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日本帰任と習慣化事業へのきっかけ

こんにちは。WizWeの森谷です。
前回、WizWeの前身であるWEIC入社の経緯から中国赴任までをお話ししました。私は中国にて日本語eラーニングを展開する営業責任者となりました。

2000年代後半の中国は、北京オリンピックや上海万博に湧いており、国全体が活気に満ちているようでした。また、ビジネスチャンスも非常に多くあったように思います。

劇的に変化(進化)する社会の中で、現地法人を立ち上げ、営業チームを組成していく日々は、未知の連続であり、同時に挫折の連続でもありました。

中国の皆さんは、変化が激しくても、状況に応じて柔軟に対応していく力が素晴らしく、今思うと、こうした環境で20代のビジネス経験を積めたことは自分の財産になったように思います。

一方で、WEIC全体としての事業は必ずしも順調という訳ではなく、時間の経過と共に、生き残りが厳しくなってきました。当時は、会社のリソースも日本と中国に分散していましたので、まず会社を存続させていくためにも、一旦日本側にリソースを集中し、WEICの創業事業であり、早稲田大学の中国語教育総合研究所の研究成果が詰まっている「超速中国語」を全力で売って基盤を固めることになりました。

キャッシュが尽きる日も近づいてきていました。。。

日本帰任と中国語事業

私は、2009年12月に日本に帰任し、日本における語学事業の営業責任者となりました。また、当時の社長より、12月中に1名あたり1ヶ月50万円の売上を作る目標が設定されました。

私はWEIC入社前にフィリピンで大きな挫折を経験しており、最後の最後まで粘ることを心に決めていました。まず必要なことは、設定された50万円について、私がまず50万円の売上を作ったというファクトを示し、「売上数字は作れる」と証明することに思いました。まっすぐな法人営業で50万円つくれれば、よいですが、1ヶ月という限られた時間で、法人からの受注を取れることは見込み薄でした。論理的に考えて、最低でも1~3ヶ月はかかると予測できました。よって、法人営業を全力で進めると同時に、その動きと並行で、すぐに数字が作れる個人向け営業を自分の身辺で行いました。

イオン時代の同期、大学の同期や先輩、家族など、頼れるリソースに全てアプローチし、カフェで話をする時間をつくってもらい「過去のフィリピンの失敗経験もあるので、ここで踏ん張りきりたい。打てる手は全部打ちたいので、超速中国語を買ってほしい」と頼み込みました。ありがたいことに、10名くらいの皆様に支えていただき、50万円をクリアしました。

また、「超速中国語」がBtoCでニーズがあるかもしれないという仮説も成り立ちましたので、夕方になると、飯田橋の交番で許可をとって、「超速中国語」の折込チラシとティッシュを配りました。

午後6時から2時間くらい、「中国語です!」「早稲田大学のノウハウです」と言いながら、皆でビジネスマンにティッシュを配りました。冬の飯田橋駅を足早に歩くビジネスパーソンに、一人でも多くティッシュを手に取ってもらえるよう、皆で声を出しながら配りました。

※尚、このティッシュ配りからの受注はありませんでした。配る時間もけっこうかかるし、ノベルティであるティッシュを作るのにも時間がかかって、効率が悪いので、テレアポからの営業にフォーカスを切り替えました。

売上には直結しなかったのですが、皆で一生懸命ティッシュを配ったことで、「とことんやるぞ!」という気合と一体感が部門全体に浸透した感じがありました。

一人だけでやると、すぐ萎えてしまいそうな冬の夜のティッシュ配りですが、皆で、声を張り上げながら、配ると「いやー、疲れたねー」「何人に配った?」などという明るい会話が生まれ、キツイ仕事ではあるのですが、何というか、戦友的つながり、仲間的つながり、が強化されていったように思います。2週間くらい経過する頃には、会社の空気が、明るく、熱気あるものに変わっていったように思います。

そして、こうした一連の最後の粘りの中で、ゲームチェンジャーの役割を果たしたのは、私が、2008年5月のWEIC入社直後に、日本で集めていた名刺、テレアポ営業活動で集めた名刺でした。

法人営業において「売上獲得まで最短距離」を考えると、最も効率的なのは、過去名刺への再アタック。当時の社長のアドバイスもあり、所謂オフィスアワーの間は、過去の名刺に電話アプローチしました。中国赴任前にコツコツ日本でテレアポ営業や、展示会飛び込みの営業をやっていたため、企業の人事様の名刺が100枚くらいありました。

一通り名刺に電話をかけましたが、アポはなかなか取れませんでした。「まずは資料を送って欲しい」という反応がほとんどでした。一日電話をかけて、ティッシュ配りの後に、資料の封入と郵送をしました。

超速中国語の営業資料を封筒に入れ、封筒の表面には、事業部の社員メンバーの写真+私たちがサポートします!という吹き出しをシールのように貼りました。これで開封率が高まると考えたためです。

また、封筒の中の資料の表紙には「私が担当し御社をサポートいたします!」というコメント共に、自分のスーツ姿の写真と、中国に赴任していた自分の経験や、がんばってサポートする熱意、そして、貢献できそうなことを書いておきました。

