【道行き1-4】
【第一章『翠』‐4】
刑事の田澤に聞かれ、孫の勉の連絡先を教えた翠だったが、自分の思考が追い付かずまだポカンとしていた。
「この番号は普段から使っているものですね」
自分のスマホで勉の番号を押しながら、田澤は翠に確認する。
「そうです」
翠の答えを聞いて少し笑顔を作ると、田澤はスマホを耳に当てて相手方の応答を待った。
「どういうことなのでしょうか?」
納得できない翠は、八雲に聞いた。
「騙されていると思いますよ、吉田さん」
八雲が答えると、翠は少し険しい表情になる。
「え! 誰が騙されているのですか?」
「あなたがです」
「そんなバカな! 孫の勉が、私を騙していると言うのですか?」
翠はまだ思考がついてこないらしく、口調にも険しさが出ていた。
「そうは言ってません。吉田さんが警察から受けたと思っている電話は、警察からじゃなかった。その電話のすべてが、あなたを騙すための嘘だと言っているのです。もうすぐはっきりしますよ」
八雲は変わらない口調で翠に答えた。
「吉田勉さんですか? 突然お電話して申し訳ありません、私は東警察署の田澤といいます」
電話は孫の勉につながり、田澤が電話した理由を話していたが、一旦話を止めてスマホを翠に渡しながら言った。
「お孫さん、バイトが終わったばかりのようですよ。ご自身で確かめてください」
そう田澤に言われた翠は「訳がわからない」という顔をしながら、スマホを耳に当てる。
「勉ちゃんか? 大丈夫かい? うん…… うん…… え! 本当かい、そんなことが…… うん…… うん…… わかった……」
何やら孫と話している翠に「もういいでしょう」といいながら田澤は電話を変わり、なるべく早く自宅に戻るようにと勉に話した。
「さて、我々も動こう。吉田さん、ご一緒に自宅に行きましょう」
「本当にご迷惑をおかけしました……」
翠は、八雲と茉由に頭を下げながら言った。
「それじゃ後はおまかせってことで」
バックヤードを出る田澤に八雲は言う。
「あぁ、わかった。後で連絡する」
田澤は振り向きもせず、右拳を突き上げ言った。
バックヤードには、茉由と八雲の二人が残った。
「なんだか大変なことになりましたね」
茉由が八雲に話しかける。
「ま、彼らに任せれば大事には至らないでしょう。よかったです」
「そうですね、うふふ」と、小さく茉由が微笑んだ。
「そうだ! 私、お腹がすいたからお弁当買いに来たんだ」
「ぷっ! そうだったのですか」
大切な用事を思い出したように八雲が言うので、茉由は吹き出してしまった。
「えぇっと下月さんでしたね、あなたの方は仕事大丈夫なのですか?」
「私はとっくに終わってます。あのごみ集めが最後でした」
「そうでしたか。でも、そのゴミ集めが途中だったのでは?」
「でした。でも、あの子たちがやってくれましたから大丈夫です」
「そうですか、彼らにも迷惑をかけましたね」
「後で、私が埋め合わせをします」
「後始末まですみません。では、私はこれで」
バックヤードを出ようとする八雲に茉由が言った。
「あの…… ご迷惑でなければ、何か食べに行きません? 私もお腹がすいてきました」
「あなたと?」
驚いたように八雲が聞き返すと、
「はい、暖かいラーメンでも」
と、茉由が言葉を返した。
少し照れたように濡れた頭をかきながら、
「お誘いはとてもうれしいのですが、私はアパートに戻って着替えがしたい」
と、八雲は答えた。その言葉通り八雲はかなり雨に濡れている。
「あ、ごめんなさい、そのままでは風邪ひいてしまうわね。すみません、変なこと言って」
「いえ、うれしかったです。お食事は日を改めて私からお誘いしましょう」
八雲はまっすぐ茉由を見つめて言った。
「はい、お待ちしています。今日はありがとうございました」
少しだけ俯き、自分の頬が熱っぽくなるのを感じながら、茉由が答えた。
バックヤードを出た八雲は弁当を物色し、カップラーメンもひとつ手に取ってレジに行く。レジは、先ほどタオルのことで八雲に注意したアルバイトの青年が打っていた。
「色いろ迷惑をかけてしまったようで申し訳なかった。先ほどのタオルも一緒に精算してください」
八雲が頭を下げながら言うと、
「はい、わかりました」
と、アルバイトの青年は普段と変わらない様子でレジを打つ。八雲も、何事もなかったように支払いを済ませた。
「ありがとうございました」という青年の声に送られ、八雲はコンビニを後にした。
帰り道、八雲は特殊詐欺の被害者、吉田翠のことを考えていた。
「あの女性も、きっと孤独なのだろう。家の中に相談相手がいれば…… いや、家族はいるだろう。孫が同居しているのだ、その親も同居しているはずだ。素直に何でも話せる相手はいなかったということか」
ひとつの家で家族と一緒に暮らしているのに、いやだからこそ人は孤独になるのだろう。
孤独とは、そばに人がいないことではない。多くの人の中にいるのに、まるで自分だけが透明人間であるかのように、その存在を認められないと感じてしまうことだ。比較対象となる人物がいて、その者が人に囲まれ華やいで見える時、その者を羨ましく思う時、言い知れぬ孤独感を人は感じてしまうものなのかもしれない。
人の中だからこそ、自分はひとりなのだと感じてしまう。孤独というより孤立と表現した方が適切だろうか……
「いったい、なんのための家族だ! なんのための同居なのだ!」
八雲はどこにもぶつけようのない怒りを飲み込んで、自分の部屋に帰る。その道には、春の冷たい雨が降り続いていた。
第一章『翠』 ー完ー