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わたしは主である ⑤

5.「憐れみの山」に登れ



それでは、モーセはいったいなんのために、「シナイ山を二度登った」のだろうか――?

あるいは、「かくも病んだ心」をしたモーセに向かって、神はなにゆえに、「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち…」という主の御名を宣言したのだろうか――?

また、

モーセに負けじ劣らずの「激しい怒り」を神に向かって叫び上げるような、

メリバの岩など百回叩いてもなお叩き足りないような、

イエスも父なる神ももう百万遍、十字架にかかって死んでしまえと叫び上げずにはいられないような、

そんな私に向かっても、なにゆえに、二度目のシナイ山の頂で、「イエス・キリストはあなたの神であり、主である」というマニフェストを行ったのであろうか――?


その前に、

ひとつ、はっきりとさせておきたい。

すなわち、シナイ山を二度登ったからといって、

その頂において「主の御名」をば宣言されたからといって、

モーセとユダヤの民の「荒野の訓練」は、終ったのだろうか――?

その後、日をおくことなく「約束の地」に渡って行って、「神の安息」を得たのだろうか――?

まことにまことに残念ながら、けっしてけっしてそうはならなかった。

つまりは、

問題は解決しなかったのである。

そしてこれは、

私の場合も、まったく同様であった。

すなわち、

私の人生にあって、二度目のシナイ山に登りつめ、その頂きで神の名前をばマニフェストされて――ああ、その時はどんなにか嬉しかっただろう!――それで、私の人生の問題が解決されるかと思いきや、

どうしてどうして、「そうは問屋が卸さなかった」のである…。

それゆえに、またしても「わたしは主である」という荒野の訓練が、

来る日も来る日も、「逃げることも戻ることも許されない」過酷をきわめた訓練が、

まるで終わりもない折檻のように、継続せられたのだった。

それこそ、死んで楽になるか、生きて「わたしは主である」に聞き従うか――

いつもいつでも、そのいずれかの選択を、怜悧な刃のように喉元に突きつけられたのだった。…


しょせんは一冊の本にすきない聖書の展開を述べるのならば、

それでも「四十年」を経たのち、男だけで六十万人のユダヤの大群衆は、「神の約束の通り」に、荒野の旅を終え、ヨルダンの向こう側の「約束の地」へ渡ることを得た。

がしかし、その時ユダヤの共同体を率いたのは、もはやモーセではなく、ヨシュアという名をした後継者だった。

また、その時の「男だけで六十万人もの共同体」とは、「エジプトを出たすべての民」の、次世代の者たちだった。

すなわち、「エジプトを出たすべての民」は、モーセやヨシュアといった者を除いては、「まつろわぬ世代」として、すでに荒野において死んでしまっていたのである。

それでは、

ヨルダンの向こう側へ渡った「次世代のユダヤ民族」の、その後の歴史とはいかなるものだったのかといえば、――あえて一言のもとに付してしまえば、種々なる紆余曲折を経ながらも、まことにまことに「惨憺たる物語」の連続でしかなかった。

だから後年になって、「ユダヤ人が躓いて、かえって異邦人に救いがもたらされた」と書いたキリストの使徒は、

「もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう」

とも書いたのである。…


そうであるならば、ここでまたしても、疑問が沸いてくるのである。

モーセは、いったいなんのために、「シナイ山を二度登った」のだろうか――?

という疑問それ以上に、

「四十年に及んだ荒野の訓練」とは、結局、なんであったのだろうか――?

という苦悶のような疑問が…。

だって、そうではないか。

けっして逃げることも許されないような、過酷をきわめた旅のはてに、やっとたどり着いた「約束の地」にあってなお、「安息を与えられなかった」というのであれば、

そんな旅のすべてが――

荒野のすべてが――

訓練のすべてが――

ただの「壮大なる茶番劇」にすぎぬものでなかったと、いったい誰が否定できようか…!

モーセを含めた、出エジプトを成し遂げたユダヤの民たちは、ただただ「かくも病んだ、かたくなな心」をさらけ出して死んでいったばかりの罪人にすぎずして、

それが、「わたしは主である」という神の仕組んだ、壮大なる茶番劇のオチでしかなかったと、誰が否定できるというのだろう。

それ以上に、

三千年以上経った今なお、モーセやヨシュアが旅した荒野は、依然として、いちじくもぶどうも実らないような「荒野」であり、

だからこそ、かつてユダヤの民たちがそれを評して「こんなひどい所」と嘆いたように、

イエス・キリストが十字架で死んで復活したからといって、この地上の世界もまた依然として「荒野」であり、まるで生きるに値しないような「ひどい所」でしかないというのだろうか。

あまつさえ、

「ヨシュアが安息を与えられなかった」ように、

「イエスもまた安息を与えられなかった」のだと、

それが、「わたしは主である」という神の考えた、「十字架という茶番劇のオチ」であるとでも言うのだろうか――?