そのほか、当時は大手企業のグローバル化や、グローバル人材の育成が重要なテーマになっていた時代であったため、日本経済新聞のグローバル人事関連のニュースや取り組みを日経で見つけては、クリッピングしていきました。「日本経済新聞の記事を見ました!」と受付突破でテレアポすると、結構な確度で、人材育成の担当者様に繋いでいただけました。

しばらくするとクリッピング記事もけっこうな分量になったので、記事を要約して、エクセルにサマリをまとめ、幹部人材育成、新卒、外国人採用、語学、などタグ付けして、セグメント分けをできるようにした、独自サマリ資料をつくりました。このサマリ資料を、グローバル人事の最新情報のご提供、として、テレアポ時に資料送付依頼があったお客様には、メールでも送信するようにしました。この資料はすごく人事様に喜んでいただけ、アポが取れるようになりました。

会社のキャッシュがどんどん少なくなっていきましたが、私が日本に帰任して、1ヶ月ほど経過したある日、会社の電話が鳴りました。大和証券キャピタル・マーケッツ株式会社の人事部様からのお電話で「300人くらい中国語のeラーニングをやりたい」という話でした。

同社は、私がWEICに入社直後、留学生採用関連の展示会で名刺交換した先でした。電話したら資料送付リクエストがあったので、上述の資料を送付し、送付後に、定期的にコツコツフォローしていた会社です。電話フォローする都度、「社内で資料回覧していますので、必要があればご連絡差し上げます」という返事で、アポはとれなかったのですが、電話でのフォローは続けていました。

結果、奇跡的に中国語をやりたいという、引き合いをいただいた訳です。

こうして、大和証券様から大口の中国語eラーニングのオーダーが入りました。また、この時期、語学とは別部門においても、大口案件が決まりました。当時のWEICの開発部門の管掌取締役が重要な開発案件を獲得しました。この2つの大口受注によって、私たちは、生き残ることができました。

尚、大和証券様のその時の中国語人材育成については、後に、「日本の人事部」様にて記事広告として掲載しました。今もまだ読むことができます。

「大和証券キャピタル・マーケッツのグローバル人事戦略 アジアビジネスに打ち勝つ人材を創る!~eラーニングを活用した、大和証券キャピタル・マーケッツの中国語研修への取り組み~」 

中国語事業は2010年に法人導入で伸びていきました。この時期に、今もWizWeで法人事業の幹部として活躍する廣瀬や陳がWEICに入社。当時は私も含め皆20代でした。10年以上経過していますが、今も重要ポジションを担いながらWizWeを支えており、本当にありがたく思っています。営業サポートの鈴木も2010年代の前半に入社し、今も支えてくれています。

また、2010年の初頭にお客様から早稲田大学の白木三秀教授(※肩書は2010年当時のものです)が主催するトランスナショナルHRM研究所の研究会(当時はG-MAPという名前でした)の会員になれるという情報をいただきました。研究会では2ヶ月に1回、企業人事様が登壇してグローバル人事施策についての自社の取り組みの発表をしていました。

はじめて研究会に参加した際に発表をされていたのが、当時オムロン株式会社で人材開発部長を務められていた浜崎伸也さんでした。プレゼンの冒頭でご出身についてお話された時に、郷土が三重県で同じ(浜崎さんのご実家は私の母の実家の町でした)であり、私の高校の先輩ということが分かりました。発表後すぐに名刺交換をし、京都へ出張しオムロン様へ営業に行きました。

浜崎さんはこの後に、オムロンビジネスアソシエイツ社の代表取締役を務め、オムロンインドの社長になられます。WizWeを設立しバイアウトでWEICからグローバル人材育成事業を継承する際に、エンジェルとしてご出資いただき、今もWizWeの社外取締役を務めていただいています。2010年の最初の出会いから、仕事のこと含め悩みが相談できる、私のメンターであり、本当にありがたいです。

習慣化事業のきっかけ

中国語事業は伸び始めたものの、日本における法人中国語のニーズは英語の10分の1ほどであり、マーケットごと作っていかなくてはいけないことが分かりました。中国赴任時代に日本語eラーニングを展開していたため、その時の経験から外国籍人材向けの日本語研修はサービス提供ができたものの、外国籍社員採用は本格化する前であり、法人事業は大きな成長を遂げられない状態にありました。

そこで、参入のチャンスを伺っていたのが英語事業となります。しかし、英語事業については、良質なeラーニングや、格安オンライン英会話などは、既に市場に揃っており、「コンテンツ」領域で勝負をしても勝てないと考えていました。

一方で、中国語eラーニング、日本語eラーニングを展開していて、EdTech事業における、一つの大きなペイン(課題)を見つけていました。これは英語でも同じであろうと容易に予測できました。

三日坊主問題です。

早稲田大学の研究成果が詰まった「超速中国語」は、非常に学習成果が高いeラーニングであり、学習を完了すると90%以上の受講者様が中国語初級レベルを身につけることができます。

