【 あめの物語 松島編 2 】
私が左足でブレーキを操作しているのを見て、慈雨はそれを真似したようだ。
しかし上手く操作できず、急ブレーキになり大変な思いをしたと、私に話すのだった。
「急にやろうとしてもダメだよ、反対に危険だから止めなさい。私でもこれが普通にできるようになるまで、五年くらいかかったんだよ」
「だって、あなたのように運転したかったんだもん。でも、ペダルが三つの時はどうするの? ほらここに棒のようなのがあって、ガチャガチャするやつの時」
「あはは、棒のようなのか、いい表現だね。 あれはマニュアルミッションって言うんだよ。あれに乗るときは左足はクラッチ専門、ブレーキとアクセルは右足で操作する。マニュアルでも、場合によっては左足ブレーキも使うけどね」
「そんなに器用な使い分け、なぜできるの?」
「練習したのさ、ひたすらね。だから五年もかかったのさ」
「じゃ私も五年練習する」
「しなくていいから、危ないから止めなさい」
「は~い」
慈雨はちょっと拗ねたような、甘えたような返事をした。
高速道路を走らせながら、私は気になっていた質問を慈雨にしてみた。
「そういえばおまえの誕生日、聞いたことなかったけどいつなの?」
「え! どうして?」
「だってほら、今日のプレゼントのお返しができないじゃないか」
急に慈雨が黙りこんだように感じた。
「あれ?」と思ったが、私は陽気に、
「おまえの誕生日には、こんなに大きなバラの花束を持ってお祝いに行くよ」
と言った。
的中だった、どうやら地雷を踏んだらしい。
「やっちまったか…… しかしなんで誕生日くらいで」
そんなことを考えていると、
「ありがとう、今度教えてあげるね」
と言ったきり、慈雨は黙り込んでしまった。
いつの間にか降りだした雨が路面を濡らしている。気まずい沈黙の時間が過ぎて『松島海岸IC』の標識が見えてきた。
レーンを変え料金所にむかっていた私は「え!」と思わず声をだした。信号機が見えてきたのだ。
「こんなところに信号機か……」
そう思いながら減速していると、慈雨も気づいたようだ。
「高速道路に信号機があるなんて、初めて見たわ」
「とっても珍しいね、オレも初めてだ」
「私が運転していなくてよかった」
話の糸口が見つかったことに、私は安堵していた。
高速道路を降りて小高い山の峠を越えると、小島が点在する松島湾はもうすぐそこに姿を表す。
坂を下っていくと『西行戻しの松公園』という標識が見えた。
「ここを右に曲がって」と慈雨が言う。指示通りに走ると、すぐに公園の駐車場に着いた。
駐車場に車を停め、小雨の中を公園にむかって歩く。
「どの松の木が、その『戻しの松』なんだい?」
「それがわからないんですって、ここの松のどれからしいってことよ」
「そうなのか」
眼下に松島湾が広がっている。ここは展望も人気のようだ。
「海だ!」
「小雨でもキレイなもんだな」
慈雨のうれしそうな声を聞いて、ホッとした私は呟くように言った。
「本当にキレイだ、芭蕉の気持ちがわかる気がするよ」
「お天気ならもっとよかったって思っているでしょう」
「そんなことはない、雨の風景もキライじゃないしね」
私は本当に松島湾の風景に見入っていた。
「この頃はここも、松くい虫の被害が深刻らしいわ」
「そうなのか」
良く見ると、確かに枯れたように見える松の木もあった。
「あなたって、絶対深追いしないのね」
「深追い?」
おうむ返しに聞いた私は、きっとさっきの誕生日のことなのだろうと思った。
「言いたくないこと、触れられたくないことは誰にでもある。無理やり聞き出すことは、どんな関係であってもするべきじゃない。私はそう考えている」
「ありがとう、そんなあなたが大好き」
考えてみれば、私は慈雨のことをほとんどなにも知らない。
「いや、むしろ知らないからこそ、この関係はうまくいっている」
そんな風に思っていた。
「お腹がすいたね、なにか食べに行こう。ここだと魚かな、海鮮丼とかが旨そうだ」
「そうね、でも海の物はきっと旅館の夕食に出るわ」
「じゃなにを食べる? 近くにレストランがあったようだが、そこに寄ろうか?」
「鰻はイヤ?」
「いいけど、ここで鰻?」
「ここは鰻の宝庫なのよ、知らなかったでしょう」
「初めて聞いたよ」
「あんまり鰻をいっぱい捕ったから、供養塔を建てているくらいなのよ」
「そうなのか、さすがに地元だね。それじゃ鰻を食べに行こう」
松島海岸駅を左手に見ながら、国道四五号線に合流する。松島海岸駅は仙石線の駅だが、東北本線の線路が平行して走っている。
「運がいいと、仙石線と並走する東北本線の列車が見られる珍しい所なのよ」と慈雨が教えてくれた。
さすがに日本三景のひとつだ、平日なのに車が多い。ノロノロ運転だが、土産店や観光客の様子を見ていると退屈しない。
やがて観光桟橋が見えると「あそこ」と慈雨が言う。
大きく『鰻』の看板が出ている食事所の駐車場に車を入れた。
…つづく…
Facebook公開日 6/4 2017
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