【道行き7-6】
【第七章『佳奈』-6】
茉由と佳奈は一緒に店に帰った。微笑んで二人を迎えた昇は、「どうです、ご一緒に」と佳奈を誘う。
「本気なの、佳奈さん」
そう言う茉由の耳元で、佳奈が囁くように言う。
「あなたは彼に電話してきなさい。遅くなったら失礼よ」
「本当にもう、知らないからね」
そう言い残して、茉由は自分の部屋に行く。心配そうに茉由を見つめる昇を、佳奈は微笑ましいと思いながら見つめた。
「ご迷惑おかけしました。あの子はなにか言いましたか?」
佳奈の前に水割りを置きながら昇は聞いた。
「はい。好きな人のことでちょっとあったみたいです。でも大丈夫ですよ、きっと」
「帰ってくるなり、自分の部屋に閉じこもっていました。声はかけたのですが、なにも言わないもので…… 一人娘なので、少々甘やかして育ててしまいました」
「そんなことはないと思いますよ。素直でいい子ですよ、茉由さんは」
「本当に助かりました、男親はこういう時になにもできないですね。あなたのような方がそばにいて、本当にありがたかったです」
「ま、女同士ですしね」
二人がそんなことを話していると、茉由が店に入ってきた。
「そうだ、お腹が空いていたのでしたね。特製のチキンカレーはいかがですか? 私の自慢料理です」
「うれしい、いただきます」
「それじゃ、準備してきますね」
そう言うと、昇は自宅のキッチンに姿を消した。
「ステキなお父さまね」
「うん」
「で、どうだった? 彼と話できた」
「うん。でもあの人、今東京にいるって」
「そうか…… いつ帰って来るって?」
「二、三日、こっちで打ち合わせがある。って言ってた。帰る時連絡くれるって」
「それじゃ、しかたないわね。帰ってきたら、ちゃんと聞いてみなさいね」
「うん、でも……」
「でも…… じゃなくて、ちゃんと彼と話さなきゃダメよ。わかるよね、茉由」
「うん」
「ま、とにかく話はその後ってことで、今夜は飲もう」
「そうするわ」
扉の外で立ち聞きしていた昇が、カレーを持って店に入ってきた。
「うわぁ~ いい匂い。スパイス効いてますね」
「はい、どうぞ! 私の最高傑作です」
「うそ! さっきは『まぁまぁかな~』って言いながら食べてたくせに」
「ひと工夫してきたんだよ。佳奈さんに食べていただくんだ、茉由と一緒という訳にはいかんだろう」
「なにそれ! いつからそんな女たらしになったの、お父さん」
「つい、さっきさ! こんなステキな女性の前では、男はみんな女たらしになる」
「もう、知らない! 私にもお酒頂戴!」
「残念ながら、私の任務は終了だ。後はお前に任せる! 早く中に入って私たちのお酒を用意しなさい、新米バーテンダーくん」
「なに言ってるのよ、本当に! もう酔ってるの?」
「美味しい! このカレー、めっちゃ美味しいです。あぁ~ 幸せ。そうだ、フルーツたっぷりのスイーツ買ってきたんです、食べませんか?」
「いいですね。フルーツ大好きなんですよ、私」
「ほら、茉由! お父さまにさっき買ってきたスイーツ用意して!」
「佳奈さんまで、なに! なんで私が……」
「新米は文句言わない! 早くして。そうそう私のお代わりはハイボールにしてね」
「ハイボールって……」
「私はロックでいいぞ、茉由」
二人に命令されるように、茉由はカウンターに入る。スイーツを皿に乗せて昇の前に、ハイボールは二つ作って佳奈の前に一つ置くと、残りの一つを茉由は一気に飲み干した。
そんな宴は夜中まで続き、久しぶりに昇は上機嫌だった。職業柄、佳奈はいろんなことについて博学だったが、音に関しては博学とかいうレベルではなかった。
「この自作のスピーカー、いい音ですね。真空管アンプとの相性もとってもいい。久しぶりにこんなやさしい音に触れたわ。ステキなオーディオセットですね」
「ありがとうございます。これは友人の伝で、手に入れることができたものです。でも、これの価値を理解できる女性がいたとは驚きです」
「その『女性』という言い方は、セクハラになりますよ」
「いや、失礼しました。その通りですね、男女の違いなんかないですね」
「昔、一緒にいた男が好きだったんです。たぶんその影響ですね」
「その方とは?」
「とっくに別れました、俗にいわれる『髪結いの亭主』でしたね。本人はミュージシャンのつもりだったようです、確かにギターは上手でしたしね。その男にあれこれ教え込まれました、本物という音を聴いたのもその頃です。聴き比べもよくやらされました。その時の経験が今、役に立っています」
「なるほどね、そういうことですか」
「でも、そんな理屈抜きでこの音はステキです」
「ありがとうございます、そう言ってもらえると嬉しいです」
宴は日付が変わるまで続いた。佳奈が先に入浴し、茉由は後かたづけしている。
「佳奈さんはステキな女性だね、久しぶりに華やいだ気がするよ」
「お父さんったら、鼻の下が伸びすぎてるわよ」
「あはは、私だって男だからね」
「どうしよう、私も一緒に客間で寝ようかな~」
「それがいいね、一人じゃ寂しいかもしれないしね」
「佳奈さんじゃなくて、心配はお父さんの方よ」
「おいおい、私はそんなつもりはないぞ」
「ま、そういうことにしておくわ。布団の準備するね」
茉由は二人分の布団を客間に用意した。
「ねぇ~ 佳奈さんの用事ってなんだったの?」
「え! 私の? え~とね、もういいわ」
「なにそれ、わけわかんないわ」
「私、ちょっと酔っちゃったみたい。もう寝よう」
佳奈はそう言って寝返りをうつ。
「私もなんだか疲れたわ、おやすみなさい」
「今回は茉由の負けね、彼はイスラエルに行く。試練かもよ、茉由」佳奈はそんなことを考えていた。
佳奈が突然茉由の店にやってきた理由、それは八雲がイスラエルに行くという情報を、客から聞いたからだ。佳奈は職業柄、いろんな人間と知り合いになってる。その一人に報道に詳しい人間がいたのだ。
「カメラマンっていえば、パレスチナで凄い写真を撮っていた人が、この街に住んでいるのよ。佳奈さん知ってた?」
「知らないわよ、そんな人」
「だよね~ 業界に詳しい人でも、その人を知っているのってほんの数人らしいから」
「どんな人なの?」
「八雲さん、っていう人よ。近いうちにイスラエルに行くらしいわ」
「イスラエルですって! 今戦争してる国の?」
「そうらしいわ、また、報道カメラマンにもどるって噂よ」
「そうなんだ…… そんな危険な国に行くんだ」
「噂よ。私はぜんぜん知らない人だけど、会ってみたいとは思うな~」
彼女は佳奈にそう話した。その八雲が、茉由が好きになった中年くんと同一人物かはわからない。だが、「たぶん同一人物だろう」という確信が佳奈にはあった。だからこそ、それを確かめるために茉由のところに来たのだ。
予想は的中だった。だが、「今さらこれを言う必要はない」そう思いながら、佳奈は眠りについた。
第七章『佳奈』 ー完ー
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