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【道しるべ】


 美咲みさきから誘いがあり、直人なおとは一緒にそばを食べに行く事になった。その美咲からの電話は一年ぶりだ。

「元気? まだ生きてた」

「残念ながら、そう簡単には死なないみたいだよ。どうした? おまえから電話ってことは、あの男に逃げられたのか」

「逃げられたんじゃない、追い出した。ところでヒマ?」

「おいおい、本当に逃げられたのか。困ったヤツだ」

「だからぁ~ 追い出したんだって言ってるでしょ。それよりヒマでしょ、付き合ってあげるから、そば食べに行こう」

「金なし、男なしか?」

「お金はないけど、男はいるわ」

「じゃそいつに付き合わせな、オレは寝てるんだ」

「だから、その男に電話してるんじゃない」

「・・・・」

「どうすんの? 行くの、行かないの? はっきりして」

「おまえなぁ~ どういう脈絡みゃくらくでそうなるんだ?」

「ねぇ~ いいでしょう~ そばおごってよ。超ミニはいていくからさ」

 結局、「…… 超ミニはいていく」の一言で、直人は承諾しょうだくする。美咲の健脚美が脳裏のうりよみがえった。だが、マンションに迎えに行くと、美咲はダボダボのジーンズにトレーナーという普段着のまま、少し大きいバッグを持って待っている。

「また、やられた。この小悪魔め」と、直人はダボダボのジーンズを見ながら思った。

 二人が向かったそば屋は仙台市の郊外にあって、古い農家の母屋おもやを買い取り最小限の改築で営業していた。

 いつもの肉蕎麦を食べながら、直人は美咲の様子が気になっていた。

「男に逃げられたのが、こたえているのか?」と考えていると、美咲がポツポツと話しはじめた。

 その話はざっとこんなものだった。


 彼女の友人の和江かずえが最近離婚したという。

 その和江の旦那というのは、レストランを数件出している実業家とのこと。その実業家の旦那が、事務を任せている女性と深い関係になってしまい、やがて家にも帰らなくなり、事実上別居状態が何年も続いていた。ちまたによくある不倫話だ。 

 その和江が最近になって、正式に離婚ということになった。

 弁護士は入っているが、それでも子供のこと、お金のこと、共有財産のことと、いろいろ面倒なことが多く、精神的にもダメージを受けてかなり落ち込んでいるらしい。

「女にダンナ取られた感覚かなぁ~ 私ならこんな何年も離婚でもめないな、ソッコー別れる」という美咲の話を聞きながら「もっともだ」と直人も思ったが、

「でも、好きで一緒になったんだろう。やっぱりよかった時もあったはずだから、未練はあって当然なんじゃないか」

 と、ありきたりのたりさわりのない言葉を見つけて美咲に言った。

「その旦那さんは今回の離婚をどう考えているのだろう『やっとこのくさえんと手が切れる』なんて感じなのかなぁ」

 直人が言うと、

「どうでもいいよ、あんな男のことなんて。もう最低だよ、男なんて」と、間髪かんぱつれずに美咲が言う。

「こりゃ、そうとうキレてるな。友だちの別れた旦那と、自分の男がごっちゃになっているみたいだ」美咲の話を聞きながら、直人はそんなことを考えていた。

「和江もこれからいろいろ大変だろうから、何かの時は力になってあげようと思って……」と、美咲は言う。

「うん、そうだね。困ったことがあったらオレも力になるよ」と、直人がいい、ちょうどそばも食べ終わったので、この話はとりあえず終わりになった。


 店を出ると「泉ヶ丘に行こうよ、天気もいいし」と美咲が言った。

「そうだな、行くか」と、直人も合意して車を走らせる。

「和江…… 今度は後悔しないで欲しいな……」

 車の中で、美咲がそば屋での続きを話し始めた。

「オレはさ、人生っていろんな別れ道があるけど、大切な事は『誰だって、二つの道を同時に進めない』って事だと思うんだ。二者択一にしゃたくいつを迫られた時、どちらか一方の道を選んだ瞬間に、他の道は無くなってしまうと考えている」

「うん、そうだと思う。道しるべがあるといいのにね、『そっちはダメよ』って書いてあれば、迷わないのに……」

「だけど人生の道しるべはない。進める道は一本だけなんだから、自分の選んだ道を信じて進む以外はないのさ」

「でもさ、やっぱりこっちでよかったのかな…… って思っちゃうこともあるよ」

「よく人は「違う道の方がよかった」とか「あの時道を間違えた」なんて言ったりするけど、それってどうなんだろう。世の中の出来事は、ただの出来事として存在するだけで、それに意味をつけるのは、その時々の自分の考えだと思うんだ」

「そりゃそうかもしれないけど、だったら和江はどうなの? 道を間違えたんじゃないってこと?」

「それは、今はわからない」

「いつになったらわかるの?」

「それも、今はわからない」

「わからないばっかりね。私はやっぱり和江は後悔してるって思うよ」

「別れた旦那さんと結婚したことをか? それとも、離婚したことをか?」

「もちろん、結婚したことをよ。だから離婚したんじゃない」

「だけどね、よく考えてごらん。例えば和江さんが十年後に作家になっていたらどうだろう。それも今回の結婚から離婚までの一部始終を物語に仕上げてベストセラー作家になったとしたら? その時に後悔してると思うかい」

