【私の終活奮闘記-1】
年明け早々、松の内が終わったばかりの一月十日のことだった。
私は、仕事上必要となる資格の更新手続きを行うため、協会事務所に出向いた。そこで写真を写し、講習を受けて証明書類を受け取り、それを会社に提出してと、休日のほぼ一日をその更新手続きに費やした。
この資格の有効期間は「五年間」である。
証明書に印刷された有効期限「2028年1月26日」の文字を見ながら、私はある思いに囚われていた。
「そうか、次はないんだな……」
そう思った瞬間、たまらなく寂しくなってしまったのである。
私は一昨年の年末、六十五歳になり定年を迎え、会社は書類上「定年退職」となった。今は、一年間という期間を定めた契約社員として、同じ会社で同じ仕事を続けている。
待遇がなにも変わらないこともあって、「定年退職」ということが実感できないまま、昨年末に二度目の契約更新をした。
そんな私は、昨年の年明けに自分の中で決めたことがある。
それは何かというと、「この仕事は、六十九歳で終わりにする」ということだった。つまり今年を含めて、あと残り四年間ということになる。
「その前に、体調または気力、体力に問題が生じれば、そこで区切りをつける」ということも、同時に決めた。
ということは、先日更新した資格の有効期限内に、私は引退することになる。この小学生でもわかるようなことを、現実のこととして突きつけられた瞬間が今回の更新手続きだった。
私は、今の仕事に誇りややりがいなど感じていない。すべては金を稼ぎ出す手段と割り切って仕事をしている。
それなのにだ、
「四年後にこの仕事を辞める、講習もこれが最後だ」
会社の管理者と、有効期限を見ながらそんなことを話していたら、たまらなくなってしまったのだ。
たぶん、会社を定年まで勤め上げて退職する人は、こういう思いが私の数倍、いや数十倍もこみ上げてくるものかもしれない。そんな人が退職後、脱け殻のようになってしまうのは、無理もないことだろう。
そんなことを思った。
そんなこんながあった会社からの帰り道、車を運転しながらふと思った。
「終活してみるか」
この思いは、あまりにも唐突に心から湧いてきた。なんの前触れもなく、突然私は思い立ったのである。
しかしよく考えてみると、こんな思いが突然湧いてでるわけはない。きっと私の心の奥で何年もくすぶりながら、表に飛び出すタイミングを狙っていたのだろう。
そして、その絶好の機会が、資格更新の時に訪れたということだと思う。何はともあれ、そういうことで、私は「終活」することに決めた。
ところで、「終活」という言葉が社会に馴染んでいる昨今だが、いったいなにをすることなのだろう?
この終活、調べてみると「人生の終わりのための活動」の略らしいことがわかった。人生の総括を行い、人生の最期を迎えるために必要な準備を行うことだという。具体的には、身辺整理、財産相続の計画、葬儀や墓の準備などが主らしい。
その一方で、「人生の終わりを考えることで自分と向き合い、これからの人生をよりよく、自分らしく生きるために行う活動」という位置付けもあるようだ。
つまり自分の死後、どのようにしてほしいかという自分の希望を残し、残された家族の負担を軽くするということなのだろう。その情報を集約して家族に残すには「エンディングノート」がいいようだ。
「ならば、このエンディングノートから始めてみよう」ということで私の終活は、やっとスタートラインに立ったのだった。
「やれやれ、こんなことでは死ぬまでに終わらないのではないのか?」というネガティブな心の呟きは無視して、また経過報告を書いてみようと思う。