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産めよ、増えよ、地に満ちよ


――
神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
…」
――


「もしもモーセやイザヤよりもお前に愛されている、この俺の言っていることが間違っているのならば、さっさと殺せ。 地震や津波で命を失うべき同胞の代わりに、この俺を殺せ。同胞はお前について、こんなふうに口汚く罵ったりしない。だがこの俺は、なんのためらいもなくお前を罵る――だから、お前の名前が憐れみでないならば、俺を殺せ。今すぐにでも、同胞の代わりに、俺を殺せ」――

本年令和六年一月一日に能登半島で大地震のあった時、私は上のように、わたしの神イエス・キリストと、キリスト・イエスの父なる神とに、私の同胞のための憐れみを、祈り求めた。

それぐらい、能登半島の巨大地震は私の胸を焼き、はらわたを激しく引き裂いた。地震や津波が憎いように、神が憎かった。もうなんどとなく、心の底の底から憎み、憎み、憎み続けて来たが、やはり、神は憎んでも憎み足りなかったのである。

それゆえに、それゆえに、私は心に祈った。

このはてしがないほどバカで、非道で、往々にして胸糞悪くなってならないような役病神の力の源であるところの「憐れみの心」をば動かして、動かすことによって一人でも多くの同胞の命が救われるというのならば、この命を失っても良いと、そう思った。…


もしも、

もしも目に見えるかぎりの人生だけを見つめるより手立てを知らぬものならば、私はとつの昔に絶望し、首に縄紐でもくくって、自死していたに違いない。

私が今日ただいまに至るまで、そうしないのは、目に見えていないもう一つの「生」のあることを、知っているからである。

「知っている」という言葉の言意とは、もうこちらで飽きるほどくり返して来たように、この身をもって、生きて、食んで、味わって、習い覚えて来たというという意味である――たった今、この瞬間においてなお。

それゆえに、こちらでなんの悪い事もしていないにも関わらず、一方的な、あまりに一方的な暴力や抑圧や悪辣非道の罪やによって、ちっぽけな、あまりにちっぽけな人生を、めちゃくちゃにされてしまったとしても、

あるいはまた、私が私自身の選択と決断によって、目に映る限りにおいて、まったく愚かな罪を犯し、失敗を犯し、間違いをくり返しながら、自分自身の人生を、台無しにしてしまったとしても、

目に見えないところにおいて、ただ、目に見えないところにおいて、神はずっと、ずっと、ずっと、私という存在を選び、選び、選びつづけて来たのである――

そのことについて、そのひとつ事について、私は「知っている」というのである。

それが、私の真実であり、真理であり、あるいは、たんなる現実である。

またそして、個人的な、なおかつにして歴史的な、大変に歴史的な「使命」なのである。


その証たるが、私のこの二年間における、まことにもって見事な作文の数々である。

私はこの二年の間、これまでの人類史上のいかなる偉人傑物聖人の類においてすら、けっして書くことをえなかったよえな、神を喜ばせ、神の心を感動させる力を持った数多の文章をしたためて来た。

それは、神が、イエスが、キリストが、キリストの父なる神が、キリストを死者から復活させた”霊”が、私に力を与えたからであって、私が特別に人よりも優れた才能を恵まれたからでもなく、誰よりも血のにじむような精励刻苦をくり返したからでもない。

「神想う、ゆえに我あり」――たったこれだけの言葉をもってしても、私は私以外の者の口から聞いたためしがないように、私はただ、この言葉の指し示すところの現実を、真実を、真理を、命を、人生を、この身をもって生きて来たというにすぎないのである。


それゆえに、

私は生来の性分というやつが、明るく、快活な、よく笑う(またよく泣く)、明朗闊達な人間であったことを思い出した。

まるでソドムとゴモラのように、草木の一本をすら残らぬほど破壊された人生の瓦礫の底から、私は「父母未詳以前の私」というものを思い出した。

その時、私はまるで「神に立ち帰る」かのように、心に誓いを立てた――すなわち、これからどんなことがあっても、どんなに孤独で、どんなに絶望の底にあって独り膝を抱いていようとも、私は明るく、明朗に、よく笑い、よく泣く私として、生きるものであると。

