【道行き4-4】
【第四章『昇の店』‐4】
尾形の伯父の家に着いた昇は、亡き尾形の伯父のオーディオセットと対面する。それらは往年の名器たちだった。尾形はこれらをすべて昇に引き取って欲しいと思っていた。
「足元を見るにもほどがある。これを十五万って、どこのバカが査定するとそんな金額になるんだ!」
尾形の伯父のレコードコレクションは、ざっと見ても五百枚はある。昇はそのレコードのすべてを見たわけではない。だが、今、無造作に引き出しターンテーブルに乗せた一枚のLPの管理の良さを見れば、他のLPの管理状態にも察しがついた。
「オレに怒るな。オレは伯父が大好きだったんだ、その伯父が大切にしていたこれらが二束三文で処分されるのは忍びない。できたらこれからも大切に使ってくれる人に譲りたい、金額の問題ではないんだ」
「わかった。で、いくらなら譲る?」
「言ったろう、金額ではないって」
しばし腕組みして機器を見つめていた昇が口をひらく。
「おれも専門ではないから、正しい査定ができる訳ではないが…… 区切りよく百でどうだ、それならすべて引き取ろう」
「百だって! そんなに高値でか?」
「いや、たぶんそれ以上の価値はあると思うが、私は今無収入なんだ。これが出せる限界だ」
「わかった、決めよう! 言い値の半分の五十でいい、それでお前に譲る」
「どういう意味だ、百でも安いといっているのに」
「ちゃんと伯父のコレクションを評価してくれたからだ。お前のような奴に使い続けてもらいたい。きっと伯父もそう思っているはずだ」
「親父さんに相談しなくていいのか?」
「大丈夫だ、任されている。リサイクルショップ以上の値なら、いくらでもいいとさ」
「そうか…… だが、五十ではあまりにも伯父さんをバカにしたような金額だ。末広がりの八十で手を打たないか? そうしてもらえると、私もうれしい」
「八十か…… 値段を下げる奴は多いが、上げた奴は初めてだ。お前を連れてきてよかったよ」
「私も同じだ、お前が友人だったことに感謝している。じゃこれで商談成立だな」
「あぁ、大切にしてやってくれ」
「わかった、約束する」
「そうと決まれば長居は無用。帰るとしよう」
ということになり、戸締りして三人は帰路につく。帰りは尾形が運転した。
「引き取りはどうすればいい」
車中で昇が話しだした。
「それなんだが…… 今月中に運び出さないといけない。借家契約が切れるんだ」
「そうか、業者を頼むほどの量でもないから、トラックを借りて運ぶか」
「会社のバンで運べないか? 日曜なら使える」
「そうしてもらえると助かるが、一回じゃ積みきれないと思う」
「運転はオレがする。朝から始めれば、二往復でも大丈夫だ。壊れないように荷造りだけしっかりしてくれ」
「なら、お願いする。いつがいい?」
「確か来週には遺品整理業者が入るらしいから、今度の日曜に運び出そう」
「バタバタだな、わかった」
ということに話は決まった。
仙台に戻り、昇と茉由を自宅に送ると尾形は会社に向かった。
「お父さんって、本当に好きなのね」
自宅に戻り、コーヒーを入れ始めた昇に茉由が言う。
「なにがだ?」
「音楽、っていうよりオーディオが、かな~」
「あぁ、好きだよ。音楽も、そしてオーディオもね」
「じゃ、なんで家には無いの」
「あはは、なんでだろうね。私に勇気がなかったからかな~」
「勇気? 好きなことするのに勇気がいるの」
「いるんだよ、現代っ子のお前にはわからないかもしれないね」
「うん、理解不能」
「あはは、そういうはっきりしたところは、母親似だな」
「たぶんそうね。それよりコーヒー飲もうよ、ぬるくなるよ」
「あ、忘れてた」
そう言うと、昇は用意していたカップにコーヒーを注ぐ。
「それでどうするの? けっこう場所取るよ」
「そうだな……」
「レコードも一緒に持ってくるんでしょ」
「場所取るよなぁ……」
「………」
なにを聞いてもうわの空の昇を店に残して、茉由は夕食の準備を始めた。
その昇は唇の端が笑っている。これは昇の癖だ、ワクワクすることを考え始めると、他のことは一切目に入らない。
「よし!」と自分に気合いをいれ、昇は尾形に電話する。
「尾形か、ちょっと相談があるんだが、今大丈夫か」
「大丈夫だが、どうした? キャンセルはなしだぞ」
「そんなことするわけ無いだろう。そうじゃなくて、土曜から荷造りに入りたい」
「あぁ、そうか。大丈夫だが、荷造りにそんなに時間が掛かるか?」
「たぶん、掛かる」
「わかった、お前がそう言うならそうだろう」
夕食を食べながら、昇は茉由に聞いた。
「茉由、週末はどうする予定なんだ?」
「特に予定はないけど、どうして?」
「今日見てきたものの引き取りなんだが、手伝ってくれないか」
「一人じゃ無理そうなの?」
「たぶんな。土曜から荷造りしようと思っている」
「うん、いいわよ。手伝ってあげる」
「よかった、助かるよ。お礼に土曜は温泉に泊まろう」
「え! いいの」
「天童温泉がすぐそばだ、そこに泊まろう」
「うれしい、温泉なんて久しぶり」
はしゃぐ茉由を見ながら、昇は荷造り用のダンボール箱やテープなど梱包材料の個数を頭の中で計算していた。
昇と茉由は土曜の昼前に東根市に着いた。
レコードの箱詰めを茉由に任せて、昇は機器を梱包する。尾形の伯父はまめな性格だったのだろう、押入れに機器を購入した時のダンボール箱やクッション材がすべて保管されていた。そのため、思っていたよりスムーズに梱包作業は進み、夕方にはほとんどの作業を終えることができた。
その後、宿に入った二人はのんびり温泉を楽しんでいた。心地よい疲労感を露天風呂で癒しながらこれからのことを考えていると、昇はワクワクが止まらなくなる。まるで夏休みが待ちきれない子どものように心が踊っていた。欲しかったおもちゃを買ってもらったばかりの子どものような、笑顔が絶えない昇のこんな顔を、茉由は見たことがなかった。妻を亡くしてから沈んだままだった昇の心が、やっと生気を取り戻したように感じて茉由は本当にうれしかった。
翌朝、尾形はトラックでやってきた。
「やっぱり二往復は辛いからさ、レンタカー借りてきたよ」
トラックを降りた尾形の第一声は、こんな言い訳だった。
「こりゃ助かる、まだラックがそのままだったんだ。このトラックなら、バラさずに積み込める」
昇はそう言って尾形を迎えた。
「だいぶ片付いたじゃないか、前乗りは正解だったな」
尾形は伯父のオーディオルームを見ながら昇に言った。
「尾形のおじさま、おはようございます」
茉由が挨拶する。
「茉由ちゃん、おはよう。疲れたろう」
「私は大丈夫ですよ、夕べも温泉でのんびりできたから」
「そうだったな、オレも前乗りすればよかったよ」
「お前まで来てたら、俺たちは全員二日酔いだ」
「あはは、そりゃもっともだ」
ーー続くーー