「そうか…… もしそうなってたら、してないね」

「だろう、だから今はわからない。というより、今決めることじゃないのさ」

「じゃ直人、今は何をすればいいの? 和江は」

「これからのことを考えればいいのさ、和江さんの人生はここで終わる訳じゃない。まだ先があるんだし、オレたちには先に進むことしかできないんだよ」

「そうか、そうだよね。和江も仕事探すって言ってたし、もしかしたら気に入った仕事が見つかって、そこでステキな出会いがあるかもしれないしね」

「ステキな出会いか…… そうなったら、恋バナ聞いてあげなよ」

「うん、絶対応援するんだ」

 そんな話をしていると、わずか三十分程で二人を乗せたセダンは、泉ヶ岳中腹のスキー場に着いた。


 泉ヶ岳山頂へはここから登山道を登ることになるが、直人たちのようなカップルや家族連れは、この付近を散策して過ごすことが多い。

 新緑の中を散策して、二人はレストハウスで缶ジュースを飲んでいた。山の天気は変わりやすい、十分すぎる日差しを与えてくれた太陽はいつしか雲に隠れ、ふと直人が空を見上げると、山頂付近は黒い雨雲がわきがしている。

「そろそろりるか、雨が来そうだ」

 直人に言われて美咲も空を見上げた。少し湿った風が、美咲の長い髪と遊んでいるように流れている。

 山を下りながら、思い出したように直人が言う。

「道しるべを見に行こうか?」

「道しるべ? 急にどうしたの?」

「さっき美咲が言ったじゃないか、『道しるべがあったらいいのにね』って」

「言ったけど…… 見たいって言ったわけじゃないよ」

「まぁそう言うなって、通り道だしちょっと寄り道しようぜ」

 直人はそう言いながら左に曲がり、しばらく田んぼの中を走って空き地に車を停める。

「どこにあるの、その道しるべって?」

「すぐそこさ。道が狭いから、車はここに停めていく」

 車で走ってきた道を、二人は徒歩で戻り始めた。五分位歩くと小さな分かれ道があり、石碑せきひが並んでいる。その石碑のそばに、石造りの『道しるべ』がひっそりと建っていた。

 しかしそれは建っているというより、地面からひょっこり頭を出しているという感じだ。

「これなの? ちっちゃいね。でもかわいい」

「そう、これなの。偶然見つけたんだ」

「何してて見つけたの? 怪しいな……」

「何って…… まぁ色々とあって見つけた。いいじゃないかそんなことは、今関係ないだろう」 

「ま、大人の都合ってことにしてあげるね。それより何て書いてあるの? 『右』と『左』は読めるけど」

「ここは『定義道』だったようだよ、昔はさ」

「定義道って、定義さんに行く道のこと?」

「そうらしいよ。だからここに見えてる『定』の字は『定義道』のことじゃないかなぁ~ そっちに案内板があるよ」

「ホントだ。こんな小さな道なのに、昔からあったのね」

「昔は地図なんて簡単に手に入らなかったんだろう。だから道しるべが必要だったってことじゃないかな」

「いいな~ やっぱり道しるべが欲しいよ~ 直人」

「男が出来た時に使うのか?」

「だって……」

「ま、気持ちはわかるけどさ」

「欲しい、欲しい、欲しい……」

「駄々をこねたって、それはないよ」


 夕陽が空を橙色だいだいいろに染め始め、柔らかく吹いていた風は、少し冷たくなってきた。

「そろそろ帰ろう」

 直人が言うと「うん」と、美咲は小さく答えた。

 並んで歩いていると、戸惑うように美咲が小さな声で言う。

「あのさ…… 直人」

「何?」

「今日さ……」

「何だよ、今日どうしたの? そばのお礼ならいいよ。そのかわり、今度は美咲がおごれよ」

「じゃなくてさ……」

「じゃぁ、何だよ」

 少し沈黙したあとで、美咲がつぶやくように言った。

「今日、このまま直人ん家、行っちゃダメ?」

 今度は二人の間に沈黙の時が流れた。車のドアを開けながら直人が言う。

「しかたないな~ でもお前の着替えなんて、もうないぞ」

「大丈夫、持ってきた」

 大きめのバッグを指差し、美咲は笑顔で言った。

「最初からそのつもりだったのか?」

「ごめん…… でも、ちゃんと明日の朝ごはん作るから。それから、掃除もしてあげるから」

「いいよ、そんなに気を使うなよ」

「ありがとう。私、やっぱり直人が大好きだよ」

「自由で、わがままで、憎めない子猫のようなこの娘は、またしばらくの間、我が家に住みつくのだろう……」

 車を動かしながら、直人はそんなことを考えていた。

 直人三十一歳、美咲二十六歳。二人の梅雨入り前の一日は、こうして夕暮れをむかえた。

   ― 完 ―


 Facebook公開日 6/14 2020




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