私は、「超速中国語」は魔法のような商材だと思っていました。実際に超速シリーズのeラーニングのデモをやってみて「これならきっと成果があがる」「語学習得の時短ができる」という実感があり、WEICに応募したという経緯があります。

しかし、これほど素晴らしい商材ですが、学習を最後まで完了する人は20%ほどしかいませんでした。会社側からの強力な強制力(プッシュ)がある場合には、なんとか70%くらいまでは完了しますが、「eラーニングの学習が続かない」という問題に、私たちは、ずっと頭を悩ませていました。

「受講者様が最後までやり抜く状態をつくりだせれば、大きなニーズがある」という確信がありました。「どうやったら、最後まで学習していただけるのか」という問いが、ずっと頭の中にあり、それを実現していく方法を模索していました。

そうした中で、英語事業参入と、習慣化事業開始の大きな一歩となったのは、サントリーホールディングス様が一気に進められた「英語やってみなはれ!」という取り組みです。当時サントリー様は、中核事業会社のサントリー食品インターナショナル様が上場したタイミングで、グローバルM&Aを含め、一気にグローバル市場に打って出ていました。2014年には米国のウイスキー大手のビーム社を買収していくことになります。

人事様のお考えは以下のようなものでした。

良いコンテンツは既にいっぱいあるので、人材開発側が良質なコンテンツを複数セレクトしておき、実際には社員の自発性で何をするかは選んでもらう。英語の学習方法をしっかりと伝えて、全社に英語熱を生んでいきたい。

こうした観点から、『複数のコンテンツプロバイダ様の取りまとめや各種調整をして(=裏側で汗をかいて)、英語学習のノウハウを提供するオーガナイズをする』という言わば、黒衣のプロデューサーのような役割が求められていました。

英語のコンテンツを自社開発しておらず、英語学校でもなく、メインは中国語事業であるという当時のWEICは、フラットに各種英語コンテンツプロバイダ様とやりとりができ、調整をしていくにはよいポジショニングにあったのでした。

結果、大変ありがたいことに、サントリー様に、取りまとめ役のパートナーとしてWEICを選んでいただけました。急に非常に大きな案件が舞い降りてきた訳です。

この時、講師の先生のご紹介でアルバイトとして入社したのが、今WizWeの取締役を務めている細川となります。我々は、全国行脚をしながら、変化の大きな波もあるオペレーションを、皆でくぐっていきました。WEIC社内で多くの人に支えていただきました。

このサントリー様の英語施策の中で、「ある拠点で実施した英語化プロジェクト」が大きな成功をしており、拠点で成功したモデルを、今度は、全国展開して英語熱を高めることになりました。全国を対象ということになったので、学習の手法としては、「全てオンライン」「自己学習」をベースとし、そこに、「最後までやり抜く仕組みを取り入れる」という形式になりました。このプロジェクトについても、実装パートナーとして、WEICを選んでいただけました。

ただし、大きな案件は降ってきたものの、WEICでは、中国語事業が市場サイズが小さく伸びなかったため、部門ごと売却という話も出ていたこともあり、当時中核メンバーだった社員が、一人、また、一人と、離職をしていっていました。その結果、WEICでは、恒常的に業務が逼迫している状態にありました。

そうした中での上記の話であり、お受けすることは難しい状態にあったのですが、長年のペインであった、「習慣化サービス」を立ち上げるには、千載一遇のチャンスでもあった為、社内を説得して、仕事を受けられることになりました。

今思うと、最初にして最後のチャンスであったようにも思います。

この時期は記憶があまりなく、1日2時間ほどの睡眠で、サービスインまで走っていたように思います。業務逼迫するなか、一緒に走ってくれた当時のメンバーや、システム開発面でお力添えいただいた、WEICの開発部門の皆様には心から感謝です。

尚、「最後までやり抜く」という所を目標にしているため、商品を売ってからが、本当の仕事の始まりでした。今で言う、カスタマーサクセスという仕事にあたるように思いますが、当時、そうしたコンセプトは知らず、完走実現サポートとして、人による伴走で、ユーザー様の三日坊主を防止し、学習継続につなげていました。

皆が毎日22時、23時くらいまで仕事をし、学習状況の進捗を見てフォローをし、人事様からのリクエストにも応えていく、という日々が続きました。本当に大変な日々だったかと思いますが、やり抜いてくれた当時のメンバーには今でも感謝しています。

こうしたフォローの結果、サントリー様での取り組みでは、80%ほどの受講者様が最後まで学習を継続することができました。

この成功によって、他社様でも同様の習慣化サポートモデルが導入されるようになっていきました。この時期は、システム面の実装は一部で、人に紐づくノウハウで、習慣化を実現していました。習慣化へのニーズは確かにあり、導入数を年々増やしていきました。

※尚、サントリー様のプロジェクトには伏線があります。サントリー様の、当時の、「リーダー候補向け研修 キックオフの会」で、私がピッチした後に、当時PwCの人事コンサルティング部門の日本代表を務めていらっしゃった若林豊さんと名刺交換することになりました。その後も、情報交換や事業面での連携の話が続き、WizWeを設立する際に若林さんにもエンジェルとして支援いただきました。今も社外取締役を務めていただいています。

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