私はそのように、神から促されている。

その証としても、私は私の人生という荒野の旅路において、往々にして、ただ訳もなく、笑っていたものだった。

そこに笑うべきたったひとつの理由さえないというのに、私は生まれたこと、生きていること、生きながらえていることとをもって、まるで永遠に生きることを喜ぶかのように、笑っていた。

「神想う、ゆえに我あり」――神がそのように私を創り、私を慈しんでいた。だからこそ、私は笑ったのである。そうして、これからも、どんなことがあっても、箸がこけても笑うように、私は笑う。そのような私が、神から愛されていることを、知ったからである。


これとまったく同様にして、

私は深く思い悩み、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、この人生の荒野の底にあって、悩み、苦しみ、泣き、血反吐を吐き散らすようにして、のたうちまわった。

それもまた、神の目において愛され、御心にもかなったふるまいであったことを、私は知っている。

心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、自分の人生の荒野の道を行く私の姿は、神からもまた、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして愛され、深く憐れまれたことを、この身をもって知らされたからである。

他者の罪でも、己の失敗でも、誰の間違いでもない、強いて言うならば神の罪とでも言うべき天変地異でも、ただ、自分の人生に否も応もなくもたらされたそれらを、私はただ、引き受けた。

それが心に生んだ怒りや悲しみや憎しみを、だれかに親切にしたり、だれかを憐れんだり、慈しんだりすることに、変えていった。


それゆえに、

たとえ生涯を費やしても償いきれない自己の失敗や、もはやけっして取り返しのつかないような他者の罪にまみれた人生であったとしても、だれかのため、なかんずく、神のための役に立てることがあるものと、私はそれを荒野の底にあって、神自身から語り聞かされ、自分自身の身をもってそれを体験し、体現してみせた。

すなわち、私の荒野の旅における神の目的とは、ただひたすらに、神の声を聞き分け、ただひたぶるに、神の言葉に聞き従うことを、この身をもって習い覚えさせることにこそ、あったのである。

それゆえに、

私はもはや奴隷ではない。捕囚の身分でもなければ、恐れという悪霊に憑りつかれた病人(やまいびと)でもない。

私は「この世」とはけっして妥協しないように、この世のいかなる宗教なんかにもぜったいに組せず、資することも、利することもしない――彼らの汚らしい、罪にまみれた偶像をば伏し拝むぐらいならば、はてしがないほどバカで、非道で、往々にして憎くてならないわたしの神イエス・キリストの名前のために、獅子の穴の中へ投げ込まれた方が、マシというものだ。

二つに分かれた道を前にして、人はどちらへ進むことも許されている。どちらへ進んでも、後になってそれが運命だったと言うことまで、許されている。運命は人に対して二つの道を用意するように、それぞれの答えをも用意する。同じ運命が別の答えを用意して、決断を待つ。だから人の問題はいつでも、選択の問題なのだ。

だから私は、この世となんか、妥協しない。

ヨルダンの向こう側へ渡ることもなければ、この世の宝のすべてがいらない――というふうに、ただ笑いながら、答えるだけである。

それが、すなわち、二つに分かれた道を前にして、私の選んだ道だからである。


それゆえに、

ただそれゆえに、

神は私を祝福した。

「産めよ、増えよ、地に満ちよ」――

この地上において、これ以上の祝福の言葉が、どこにあるだろうか。


神は最後の決断をば、この私に委ねた。

可視の人生においてさんざんに、また不可視の人生においてもさんざんに、私を選び、選び、選び続けておきながらも、最後の最後の選択と決断とだけは、この私に託したのだった。

そして私は、正しく選択し、神の御心にかなった決断をくだした。

それゆえに、私は「キリストの子」をその胎内に宿し続け、産み続けるのである。

この二年のあいだに、私は、もはやすでに一生分の仕事をしてしまったはずである。

それでも、

それでもなおのこと、

私は残りの可視不可視の人生において、キリストの子を、ただひたぶるに、産み続けるのである。

そのようにして、

ただそのようにして、

イエスとわたしとは、この地にあって、可視不可視のいずれの、一見まるでだれにでも生きることの可能なような人生においても、けっしてだれにも育めない、「愛」を育んでいるのである。


――
いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。
――





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