【道行き6-1】
【第六章『病院』-1】
隆夫と茉由が集団暴行事件に巻き込まれた。旅先で田澤から事件の連絡を受けた八雲は、すぐ仙台に戻ってくると田澤のいる東警察署に行った。
「おう、昌ちゃんおはよう。早かったな」
警察署の受付で八雲は田澤を呼んだ、時刻は朝の六時を過ぎたばかりだった。呼ばれた田澤は眠っていない様子で、ボサボサの髪に無精髭という、ますます一般人からかけ離れた風貌で現れた。
「徹夜組ですか?」
「あぁ、バカガキどものおかげでな! お前さんもだろう、何時ごろ帰った?」
「こっちこい」と八雲を呼んで応接室に向かいながら、田澤がそう聞いてくる。
途中の販売機の前で立ち止まり「ブラックでいいか?」と言い、返事も聞かずにブラックコーヒーのボタンを押す。それを八雲に渡し、自分の分は微糖を買った。
「こっちに着いたのは、五時過ぎでしたね」
応接室のソファーに腰を落とし、コーヒーを開けながら八雲は答えた。
「で、田澤さん、どういうことだったんですか?」
「何ね、埠頭でこの頃、集団暴行事件が頻発してたんだ」
コーヒーを飲みながら田澤が話し始める。
「知っていると思うが、仙台港は夜間進入禁止になっている。入っていいのは港湾関係者だけなのだが、時々一般人も侵入してくる。その中には数は少ないがカップルもいる。それを狙って待ち伏せし、男はボコボコにして女をもて遊ぶ、という連中が現れた。そして昨夜その標的になったのが、隆夫と例のお嬢さんだったということだ」
「そうだったんですか…… で、二人は?」
「お嬢さんは気絶していただけだが、隆夫はかなりやられてた。命に別状はなさそうだが、まだ目が覚めない。精密検査はこれからだが、全治三週間ってところだろう」
「どこの病院に?」
「医療センターだ、行くか」
「あぁ、すぐにでも行きたい」
「心配でしかたないって顔だな。わかった、一緒に行こう」
田澤のボコボコになった車で二人は病院に向かう。
「この車、どうしたんですか?」
「昨夜の勲章だよ」
「通報で駆けつけてくれたんですね」
「見廻り中だったんだ、若いのと二人で埠頭の中をな。そしたら『女性の悲鳴が聞こえた』って通報があって直行したって訳さ」
「それで、なんでこんなボコボコに?」
「だから、勲章だよ! 逃げようとしたから停めた」
「停めたんじゃなくて、ぶつけたんでしょ!」
「おんなじじゃねぇか、二台とも停めたんだ」
「私にはできないな~」
「やる必要もないだろう、あんたには」
そんな話をしているうちに車は病院に到着した。駐車場に入るため順番待ちをしていると、ほとんどのドライバーや通行人がボコボコの車を見た。しかしこの車のドライバー、つまり田澤の風貌を見た人は、顔を背けるか早足で立ち去った。
隆夫はまだ目が覚めないということだったので、八雲は茉由の病室に向かった。田澤は「医者に用がある」というので、別行動になった。
田澤から聞いていた病室に向かい「下月茉由」と書いてある名札を確かめてから、八雲は引き戸をノックする。
「はい、どうぞ」
聞き覚えのある声が病室の内側から聞こえる。八雲がゆっくり引き戸を開けると、病室の中に居たのは茉由一人だった。ベッドに座っていた茉由に驚きの表情が現れ、次に大きく開いた瞳から大粒の涙がこぼれて落ちた。
「大変だったな、大丈夫か?」
この八雲の一声が引き金になったのだろう、茉由は八雲に飛びつき大声で泣きじゃくる。
「怖かっただろう、無事でよかった」
それだけ言うと、八雲はただ茉由を抱きしめた。
所用で病室を離れていた婦人警官が茉由の泣き声に気づき、病室に入ろうとするのを昇が止めた。
「ちょっと二人だけにしてあげましょう」
