【 ストレイシープ 14 】
検査の結果に問題はなく、月曜日の午前中に予定通り退院した佳江は、入院中に考えていたあることを実行に移した。
部屋に戻るとシャワーを浴び、着替えをして外に出る。地下鉄に乗って向かった先は古い住宅地だった。最寄り駅で乗ったタクシーは、佳江が言った住所をナビで検索してから走り出し、やがてかなり古い作りの市営住宅の前で停まる。
「さっきの住所だとここですよ。最後の『501』は、きっと部屋番号でしょうね」
ドライバーはそう言うと「どうしますか?」と佳江にたずねた。
「少しここで待ってて貰えます?」
「いいですよ」そう言うと、ドライバーは後部座席のドアを開けた。
その建物には数か所の入り口があり、そこには各部屋の郵便受けが設置されている。501という数字から推測して、佳江は一番端の入り口に向かって歩き出す。佳江の勘はドンピシャッだったが、501の郵便受けには「高橋」という名前が記入されていた。
「やっぱりね…… となると、免許証は偽造ってことになるよね」
建物の住人らしき中年の婦人が歩いてきたので、佳江は軽く声をかけた。
「いいお天気ですね」
「はい、暖かくて助かります」
「こちらにお住まいですか?」
「はい、ここの一階です」
「実は「滝崎」さんという方をたずねてきたのですが……」
「滝崎さん?」
「はい、滝崎直次郎さんです」
婦人は少し考えてから佳江に問う。
「どちらの方ですか?」
「あら、ごめんなさい。私は……」
そう言うと、佳江は上着のポケットを探りだした。
「あらやだ。私、名刺忘れてきちゃった。◯◯病院、事務課の佐藤と言います」
「佐藤さん」
「はい、滝崎さんにちょっと用事がありまして…… お電話が通じなかったものですから、こうして訪ねてみました」
「そうなの、何号室?」
「501と書いてありました」
「え! 501は高橋さんよ、ずいぶん前から」
「そのようですね、困ったわ」
「それに滝崎なんて名前、私は聞いたことないよ、ここで」
「そうですか…… 何かの間違いかなぁ~ 帰ってよく調べてみます。ありがとうございました」
婦人に頭を下げてから、佳江はタクシーに戻った。
「お待たせしました、さっきの駅に戻って下さい」
「はい」
タクシーのドライバーは、返事だけして車を動かした。
横澤から連絡があったのは、その翌日のことだった。
「さっき、先生に連絡してみたんだ。そうしたら『明日なら』ってことだったから、どうかなって思ってさ」
「明日か…… うん、いいわ」
「そうか! じゃ場所と時間を聞いて、メッセ入れるよ」
「うん、ありがとう。お願いね」
「了解ですよ」
「和哉くん、本当にありがとう」
「よせやい、友だちじゃないか」
「本当、感謝しているわ」
「わかったよ、じゃ明日な」
「うん、明日ね」
そんな電話の後、しばらくして横澤からメッセージが入る。
「メトロポリタンホテル、1Fラウンジ、19時30分」
「了解!」とだけ書いて、佳江はメッセージを返した。
その日、佳江は五時を過ぎると、さっさと帰り支度を始める。
「あれ、先輩。今日はもうお帰りですか?」
「早~い。先輩、今日はおデート? いいな~」
「うるさい! あんたたちも、さっさと終らせて帰りなさい」
「は~い、先輩、楽しんでね~」
「ほんとに、もう! うるさいんだから!」ブツブツ言いながら、佳江はロッカールームに急ぐ。
「せっかく時間を作ってもらったんだから、待たせるわけにはいかないしね」
そんなことを考えながら、そそくさと身支度を整えタクシーに飛び乗った。
駅に着くと、時間はまだ六時を過ぎたばかりだった。「いくらなんでも、早すぎね」そう呟き、佳江は駅に隣接したショッピングセンターに入る。
夏物の洋服とか、それに合うバッグなどを物色し、七時を過ぎてから佳江はホテルに入った。ラウンジを見渡したが、それらしい二人の姿はない。
「よかった、私の方が早かった」ホッと胸を撫で下ろしたとき、後から肩を叩かれた。振り返ると、横澤と並んで直人が立っている。
「早かったじゃないか」
「エヘヘ、だって、お待たせしちゃ悪いから……」
佳江は照れくさそうに、俯いて横澤に言った。
「こんなところに立っていては、迷惑になります。ひとまずそこに掛けましょう」
直人が二人を促して歩き出す。
「今日はありがとうございます。改めまして、高城佳江です」
イスに座る前に、佳江は直人に名刺を渡して自己紹介した。
「あ、ありがとうございます。私も名刺を……」そう言って上着のポケットを探る直人を見て、「クス」っと佳江は笑った。
「なぁんだ、高城さんが持っていましたか」
「え!」佳江は何のことかわからず、ポカンとしている。
「ほら、そこのポケットの中」
佳江が直人の指差すポケットを探ると、見たこともない名刺入れがそこにあった。
「え! これ?」そう言って名刺入れを直人に差し出すと
「はい、私の名刺入れです」と言いながら、直人は名刺を一枚取り出した。
「え! なんで? どうして?」
佳江はわけがわからず、横澤を見た。
「柴田直人です。今日はお付き合い頂いてとてもうれしいです」
直人はこう言いながら、佳江に名刺を差し出す。
「先生~ しょっぱなからそんなことして~」
笑いながら、横澤は直人に言った。