モーセは、苦渋に満ちた胸の内で思い悩んだ。

いざヨルダンの向こうへ渡らんとする、意気揚々たる子供たちの背中を見つめながら、荒野で死んでしまったすべての民たちのことを、心に思った。

彼らは皆、かつてエジプトの地に生まれ落ちた時から、奴隷であった。

同じ宿命をもって生まれたはずの自分ばかりが、神の御心によって、ファラオの王宮に住み、王族として育まれるという「好意」を得たが、

他方、同じ宿命の下に生まれた民たちは、来る日も来る日も、「文句なしの労働」を強いられる奴隷の軛のもとに、喘ぎ苦しんだのだった。

その嘆き声を聞いた神が、自分を指導者として選び出して、「出エジプト」という一大事業を成し遂げさせた。

ふたつに割れた大海原が元に戻って、ファラオの軍勢がことごとく水の底に呑み込まれてしまった時、

自分たちの目は、たしかな勝利を仰ぎ見て、心にはてしない未来の希望を見つめたのだった――それこそが、偉大なる神の栄光に違いなかったから…!

それなのに、

葦の海を渡った民は、皆、死んでしまった――まるで生きるに値しない荒野にあって、「エジプトの方が良かった」とまで叫び上げながら、「まつろわぬ悪しき世代」として、死に絶えてしまった。

まるでまるで、海の底に飲み込まれて消えた、ファラオの軍隊のように…。

その時、モーセはひとつの言葉を、思い出した。

「わたしがファラオの心をかたくなにするので…」

あの時、エジプトの地に十の恐ろしい災禍をくだした神は、たしかにそう言ったのだった――そして、「わたしが主であることを知るようになる」、と――。

このようにして、

神の言葉は、ことごとく実現した。

ファラオがそのかたくなな心のために、海に呑まれて死んだように、

出エジプトをなしとげた民たちもまた、かたくなな心のために、荒野に死骸をさらした。

そして、四十年の荒野の旅を耐え抜き、生き抜いた自分もまた、かくも病んだかたくなな心のために、ヨルダンの向こう側を目前にして、今ひとり、死のうとしている。

こうしてモーセは知ったのだった――

神は間違いも疑いもなく、「主である」ことを、あらためて思い知ったのだった。…


が、しかし、

そのようにして、神の「主である」ことをその心に信じ、その唇をもって言い表したモーセだったが、どうしても「割り切れない思い」を抱えて、懊悩した。

モーセは知っていた。

ファラオの心をかたくなにしたのも、民の心をかたくなにしたのも、そして、自分の心をかたくなにしたのも、主なる神である、ということを。

モーセは、荒野の旅路を思い起こした。

主なる神は、「こんなひどい所」にあっても、毎日天からパンを与え、岩からは水をほとばしらせて、自分たちひとりひとりを養ってくれた。

昼となく夜となく迫り来る外敵からも、自分たちの知らない場所でかけられようとした呪いからも、守ってくれた。

朝は雲の柱となり、夜は火の柱となって、自分たちを四十年もの間、まるで生きるに値しない荒野の中を、生き永らえさせてくれた。

――いや、生き永らえたのは、ただひとり、自分ばかりである。

なぜだろう。

どうして、モーセなる名を与えられた自分ばかりが、こうして生き残ったのだろう。

自分はけっして、ヨルダンの向こう側へ渡っていくことなどできはしないというのに…

そして、

ヨシュアに導かれ、モーセなる自分のことも、荒野の旅路のことも、申命記として与えた最後の言葉のことも忘れて、意気揚々と渡っていく子供たちは皆、その地において、やがて神をも忘れ去り、堕落してしまう。

