとも入れられなかった、「知恵の心」なのではなかろうか――?


が、しかし――

ああ、人生とは、どうしてこうもままならないものであろうか。

そして、人間とは、どうしてこうも愚かな生き物なのであろうか。

そんなヒゼキヤにいたって、あるいは人類史上最大の「幸運」を恵まれた人間であったやもしれぬのに、彼はそれをことごとく無駄にしてしまった、あまりにも「蒙昧」なる人物でもあったのだ。

ヒゼキヤはたしかに、その若き日にあって「父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕く」という、素晴らしい改革を行った。

それは歴代誌を読めば、詳しく書かれている。

がしかし、先述のとおり、そんな一連の改革の後に、ヒゼキヤは死病にかかるという不幸に見舞われ、主なる神から死の宣告を受け、涙と祈りによって寿命を延ばされるという体験をしている。

そして、それがためか、

「あと十五年」の日々は、ヒゼキヤにとって、さながら「年金生活」のような、気の抜けた老後の日々にでもなってしまったのであろうか?

あるいは、「宝くじ」にでも当選した者のように、有頂天になってしまったのであろうか?

あるいはまた、

「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください」という涙の祈りが聞き入れられた事実をもって、自分の寿命の延長は、「恩恵」以上に「報酬」であったものと、カンチガイしてしまったのであろうか?

真相は分からないが、いずれにしてもヒゼキヤは、その晩年において、「受けた恩恵にふさわしくこたえず、思い上がった」がために、自分自身と王国の上に、「神の怒り」を招いてしまったのである。

それは端的に、以下のように書かれている。

「そのころ、バビロンの王、バルアダンの子メロダク・バルアダンがヒゼキヤに手紙と贈り物を送って来た。病気であった彼が健康を回復したことを聞いたからである。 ヒゼキヤは使者たちを歓迎し、銀、金、香料、上等の油など宝物庫と、武器庫、倉庫にある一切の物を彼らに見せた。ヒゼキヤが彼らに見せなかったものは、宮中はもとより国中にひとつもなかった」、と。

バビロンとは、後に、南ユダ王国を滅亡させて、若者も老人も、女も子供も、ことごとく殺し、捕囚にして連れ去っていくという血も涙もない暴虐に及んだ、悪名高き帝国である。

晩年のヒゼキヤは、そんなバビロンに対して、侵略の「キッカケ」を与えてしまった最悪の王だった、とも言えるのかもしれない。

聖書には、

「バビロンの諸侯が、この地に起こった奇跡について調べさせるため、使節を遣わしたとき、神はヒゼキヤを試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨て置かれた」

という記述もあり、インマヌエルの神、イエス・キリストが、晩年のヒゼキヤと「共にいなかった」という事も明らかである。

さっき、「宝くじ」という言葉を使ったので、ついでに言っておくと、ある人が宝くじを見事当選させたはいいが、その後、あらゆる詐欺に遭って、宝くじ以外で築き上げたすべての財産まで奪われてしまったそうである。

で、その人の残した遺言というのが、「宝くじに当たった人間がなすべきことは、死ぬまでその事実を口外しないことだ」、というものだったらしい。

ヒゼキヤのように、良かれと思ってしたことかもしれないが、思い上がって、有頂天になって、恩恵を報酬のようにみなして、それゆえに他国の使者に自国の宝物庫も、武器庫も、倉庫も見せびらかしてしまうといった行為は、さながら宝くじに当たったことを口外するような、「どうぞ泥棒に入ってください」とでも宣言するがごとき「愚行」でしかない。

「あと十五年」というまことに「幸運」な宣告を与えられていながら、「おのが日をかぞえる知恵の心」をば得られなかった王は、そんな愚行の極みをば時の預言者によって叱責されたあげくのはてに、国の滅亡の預言まで聞かされた時に、こんなふうに回答している。

「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」

そのときの彼の心は、

「自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた」というものであったそうな。

ああ、それゆえに、

ヒゼキヤなる男は、若き頃は素晴らしかったのかもしれないが、晩年においては、おおよそ箸にも棒にもかからない、この国の永田町にも見られるような、ただひたすらに「おバカ」な為政者であった、ということである。

これほどまでに「幸運」にして、なおかつ「おバカ」な王から学べることは、ひとつしかない。

もしも寿命が延ばされたならば――

もしも宝くじが当たったならば――

けっして、けっして、けっして、誰にも、生涯の伴侶にも家族にも友人にも、口外することなく――

いちずに、ひたすらに、ひたむきに、「己のなすべきことと、なすべきでないこと」に、集中する――

ただそれだけである。


もしも寿命が延ばされたならば・・・?

もしも宝くじが当たったならば・・・?

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