【道行き6-2】
【第六章『病院』-2】
病室で茉由の事情聴取が行われた。一人では不安そうな茉由を気遣い、田澤は八雲に同席を促した。
父親の昇が病室に戻ってきた。事情聴取が終わった田澤たちは病室を離れる。
「また、何かありましたらお邪魔します」
「私は隆夫くんの様子を見てきます」
八雲はこの時を逃すまいと、田澤の後を追いかける。
「田澤さん、さっきの話だけど……」
談話室に田澤を押し入れて、八雲が話を切り出した。
「鉄パイプのことか?」
「オレには下月さんが夢を見たようには思えないんだけど…… あの話は本当なのか?」
「昌ちゃんの時とは違う、隆夫はほとんど手を出してない。心配しなくても、隆夫はあんたとの約束はちゃんと守っているよ」
「オレも隆夫のことは信用しているんだ。ただ、普通の時とはぜんぜん違ったわけだろう。『自分はどうなっても、この女だけは必ず守る』っていうの、隆夫の中には絶対あったと思うんだよ」
「あったろうな…… それはオレにもわかる。ただ、お嬢さんにも言ったけど『誰もやられてない』ってとこは確かなんだよ」
「そうなのか……」
「あぁ、嘘じゃない。手出し一つせず女を守り通した。さすがはあんたの弟分だ、大したもんだよ」
談話室でふたりが話していると、隆夫が目を覚ましたという連絡が田澤に入った。すぐに田澤は隆夫の病室に向かったが、八雲は行かなかった。
「田澤さん、あんたの仕事が先だ。オレは少し休んでくる」そう言って田澤と別れた八雲は、一人で近くのファミレスに向かう。
開店直後のファミレスはガラガラだった。
「お好きな席にどうぞ」
アルバイトと思われる制服姿の女性は、笑顔で八雲にそう言った。窓際の席に座り、トーストとドリンクバーを注文した八雲は、エスプレッソマシンで熱いコーヒーを入れる。椅子に深く座ると、昨夜鶴岡のホテルで見た夢が思い出された。
左の二の腕にある古傷が痛みだした気がして、八雲はその部分を右の手のひらで擦った。これまで幾度となく夢に現れたその光景は、現実に起きたものだったのだ。そしてその事件は、八雲自身の生き方を大きく変えるきっかけになった。
出来立ての熱いトーストと苦いエスプレッソを胃に流し込んだ八雲は、猛烈な眠気に襲われた。
「そういえば、昨日の夜中から寝てなかったんだ」
昨夜、田澤に電話で起こされてから一睡もしていないことを思い出し、八雲はゆっくり目を閉じた。
テーブルに置いたスマホの着信で八雲は目が覚めた。「隆夫の事情聴取が終わった」という田澤からの連絡を受けてファミレスを出ると、八雲は大きく伸びをしながら病院に戻った。
二人は談話室でコーヒーを飲みながら事件について話していた。
「鉄パイプのことなんだが……」
言いにくそうに田澤が話し出す。
「で、どうだったんです?」
「どうも、あのお嬢さんの話が正しいようだ」
「でも……」
「まぁ、聞け」
そう言って、田澤は隆夫が言ったことを話した。
茉由の記憶は正しかった。隆夫が最後に振り上げた鉄パイプは、犯人の一人に向かって振り下ろされたのだ。ただ、その振り下ろす瞬間に聞こえた茉由の悲鳴が鉄パイプの軌道を変え、コンクリートの地面に突き刺さった。
「オレは奴らを殺すつもりで鉄パイプを握った。あいつの悲鳴がオレを救ってくれたんだ」
そう隆夫は話したと田澤は言った。
「その鉄パイプは見つかったの?」
「今、探しに行ってる」
「そうか……」
そう言ったきり二人は黙り込む。
まもなく田澤のスマホに着信がきた。鉄パイプを探しに行った田澤の部下からだ。
「どうだった、見つかったか?」
「ダメです、どこにも見当たりません」
「そうか…… わかった。お前たちは署に戻れ、オレも戻る」
そう言って田澤は電話を切る。
「というわけだ」
スマホをポケットにしまいながら田澤が言った。
「見つからなかったら、どうなるんです?」
「わからん。明日また探しに行ってみる」
署に戻った田澤と別れ、八雲は隆夫の病室に向かった。
この隆夫が凶器に使ったとされる「鉄パイプ」なのだが、翌日も見つかることはない。何故なら、事件現場にはもう無いからだ。
少し記憶を辿って欲しい。田澤が事件現場で二人の様子を確認した時、うっかり足を乗せて転びそうになった物があったはずだ。頭にきていた田澤が「邪魔だ!」と言って蹴飛ばした物だ。それが隆夫の使った鉄パイプだったのだ。田澤はよくこういうポカをやるのだが、自分がしでかしたポカに自分も同僚も気づいていないという、とても幸せな環境にいるのだ。
つまり、事件現場から蹴り飛ばされた鉄パイプは、現場検証時にはすでに規制線の外にあったのだ。翌朝、その場所を通りかかったトラックのドライバーが危険物と判断して、その鉄パイプをトラックの荷台に放り投げた。その後、鉄パイプがどういう運命を辿ったかなど、知る人間は存在しない。拾ったトラックのドライバーにしても、こういうことは日常茶飯事で、その翌日には鉄パイプを拾ったことさえ忘れてしまっているのだ。
八雲が隆夫の病室に行くと、母親だけが付き添っていた。隆夫が目覚めたことを確認して、父親は会社に行ったという。
「八雲さん! どうしてここに?」
八雲が隆夫の母親に会うのは六年ぶりだったが、隆夫が八雲と親しくしていることは、隆夫本人から両親は聞いていた。
「ご無沙汰してました。大変な事件に巻き込まれたようで、ご心配でしたでしょう」
「本当に…… 幾つになっても、親に心配ばかりかけて……」
母親に挨拶をして、二言三言話してから八雲は隆夫のベッドに近づいた。
「だいぶやられたみたいだな、大丈夫か?」
「えぇ、ちょっとドジを踏みました」
八雲の問いかけに、隆夫は少しはにかんで答えた。
「まぁ、そんなこともあるさ。今はゆっくり休んで体を直せ」
隆夫は「はい」と答え、何か考えているようにじっと天井を見つめていた。
「何もありませんが……」
八雲が包帯だらけの隆夫を見つめていると、母親が紙コップのお茶を差し出した。
「ありがとうございます。お疲れでしょう、おかまいなく」
紙コップのお茶を受けとりながら、八雲は母親を労わるように言った。
少しの間があって隆夫が口を開いた。
「昌夫さん、オレ……」
「何も言わなくていい、眠れるようなら少し眠れ」
「でも……」
包帯がされてない隆夫の右手を、トントンと指で叩きながら八雲は言う。
「目が覚めて本当によかった。事件のことは田澤さんから聞いている。もう少し元気になった頃にまた来る。話はその時にしよう」
「はい」
「お母さんもご心配でしょうけど、あまり根を詰めるとご自身が参ってしまいます。少しでも休んでくださいね、今日はこれで失礼します」
母親に労いの言葉を残して、八雲はベッドを離れた。
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げる母親を残し、八雲は病室を出る。
「八雲さん、ちょっと」
後を追うように病室を出た母親が八雲を呼び止めた。
「はい」
「少し、お話が……」
チラリと病室の中を見てから、八雲は小さな声で聞く。
「場所を変えた方がいいでしょうか?」
「はい、できれば……」
息子を気遣ってのことだろう、母親も小さな声で答えた。
「わかりました。談話室に行きましょう」
ーー続くーー
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