第2章 続き 〜イブの晩ごはん

退院を決める検査の結果は。。。<可>
優でもなければ良でもなく、しかし不可ではない。

退院に問題なし、食事療法と運動療法を続けながら日常生活に戻ってよし、とのお墨付きはもらえたのだが、検査で分かったことがまたさらに不安の種となる。

今回脳梗塞を引き起こすきっかけとなった箇所の血管は、もともと少し細いようだ、と言われていた場所なのだが、検査の結果からもう少し詳しくその様子が確認できた。

通常真円に近い血管の形状が、楕円になっており、そのせいで細くなってしまっている箇所があるらしい。

おそらくこれは先天的なものなのだろうし、仕方ない部分ではあるのだか、改めて聞かされるとやはり怖い。

とは言え、手術は無事に成功したわけだし、術後すぐの時点ですでに症状は無くなっており、かなり運の良い状態で入院生活を続けられていたことも間違いないのである。

何せ病室で唯一、リハビリを一切していないレアな患者なのである。脳卒中の患者が集められた病室としては珍しいパターンだったのだと想像する。

退院が決まるまでの間、精神的にはプラスにもマイナスにも大きく揺れ動いた。

絶対に元通りの生活を取り戻してやる、と言うプラスの意思と、再発したらどうしよう、と言うマイナスの意思だ。

リハビリがないにも関わらず、1週間ほど自由に動くことを制限されていた(安静度を高めに設定されていた)ため、とにかくベッドの上にいるだけの時間が続いた。

明らかに<ただベッドで寝ているだけ>の日が10日近くに及び、確実に体力・筋力ともに落ちているため、何かしらの変化はある。

立ったら少しふらつく、歩くと少し歩きづらい、頭痛を始めとしたあちこちの痛みなど。

これらもいちいち(再発の兆候か?)と悪い方に取ってしまうくらいマイナス側に引きずり込まれることが多かった。

病院の早い消灯時間では、やはりなかなか眠りにつけず、マイナスの意思が頻繁に顔を出すことになる。

悪い方ばかりを考えては、落ち込み涙し、ふと我に返って(頭の血管なんて自分でコントロールしようもないから生活習慣くらいしかやれることはなくて、あとは運任せよな。。。)と開き直るの繰り返し。

一方で病院食は想像よりも遥かに美味しく、食事のときは(復帰するためにちゃんと食べないと!)とここではプラスの意思が働き、全て完食した。

とりあえず最短での退院決定となったので、あちこちに「退院決まりました!ご心配おかけして申し訳ありませんでした」といった連絡をしたのだが、クリスマス当日の今もこの文章を病院のベッドの上で書いている。

退院3日前くらいから発熱があり、いよいよ明日退院と言うその夜39℃近い高熱となってしまったことで、急遽退院を見送り、検査をすることとなったのだ。

PCR検査
血液検査
尿検査

の3つを実施し、コロナは陰性。赤血球?か何かの数値が上がっており感染症の可能性があるということで、抗生剤を投与して様子見、改めて血液検査の結果をもって退院の判断をしよう、ということになった。

正直発熱はあるものの、自分でも驚くほどそれ以外の自覚症状が全くなく、(何だコレ。。。)と言う感覚でしかなかったが、せっかく退院してきた家族がいきなり高熱ではまた余計な心配をかけてしまう。しっかり治して退院するのが良いに違いない、と思い大人しくしていることに。

抗生剤治療を始めたのが退院予定日だった12/23。当然翌日は世間が賑わうクリスマスイブである。

12/24朝、前日の2回の投与が効果てきめんとなったか、期待通り発熱は下がる傾向を示した。カラダも回復を実感できた。夜に向かう中で体温は何度か行ったり来たりを繰り返したが、間違いなく回復傾向である。

昼間に、正確には血の繋がりはないので叔母と呼ぶのは正しくないのだが、親戚のようなもので、立ち位置的に叔母と表記するのが適当と思われる女性からLINEが届いた。

 ・退院したらしいね、息子と娘も心配してるよ
 ・葬儀の時はありがとう

と言う内容であった。

私が救急搬送されたわずか4日前は、彼女の夫の葬儀があった。

ALSと言う難病を患い64歳の若さでこの世を去った、叔父のような関係であった彼の葬儀で、普段は飄々としている彼女が号泣しているのを見て、私も涙を堪えることは出来なかった。

亡くなった彼は父が長年勤めている会社の社長であり、また関係性としては弟のような距離感でもあったため、日に日に弱っていく彼をずっと見ていた父もまた、棺の前で号泣していた。

それから僅か数日後に、今度は息子が救急搬送。母だけでなく父の心労も相当なものに違いない。

そのようなことも思い浮かべながら、葬儀以来初めてやり取りをした彼女に

・退院が延びたこと
・今回起こったことをまとめた記事【第2章】

をLINEで返す。彼女からは、記事を読んで「泣いた」「大丈夫、頑張って」の返事が。
そりゃ彼女は泣くよな。。。と思いつつも「ありがとう」くらいの言葉しか出てこない。早く元気な姿を見せないと。。。


さて、いよいよイブの晩ごはんである。当然私は病院食。昔からイブだからといって特別なことをするタイプでは無かったし、仕事で家を空けることも度々あったので、そこまで気にすることでは無いかなと思いながらも、一度は決まった退院が延期になり、妻には申し訳無かったなと思いながら食事の次巻を迎える。

イブの晩ごはん

いつものメニューにはない、デザートがついておりMerry Christmasの文字。

これを見た途端、涙がポロポロ溢れてきた。寂しい、悲しい、悔しい、情けない、など色んな感情がごちゃまぜで一気に押し寄せ、生まれて初めて泣きながらご飯を食べた。

この2週間ほどで、人生の初体験がたくさん続く。

抗生剤治療が終わったら、今度こそ本当に退院のはず。マイナスの感情にばかり引っ張られてはいけないね、と言う自分にある曲との出会いが。

めったに見ることのない、インスタのリールを適当に流している時に出会ったのが “Fight Song”

これからの自分を鼓舞するのにぴったりだなと感じてすぐに保存。2年位前の曲みたい。

さぁ、今度こそしっかり退院報告できるように、元の生活に戻れるように、頑張ろう。

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