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わたしと野田村vol.5

旅が好きだ。

私にとって旅は、小さい頃から日常の一部だった。自分は北海道で育ったが、母は京都出身で、生まれた時から毎年何回かは北海道から京都に帰るのがお決まりだった。それもあって、自分にとって飛行機や旅行は身近なものだった。中学生の頃には、母が大阪の心斎橋付近で友達とお茶している間に1人で新世界に行くようになり、高校生になったら部活のオフに1人で北海道から飛行機に乗って京都に遊びに行くようになっていた。それくらい、自分にとって旅は身近なものだった。そしてもちろん、旅が好きだ。

高校生の時ずっと欲しかったフィルムカメラをゲットして撮った1枚


旅をしている時にいつも思うことがある。
花壇に水をあげているおばあちゃん、下校中の小学生、自転車を漕いでいる人、車窓から見える公園のベンチで寝転がってるおじちゃん、その隣で走り回る子ども。
今すれ違った人も、ここに住んでる人たち、ここで暮らしている人たち、一人一人に人生があって、一人一人生まれてから今ここに至るまでのストーリーがある。

「ここに暮らす人たちの人生を知りたい」

いつしか自分はそう思うようになっていた。
そして、その想いを実現できるのがここのだせんだった。

大阪のある街。どんな家族の元に生まれて、どんな友達と過ごして、どんな人生を歩んでるんだろう。

のだせんに出会ったのは大学2年生のICU祭。
のだせんの活動に惹かれ純粋に入りたいなと思ったが、2年生の秋なのもあって今からだと遅いかなと少しひよってしまった。(マイキー、すまん)でも、次の年のICU祭でまたのだせんのブースに行き、テントに貼ってあったのだせん年表を見て、やっぱり入りたい、そう思った。今から入れるのか、募集はしているのか、いろんなことを考えたが、人生一度きりなんだしやりたいこと全部やらなな、と思い、勇気を出して連絡をしてみた。そんなこんなで、のだせんに加入させてもらえることになった。

入ったのは去年の11月。
そして、2ヶ月後の1月には野田村に足を踏み入れることになっていた。

野田村の空気は澄んでいて、とてもきれいだった。
空は青いし、上を見上げても視界に遮るものは何も入ってこない。
1回目の野田村での日々は瞬く間に過ぎ去っていった。5日滞在したが、体感は5秒。それでも、役場の皆さんはじめ、たくさんの村民の方々と会うことができた。そして、たくさんの経験をすることができた。子どもたちとカレーを作ったり鬼ごっこをしたり、村のワーケーションの動画に協力させてもらったり、村の伝統を継ぐ方々の技を近くで見させてもらい体験させてもらったり、なもみに参加させてもらったり。のんちゃんハウスで過ごした毎日も格別なものだった。あの夜みんなでした大富豪は、今までした大富豪の中で確実に一番楽しくて面白かった。断言出来る。

そして、忘れられないのは、なもみで見た光景だ。集まった方々は皆、お互いを下の名前で呼び合ったり、冗談を言い合ったり、じゃんけん大会でとてつもない盛り上がりを見せたり、その仲の深さがひしひしと伝わってきた。そして、ここが私が今回の滞在で最も惹かれた部分でもある。村民の方同士が親戚みたいに仲が良いのだ。もちろん全員が全員そうではないと思うが、それでもこの関係性は他の地域、例えば東京ではあまり見られないものであると思う。

なもみがぐる゛ぞお゛

あたたかい人。ますます、野田村が気になってきた。
赤ちゃんとも、子どもとも、大人とも、おじいちゃん・おばあちゃんとも、野田村の人のことをもっともっと知りたい。野田村の日常に溶け込みたい。

野田村への訪問は、帰省でも、旅でもない、また新たな、特別な経験だ。

野田村。
きっと、自分にとって北海道、京都、広島に続く第4の故郷になるのだと、そんな予感がしている。

びー

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