そんな堕落と不信仰の結末として、いずれ国は破れ、民は殺されてしまう。

それが――

それがわたしたち人間の、どうしようもないような「罪」の、その「報酬」であるというのならば、

この荒野の訓練のすべてが――

いったいぜんたい、何のためであったというのだろう…。


なぜ自分は、あの時、燃える柴の中で、神に出会ったのだろうか、

なぜ自分は、特別に選び出されて、神の選民たるユダヤの民の長となったのだろうか、

なぜ自分は、海の底を渡り、荒野をさまよい、シナイ山に登り、神の戒めを授けられたのだろうか、

なぜ自分は、もう一度シナイ山を登り、神の戒めばかりでない、神の御名まで、宣言されたのだろうか、

そこまでの好意を得ながらも、なぜ自分は、心をかたくなにされて、この荒野にあって、子供たちの背中を見つめつつ、死んでいくのだろうか、、

自分は――

自分はいったいなぜ生まれ、いったい何をして、そして、どうして死んでいくのだろうか……


はっきりとはっきりと言っておくが、

このような苦悶、煩悶の類は、なにもかつての「偉大なるイスラエルの指導者」モーセに限ったものでは、けっしてない。

この時代におけるちっぽけな、あまりにちっぽけな「無名の異邦人」たる私の中にさえ、起こらないで済む話では、けっしてない。

モーセがただの「人」であるように、私もまた、ただの「人」にすぎないのだから。

それゆえに、

私がただただ、自分の人生に起こった「ちっぽけな、あまりにちっぽけな不幸」のために、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして煩悶したように、

かつて、

祖国を信じて戦った同胞たちが、どうして原子爆弾によってまるで蒸発するように焼き尽くされたり、黒い雨によって内臓をぐちゃぐちゃに侵食されたりして、殺されなければならなかったのだろうか――

また、

親を信じ、会社を信じ、時代を信じ、国を信じてきた私の友人が、どうして死病に冒されて、親とも縁を切ったように、その時、将来を約束していた恋人とも、別れなければならなかったのだろうか――

「それが運命」「それが人生」「それが人間」「そんなものは甘え」――

もしも、

もしもそれらの言葉が、聖書の言葉のごとく真実だったとしても、

この「痛み」は、いったい、どうしたらいい――

「かくも病んで」いようが、

どうしようもなく「かたくな」であろうが、

この「割り切れない思い」をば、いったい、どうしたらいいのだろうか――?


「わたしは主である」という神は、

荒野において、民の心をかたくなにし、まつろわぬ民を作り上げてしまったのだ――

――いや、それは違う。

あくまでも民が、

ほかならぬ自分の選択によって、かたくなになってしまったのである。

神が悪い――いや、民が悪い――神が――民が――


「わたしは主である」という神は、

モーセの心をもかたくなにし、激情に身を任せる、不信仰な指導者を育て上げてしまったのだ――

――いや、それは違う。

あくまでもモーセが、自分の選択と決断によって――

神が――モーセが――神が――自分が――



一番最初にも言っておいたことだが、私はこのような問いかけについて、「黒白をつける」ような議論や態度には、一掬の関心も興味もない。

それゆえに、

「あくまでも神が正しく、あくまでも民が悪い。あくまでも神こそ正義で、悪いのはモーセであり、民であり、自分自身である、アーメン」というレベルの、この世のユダヤ教キリスト教のありうる限りの宗派教義神学の類いにも、そんなものの旗下により集められたいかなる結社集会共同体による、いっさいの諸活動に、私はけっして「アーメン」しないし、ぜったいに参画もしない。

はっきりとはっきりと言っておくが、

「黒白をつける」のは裁きの神の仕事であり、「教会」や「クリスチャン」なんぞの出る幕では、けっしてない。

しかし、やりたければやったらいい。

二度目だろうが、三度目だろうが、「シナイ山」に登っていって、神と一緒になったような気になったのならば、好きなだけ黒白をつけたらいい。

いつも言っていることだが、やりたければやったらいい、どうぞどうぞご勝手に――。

しかししかし、

はっきりとはっきりとはっきりと言っておくが、

「シナイ山」には、いかなる「救い」もない。

シナイ山はあくまでも「裁きの山」であって、そんな山は、「イエス・キリスト」が「通り過ぎて」行っても、「永遠に住む」ことは、けっしてないから。

かの審判の日にあって、「二度目のシナイ山」を登り、そこにとどまるしか手立てのない者は、ひっきょうイエス・キリストを知らない者であり、キリスト・イエスからも知られていない者である。

少なくとも、私は知らない者でも、知られていない者でもない。

ホレブ(シナイ山)で、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」と、イエス・キリストに祈り求めたモーセも、そんな者ではけっしてない。


それゆえに、それゆえに、

「わたしは主である」という神は、ヨルダンを渡っていく子供たちの後に、たったひとり残された、モーセの心の痛みにむかって、

また、

同様の心の痛みをたずさえた、この私にも向かって、

こう言ったのである。

「ピスガの頂に登れ。そして、自分の目をもって、誓いの土地を眺めよ。」…




つづく・・・

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