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【私の愛した猫娘】
この子と過ごした三年間は、本当に充実した幸せな日々だった。
短い日々だと思ってしまいがちだが、長ければそれでいいということではないはずだ。所詮、時間などという概念は、人の猿知恵が作り出したものにすぎない。この子は自分の一生を精一杯生きたのだし、この子と一緒に過ごした日々は、何物にも代えがたい幸せな日々の連続だったのだから。
三年前のこの子との出会いは、運命以外の何ものでもない。この子はその尊い一生を共に過ごす相手として、私たちを選んでくれた。きっとそう遠くない自分の最後を看取ってくれることもわかっていて、私たちのもとにやってきてくれたのだ。
「体が思うように動かないのだろう」と思い、私たちが手を貸そうとすると「私にかまわないで」とでも言うように、自分の好きなところによこまかと歩いていく。食べることもできなくなりもう体力など残っていないはずなのに、一体どこからその力を出していたのか。
保護してすぐ、動物病院の先生から「野生の血が濃い」と言われた。「人と一緒に暮らすには向いてない性格だ」とも言われていた。たしかに凛として気高く、そして誇り高きその性格は、「人の助けなど必要ない」とばかりに、誰の手であっても自身の体に触れさせることはなかった。私と連れ合いだけが、この子にとって唯一の例外だったのだろう。
容態が一気に悪化して、自分で満足に動くことができなくなってさえも、診察する病院の先生を威嚇して、この子は自身の体に指一本触れることを許さなかったのだ。鎮静剤で動きを抑え、やっとのことで血液検査とレントゲン検査ができたのだが、「生きていることが信じられない」と先生は言い、「こんなに病気が進んでいるのに、威嚇するほどの力がどこから出てくるのか? すごい生命力ですね」と感心していた。レントゲンの結果からわかったことは、先天性疾患の疑いが大きいということだった。
「人と一緒に暮らすには向いてない性格だ」と言われたこの子だったが、私たちにだけは、甘えん坊で、わがままで、おてんばなその本当の素顔を見せてくれた。そんなこの子のことを、私はけっして忘れることはないだろう。
出会いに偶然などなくて、それはいつでも必然。ならば、私たちは選ばれた。この子はたくさんいる人間の中から私たちを選んで、一緒に精一杯生きてくれたのだ。
「当たり前というものは、かけがえのない奇跡の連続なのだ」ということに、私はあらためて気付かされた。
生と死は、紙の表と裏のようなもの。それは単独で存在するものではない。そんなことはわかっている。だけど、わかっていても、津波のように押し寄せる悲しみを、苦しみを、どうすることもできない。
もっと、もっと長く、一緒に生きたかったのだが、それは許してもらえなかった。これが、この子の背負ってきた運命というものであり、それを見届ける役に選ばれた、私たちの宿命なのだろう。なら、私たちにできることは、この子のしたいようにさせ、僅かに残された日々を、穏やかに送れるようにすることだけだと思っていた。
泣いて悲しむのではなくて、感謝の言葉をかけてあげよう。ありがとうと、毎日伝えよう。この子と生きた日々は、かけがえのないとても幸せな時間だったことを、ちゃんと伝えよう。そうして、この子の嫌がる治療などはせず、無理させず、自然に穏やかにその日をこの子が迎えられるように、その準備を手伝ってあげよう。そう思っていた。
そして最後の日、まるで眠るように穏やかに、この子は帰って行った。
2024年4月23日 記
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【自然は優しい】
自然の死というものは、
なぜにこれほど慈悲深く
穏やかなのだろう。
苦しむ様子もなく、
ただゆっくりと死に向かって行く。
自然の法則とは、
限りなく優しいものだった。
生命の神秘は、
それが終わる時でさえも美しい。
死とは厳しいものではなく、
むしろ優しく、
ぼんやりとした朝霧に包まれているようなものなのかもしれない。
苦しみが襲うそのずっと前に、
眠気や倦怠感が、
あらゆる感覚を麻痺させるのだろう。
そうして、それを間近にしたものから、
あらゆる現実のもつ意味を、
覆い隠してくれているとしか思えない。
悲しいのはそれを想像するからだ。
死というものは、
苦しみや恐怖のないものとして、
すべての生きものに授けられている。
「こちらにおいで」という、
太古からつながる遺伝子の呼びかけに答え、
ただその場を去るだけ。
動物たちにとって、
これが死というものなのだと思う。
いや、人にとっての死も同じはずだ。
自然を共有し、分かち合うことを忘れ、
独占しようとするその傲慢さが、
医学という名のもとで、
病気を耐え難い恐怖に変えた。
やがてそれは、
死に対する恐怖となり、
敵対する対象になった。
死は悲劇の対象ではない、
自然は悲劇を生まない。
人の想像力が、悲劇を作り出すのだ。
スズメが風と舞い、ツバメが囀る、
鳥たちは繁殖の時期を迎えた。
芽吹いたばかりの浅緑の若葉が山を覆い、
雪解け水がサラサラと川を下る。
野には黄色いたんぽぽの花が咲いている。
柔らかい土を押しのけて、筍の頭がでていた。
完璧に作られた自然の営みだ。
当たり前に繰り返されるそんな営みの中で、
今日、一つの命が帰っていった。
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