公立小に「自分キャッチコピー」のレクチャーへ
久しぶりの公立小学校訪問
年の瀬ではありますが、ことしも機会をいただけました。自分キャッチコピーのレクチャーにいってきました。61人の子どもたちです。
レクチャーで私が大事にしているのは、「わくわくして書く」「書きたい!」ところまでもっていく!ことです。とても利発な子どもが多くて、驚きます。
レクチャー中はみんな前のめりです。私語もたくさん飛び交ってそれなりに「あったまって」いたと思ったのですが・・・ひとりだけ、noteに書きたくなるような子どもがいました。
レクチャーの後は、班ごとに分かれてのワークです。わたしは「ゆるっとサポート」に徹するのですが、その女の子も「まだ何も書いてない」状態だったので、声をかけました。
「できた?」「テーマは見つかった?」
「ない」
「・・・コピー書けない?」
「ない」「書けない」「ないから」
下を向いてじっとしているので、しばらくアレコレ声がけをするのですが、泣いちゃいそうだなと思ったときにはぽろぽろと泣き出してしまっていたのでした。
泣いてしまった女の子
彼女を前にして私は「ああ、わかるなあ・・・」でしかなくて。
「いっぱいになっちゃったんだねえ」「それは苦しいねえ」と私までぽろぽろ泣き出してしまったのです。きっと真面目な子なんでしょう。
彼女の「ない」は、考え過ぎちゃって、いっぱいになっちゃって、もう「わかんない!」の「ない」だったようにも感じました。
あとから思うに、私が泣いた気持ちの中には「まだこういう子っているんだ!」という嬉しさのようなものと、「君のような子どもにこそ、どんなときも言葉はミカタなんだよ!」と、まだそんなことはわからなくて泣いている彼女に感動すら覚えたからだと思います。
「素敵なものはもうもっているから、「ある」から。今出せなくても大丈夫だよ」そんな声がけをしつつ「なんだよ〜、私まで泣いちゃったよ〜〜!」と、半ば笑いながら彼女の背中をさすり、どうにかがんばろうよと励ましながらいたのですが、すぐさま気づいた先生がいらして彼女に「きょうはやめとこう、皆の発表を見ていよう」となったのです。
まるごと受け入れるという素敵さ
その手はアリなのか!と驚いて、「学校の先生ってやっぱりすごい」と感心してしまいました。そして「発表しない」彼女を、どの子も揶揄することもなくそのことを「とっても自然に」受けいれていたこともすごいなと。私にはおどろくことばかりでした。
子どもたちへは特に、自分キャッチコピーのねらいを「自分を好きになること」「どんなときも胸を張れる自分をつくること」としています。
それには「受け入れる」こともとっても大事なんです。ありのままを、です。それが気に食わなくても、です。「ああこんなショボイことしか書けないんだ私」ということを受け入れるから、「そんな私でも、それなりにがんばってるじゃん、ヨシヨシ」だったり、「じゃあ、がんばるだけじゃん!」も生まれると思うので。
うまく書こうとするなと、私が言う理由のひとつでもあります。
だからまるごと、受け入れる。その学校の子どもたちも大人たちも、まずは周りがそれをやる。お手本を見せてくれている。そんな気がしました。
泣いた女の子とした約束
彼女とは、毎年もらっている学校からの御礼の手紙の中に自分キャッチコピーを書いて教えてね、と伝えました。待ってるねと言ったけれど、果たして御礼の手紙が来るのかもわからないし、そこに書いてあるかどうかもわかりません。
でも、今日あったことを彼女はきっと忘れないと思うので。それでいいのです。
感受性が強い子、というのはどこにでもいるものですが、やっぱりそういう子は素敵なものをもっているし誰にも奪えないものなので。いつか自分で自分をちゃんと抱きしめてあげられたら、きっと勝手に、とても健やかに何かをクリエイトし始めるのでしょう。
そっとそっと、それまで待ちましょう。知らんぷりで。笑
帰宅後、こんなことがあったよと娘たちに伝えると、先生が泣いてるのはかなりヤバイと言われました・・・気をつけますw