「少し緊張しているように見えましたので、どうぞ」
直人の手には、まだ名刺がそのままになっている。
「ありがとうございます」
佳江は恐る恐る直人の名刺を受け取った。
「お飲み物は?」
ウエイターが水を持って、三人のそばに立っている。横澤と直人はコーヒーを注文し、佳江はオレンジジュースを注文した。
「先生は手品師でも、十分食べていけますよ」と、横澤が言うと、
「こんなものでは、とてもとても……」と、直人は謙遜するように答えた。
「いえ、私も大丈夫だと思います。本当に驚きました。いつ、どうやって?」
「あはは、それは秘密です。ネタをばらしたらマジシャンは終わりです。でも、高城さんの緊張はなかなかほぐれてくれないようですね」
直人の指摘通り、佳江の緊張の度合いは増していた。
「初対面なのにもう心の動きを読まれてる。こんな人を相手にするの、私は……」
そう考えると、だんだん背中にイヤな汗が流れ出した。そんな佳江をよそに、二人は冗談を言い合っていた。
「柴田さん、即興で何か見せて下さい」
「え! 手品をですか?」
直人は少し困ったような顔で佳江を見る。
「主導権は私が握る、あなたには渡さない」佳江は真正面から直人に挑んだ。
「そうですね……」と言いながら、直人はテーブルに置いてあった広告の端を切り取る。それを四つ折りにし、「21から30の間で好きな数字を書いてください」と佳江に渡した。
「ここにですか?」
「はい、その下には名前を」
四つ折りになった紙の裏、上半分に数字を、その下には「よしえ」と名前を書いて、それをまた四つ折りに戻してから佳江は直人に渡す。
受け取ったその紙を両手で挟み、直人は数秒間目を閉じていた。
「では、これはあなたが」と言って、その紙を佳江に渡した。
「魔方陣を知っていますか?」
直人はこう佳江に聞きながらテーブルに紙ナプキンを広げ、そこに縦横四マスの魔方陣を書き出した。
「この十六個のマスが、あなたの書いた数字を教えてくれます」
そんなことを言いながら、直人はランダムに数字を書き出した。佳江と横澤は、あちこちのマスが数字で埋まる様子を見つめた。
時々手が止まることもあったが、すぐに十六個のマスは数字で埋めつくされた。
「ここの合計は?」
直人は一番上の横列を示して佳江に聞く。
「28」と佳江は答える。
「ですね、この列も、ここも全部合計は28です」そう言って、直人は縦横の列の合計を書いていく。
佳江は背筋がゾッとする感覚に襲われた。
「斜めの合計も28、四等分したマスの合計も28です。そしてこの真ん中の4マスの合計は?」と、直人は再び佳江に聞く。
「28」と佳江は震えるような声で答えた。
「そして、あなたの書いた数字は……」そう言って直人は、佳江から四つ折りの紙を受け取ると静かに開く。
「こりゃ驚いた、ぴったりじゃないか!」
佳江が書いた「28」の数字を見て、横澤が驚嘆の声を出す。
「こんなもので、いかがでしょう。楽しんで頂けましたか」
直人が佳江を見つめて微笑んだが、佳江はがく然として直人を見つめていた。
「一般的に『即興』というと、何も用意してない状態で何かすることを言うのですが……」と、直人は話し出す。
「Jazzのアドリブとかがそうですね。しかし、マジシャンの行う即興はまったく違うものです」
「どう違うのですか?」佳江の問いに直人は答える。
「アドリブは演奏者がその時のインスピレーションで行います。その即興演奏を、演奏者と観客みんなが楽しみます。でも、マジシャンが行うのは即興のマジックではなく、相手に即興のマジックだと思い込ませることです。そして相手を楽しませること」
「いつでも準備はできていると」
「はい。プロのマジシャンがそう言ってました」
「無理だ! 私の手に負える相手じゃない」
佳江は諦めに似た感情が芽生え始めた自分を、どうすることもできなかった。
「さてと、横澤さん何か食べに行きましょうよ。私、お腹が空きました。高城さんもでしょ?」
「はい、私もお腹が空きすぎて倒れそうです」
佳江はヤケクソになり、開き直り作戦に出た。
「あはは、二人は気が合いそうですね。わかりました、何を食べますか?」
「あそこがいい! 牛タン!」
佳江が言うと、
「よし、行こう!」
と言って、横澤は立ち上がった。
ホテルを出ると、三人はガス灯が照らす東五番丁通りを北に向かう。大きな通りを二つ渡り、ショッピング街を過ぎたところにある古い雑居ビルの前に来た。そのビルの一階にあるこの店は、佳江が横澤に連れられて訪れ、牛タンを「べた褒め」した店である。
「おや、これは先日のお嬢さん。うれしいね~ また来てくれたんだ!」
「はい、親方に会いたくて来ました」
「うれしいこと言うね~ さ、こっち来て。横澤さんも、お連れさんもこっちこっち」
店主に促され、三人はカウンターの中央付近に並んで座った。入り口から見ると、横澤、佳江、直人の順になった。
三人は雑談しながら牛タンやら、焼き鳥やらをたらふく平らげた。直人の食欲はスゴいものだったが、佳江も負けていなかった。
-つづく-
Facebook公開日 3/22 2021
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