「え! あぁ、そういうことですか」
婦人警官は「うふふ」と笑い、「何かあったら、呼んでください」と言ってその場を離れていく。茉由のしゃくりあげる声が小さくなったところで、昇は引き戸をノックした。
「はい」と返事をして茉由は八雲から離れ、涙を拭いた。
「あ、お父さん」
「ヤバい」声に出さなくても、その表情で茉由の考えが八雲に伝わる。
「え、お父さまですか、はじめまして八雲と申します」
「茉由の父、昇です。はじめまして」
しばし三人は黙っていたが、昇が最初に口を開いた。
「こんな場所で、とやかく言うほど野暮じゃないつもりだ。落ち着いたらゆっくり話を聞かせてもらうことにしよう」
「ありがとう、お父さん」
「わかりました、あらためてご挨拶に伺います」
八雲はまっすぐ昇を見つめてそう言った。
「ちょっと家で休んでくるよ、昼までにまた来る」
そう言って昇が部屋を出ると、やれやれという表情をして八雲が言う。
「いきなりだったから、驚いたよ」
「うふふ、とんだご対面になったわね」
そう言って茉由は笑った。
「昌夫さんって、八雲っていう名字だったんだ」
「そうだよ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないわ。っていうより、自己紹介なんてされてないし」
「だったか? じゃ今さらですが、八雲昌夫です。よろしく」
「下月茉由です、よろしくお願いします」
本当に「今さら」だったが、病室で初めて二人はお互いのフルネームを名乗り合った。
「ところで、どうしてここに?」
「田澤の旦那から夜中に連絡があったんだ」
「あの刑事さんが……」
「大雑把な話は聞いたよ、本当に無事でよかった。隆夫くんが守ってくれたんだって」
「そうなの、あんなにボコボコにされて…… 私、なんて言っていいのか……」
「彼は本気だ。本当にキミのことが好きなんだよ」
「でも…… 私……」
「ゆっくり休んでから考えればいい。今は心を休めるんだ、いいね」
そう言う八雲に、茉由は何かを決心したように言う。
「隆夫が…… 昌夫さん隆夫が人を、私のために人を殺したかもしれない!」
「どういうことだ!」
これには八雲も驚いて聞き直した、田澤からそんな話は聞いていない。
「私、見てしまったの! 隆夫が鉄パイプを持って……」
コンコンと引き戸がノックされ、田澤が入ってきたのはその時だった。
「そろそろ大丈夫かな? 事件があった時の話を聞かせてもらうよ」
そう言うと田澤は丸椅子に腰を下ろした。
「はい……」
と返事をした茉由だったが、心細そうに八雲の顔を見る。
「私は? 席を外した方が……」
「ま、いいだろう。昌ちゃんがいた方が、このお嬢さんも話しやすそうだ」
田澤にそう言われ、八雲も丸椅子に座った。
「それじゃ聞かせてもらおうか。始めからね、ゆっくりでいいからね」
いつの間にか、田澤の隣に婦人警官が立っていた。
茉由の話しは、大筋では犯人たちの供述と一緒だった。だが、最後の鉄パイプの話になった時、田澤の顔が少し歪んだ。
「鉄パイプをね…… 犯人たちはそんな話、してなかったんだが……」
しばし考えて田澤は言う。
「極度の緊張でそんな夢を見てしまう、ということもあるようだ。この話は隆夫が目を覚ましたら確認してみよう」
「でも、私は本当に見たんです! 隆夫が……」
「しかしですねお嬢さん、じゃなくて下月さん。犯人は全員確保されているんですね。そして、その中に鉄パイプでやられた奴なんて一人もいないんですよ」
「本当ですか? 本当に誰も……」
「本当ですよ、安心してください。隆夫は誰もやってない」
やっと納得したように茉由は小さく頷いた。
ーー続くーー