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【道行き7-3】
【第七章『佳奈』-3】
佳奈の店でヘアドネーションに協力して髪を切った茉由は、初めてボーイッシュなベリーショートになった。細部を仕上げながら、佳奈が聞く。
「で、今は男いないの?」
「うん……」
「怪しいな~ いるんでしょう」
「ちゃんとお付き合いしてる人はいないわ」
「じゃ、ちゃんとではない人はいるんだ」
「だから……」
「話しなさい。昨夜、本屋で推理小説なんか探してた理由もね」
佳奈の言葉には人を操る力がある。言葉の力、俗に「言霊」と言われることもあるが、それとは別なもののようだ。強いて言えばカウンセラーのそれに近いかもしれない。「言葉の力」というよりは、「聞く力」というか「相手に話させる力」かもしれない。
佳奈が高校生の時、ある事件がきっかけで親友が自殺した。あまりにも大きなショックに、佳奈自身も壊れてしまいそうになったことがある。見かねた両親はあれこれと佳奈を気遣い、話し合ったりもしたが、なかなか佳奈を前向きにすることはできなかった。困り果てた両親は、専門家に頼るという選択をする。つまり、カウンセラーの力を借りることにしたのだ。
ここが佳奈にとって転機となった。そのカウンセラーに自分の気持ちを聞いてもらうだけで、高校生の佳奈はみるみる自分を取り戻していった。やがて自分もカウンセラーの道に進みたいとまで思い始めた佳奈は、一旦美容師になる夢を捨て、心理学を学ぶために大学へと進学することになる。
だが、勘違いしないで欲しいのは「カウンセラーは聞き役ではない」ということだ。「聞いてもらった」と受け手が思っているだけで、本当は「話させられている」のだ。優秀なカウンセラーほど、この「話させる能力」に優れている。この部分については、コールド・リーディングに近いものだろうと思っている。事実、佳奈をカウンセリングしたカウンセラーは、このコールド・リーディングの達人だったことを、佳奈は後になって知るのだった。
大学で心理学を学びながら「なにかが違う」と感じていた佳奈は、すぐにこの違いに気づき、独学でコールド・リーディングを学び始める。「ただ心理学を学んでも役には立たない。実践して、失敗と成功を繰り返しながら、己の力を強大にしていかなければならない」ということに気づいたからだ。
もともと頭のよかった佳奈は、このコールド・リーディングの虜になり、大学は二年で中退した。その後は本来の夢だった美容師の世界に入って行くのだが、コールド・リーディングの世界が忘れられず、独学による勉強は続けていた。そして茉由のような実験材料を使い、日々実践で自分を磨いていたのである。
そんな佳奈の手にかかると、話している当人は、話すというより「聞いてもらいたい」という気持ちにさせられる。いや、むしろ自分が話しているということを、自分で意識していないかのように話してしまうのだ。相手が佳奈でなければ、茉由もすべては話さなかっただろう。
早めにランチタイムを取って、佳奈は茉由を店の外に連れ出した。佳奈の行きつけのカフェでランチを食べながら、隆夫との事件の経緯から今に至るまでの大まかなことを、茉由はすべて佳奈に話してしまった。当然、その話の中には八雲との関係も含まれている。
話し終わった茉由に、いたずらっ子のような目をして佳奈が聞く。
「で、茉由はその中年男に惚れたってわけ?」
「そんな…… 違いますよ、惚れたとか言わないでください」
「だって話を聞く限り、そうとしか思えないわ。その隆夫っていう同級生に惚れてるわけじゃないでしょ」
「だって、隆夫は……」
「ほら、じゃその中年男しかいないじゃない」
「中年男って……」
「白状しなさい、惚れたんでしょ」
「う~ん、よくわかんないけど……」
茉由の目を覗き込むように身を乗り出し、耳元で佳奈が言う。
「ネ・タ・ノ?」
一瞬間をおいて、茉由の顔がみるみる赤くなる。
「アハハ! 冗談よ。でも茉由って生娘でもないでしょうに、真っ赤になっちゃって、かわいいな~」
「からかわないでくださいよ、本当にもう」
「ま、その様子じゃ、まだ告ってもいないんでしょ」
「だから、まだそんな関係じゃないって……」
「いつになったら、そんな体の関係になるの?」
「体の関係って、だから……」
なにかを言い出そうとして口ごもり、茉由は俯いた。
「あ、ごめん。もうこんな時間になってたんだ。お店に戻らなくちゃ」
店の壁掛け時計で時刻を見た佳奈が、「マズイ」という感じで伝票を手にとる。
「また今度、ゆっくり進展を聞かせてね」
「あ、佳奈さん、私の分……」
「今日は面白いお話聞いたから、ランチはおごるわ」
慌てて財布を取り出す茉由にウインクして、佳奈は店を出て行った。
「あぁ…… また、佳奈さんの口車に乗せられたわ」
そんな独り言を呟きながら、茉由も店を出た。
カフェを出た茉由は、隆夫のところに行くため原チャに乗った。メットを被ったときの違和感は大きかった。髪が短くなって、ワンサイズ大きなメットを被ったように感じたのだ。
病室の前で茉由は一瞬立ち止まる。「だいぶイメージが変わったわよ」といった佳奈の言葉が思い出された。
「まさか、わからない、ってことはないよね」そんなことを考えながら引き戸をノックする。
病室の引き戸は開いたままだった、ベッドの上で隆夫が本を読んでいるのが見える。その隆夫がノックに気づき、引き戸を見てポカンとしている。
「こんにちは、調子はどう?」
いつも通り声をかける茉由を隆夫は凝視している。
「あの~ どなた……」
「エヘヘ、わかんない? わたしよ」
「わたしって……」
そう言って茉由を見つめた隆夫が驚きの声を出す。
「茉由!」
「よかった、違う女の人の名前じゃなくて」
「どうしたんだ、その髪」
「そうか、隆夫は初めてだったね。似合うでしょ! 三年くらい伸ばして切るのよ、私。ヘアドネーションって知らないよね」
「なんだその、ヘアなんとかって?」
「なんとか、じゃなくてヘアドネーションよ。って言っても、男の人はたいてい知らないわね」
「病気とかで髪をなくした子どもたちにウィッグ、と言ってもわからないか。簡単に言うと、人毛で作ったカツラを送るボランティアのことだよ」
「え!」
背後から男性の声がして、驚いた茉由が振り返る。
「昌夫さん」
ベッドの上から、隆夫が声をかけた。
「久しぶりにきたけど、おじゃま虫になったみたいだね」
「そんなことないですよ。なぁ、茉由」
照れくさそうに隆夫が言った。
「こんにちは、昌夫さん」
「こんにちは。ずいぶん髪、短くしたんだね、驚いたよ。でもよく似合っているよ」
挨拶した茉由の頭の中では、さっきまで一緒にいた佳奈の言葉だけがグルグル回っている。八雲の言葉など、留まる場所はない。
「惚れたんでしょ」「ネ・タ・ノ」「いつになった、体の関係になるの」
明確に否定できなかった自分の目の前に、今、当人がいる。動きがぎこちなくなり、次の言葉が出ない。
「あ、あ、あの、私、お茶買ってきます」
ーー続くーー
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