【あめの物語 出逢い編 2】
美香は、これから馴染みの店に行こうと佐井に言う。この美香の行動力を、佐井は高く評価していた。
「よし、わかった。じゃこれから行こう。案内を頼む」
立ち上がろうとする佐井に、美香は慌てて言った。
「え! 部長これからって…… 私まだ何も飲んでないし、食べてないんですけど……」
「あ、そうだったか。じゃまずは腹ごしらえとするか」
「部長、私はここでいいですか? 今日はちょっと用事があって……」
「すいません部長、私も……」
河合が帰りたいと遠回しに言うと、それに乗っかるように吉田も言った。
「あぁそうか、わかった。今日はお願いするだけだから私と古林の二人でいいだろう。遅くまですまなかったな、気をつけて帰ってくれ」
「それじゃすいません。お先に失礼します」
「私もお先にです」
男二人はさっさと帰ってしまい、食べ残しの料理を前にして残った二人は、親子で飲んでいるような感じだ。
佐井と二人になると、美香が唐揚げを食べながら話しはじめた。
「部長、どうして吉田さんがメンバーなんですか? 私、あの人嫌いなんですけど……」
「そう言うなって、嫌な人と一緒に企画を作る機会はこれからも増えてくるものだ。今回はその勉強だと思ってうまくやってみるんだ」
「勉強ですか…… そんなのしたくないんだけど」
「それに今回は、どうしても吉田の力が必要なんだ」
「あの人に部長が頼るような力があるんですか?」
「あるんだよ、そのうちお前にもわかる。さぁ、腹ごしらえしたら行くぞ」
「ハーイ、あと十分ください。これも食べちゃいますから」
美香は冷めたあげ豆腐をビールで流し込んだ。
「若いってことは、いいな」
食欲旺盛な美香を見ながら、枝豆を肴に佐井は酎ハイを飲んでいた。
十分は結局三十分になり、夜の九時を少し回ってから二人は居酒屋を出た。
「その店はここから遠いのか?」
「近いですよ、歩いても十分くらいかなぁ。うれしいでしょ、私のような若い女の子と並んで夜の街を歩くの」
「おいおい、誤解されるから止めなさい」
佐井の腕に自分の腕を絡ませるようにして歩く美香をたしなめるように言った佐井だったが、まんざらでもなかった。
「娘がいたら、こんな感じで街を歩いていたかもしれないな……」と、佐井は思った。
佐井は二十代後半に、一つ年下の妻と結婚はしたが、子供には恵まれなかった。妻も仕事を持っていてあまり家庭的とはいえず、二人はいつの間にか夫婦というよりは、同居人と表現した方がいいくらいの関係を続けていた。
そこに今回の仙台転勤だった。当然のように妻は仕事を理由に東京に残った。四十歳にして初めての転勤を単身赴任でむかえた佐井は、はじめこそ戸惑いも多かったがやがてそれにも馴れ、半年後には独身生活を楽しむ余裕もうまれていた。
「へぇ~ こんなところにあるのか…」
二人は大町界隈を歩いていた。この大町は仙台の繁華街『国分町』の隣りなのだが、夜の人通りは驚く程少ない。
その大町の更に奥の路地にその店はあった。
雑居ビルの二階に階段で登り、看板はなく営業中の表示も無い店のドアを美香は慣れた手つきで開けた。
「こんばんは」
「いらっしゃいませ。古林さま」
美香に気づいた店のスタッフの青年が、人懐っこい笑顔ですぐ声をかける。
「こちらの方は?」
その人懐っこい笑顔の奥にある少し危険な目を佐井にむけながら、青年は美香に聞いた。
「会社の上司なの、今日は一緒に飲みに来たんですけど…… いいですか?」
少し遠慮がちに美香は青年に言う。
「そうでしたか、いつも古林さまにはごひいきにして頂いております。どうぞこちらに」
警戒心を少し緩めた青年に案内され、カウンターの椅子に佐井は美香と並んで座った。
「ステキでしょ、たまに来るのよ」
「何だか凄い店だな…… こんなところにいつも来ているのか?」
佐井は正直驚いた。
「この店はたぶん紹介者がいないと入れないシステムなのだろう。さっきの青年はそのチェックをしているのか」このような店の存在は、人づてに聞いたことはあった佐井だったが、そこに訪れるのは初めてだ。
「この子はいったい何者なんだ? 二十歳を過ぎたばかりの小娘が普通に立ち寄れる店とは到底思えない」佐井がそんなことを考えていると、バーテンダーの女性がカウンター越しに二人に声をかけてきた。
「いらっしゃいませ、古林さん。こちらの方は?」
「こんばんは詩織さん。今日は上司と一緒なの、部長の佐井さんです」
「詩織です。ごひいきにお願いします」
「あ、初めまして。古林と同じ部署の佐井です。よろしくお願いします」
「部長ったら、なに緊張しているんですか? おっかしい」
居酒屋で飲んだ酒が回ってきたのだろう、自分の馴染みの店という安心感も手伝ってか、美香は若い女の子特有の明るさで話しだした。
「いや、いくつになってもステキな女性の前では、緊張するもんなんだよ」
「ま、お上手ですね。私もステキな男性の前では緊張してしまいますよ」
「へぇ~ 詩織さんでもそうなんだ」
古い杉の板が使われ、古民家のように仕上げられた内装を見ながら佐井は詩織に聞く。
「ステキなお店ですね。新しいみたいですがオープンは?」
「先月で一年が過ぎました。ところで、お飲物は?」
「私はいつものカクテルで、部長は?」
「そうだな、喉が渇いているので……」
佐井が迷っていると、絶妙のタイミングで詩織が助け船を出した。
「ジントニックはいかがですか? 喉を潤してからゆっくり次を選んでください」
「あ、ありがとう。ではジントニックで」
「部長、カンパイ」
ロングカクテルグラスを佐井のグラスに軽く当て、美香は一気に飲み干してしまう。
「お代わり、お願いします」
「おいおい、ペースが早いな。酔っぱらう前に今日の仕事をすませてしまおう」
「そうでした。今日は詩織さんにお願いというか、相談というか……」
少し舌を出して照れ笑いをしながら美香が話し出した。
「何かしら、怖いお話?」
美香のカクテルを作りながら、詩織が聞く。
「そんな、ちがいます。ちょっとだけね」
「私でお役にたてるならいいのですが…… 取りあえず、お話お聞きします」
「あのですね、たまにカウンターの端で飲んでいる女性の方がいるじゃないですか。和服のとてもステキな方で、なんどかお見かけしたんですよ。いつもお一人で、ワインを飲んでいたのを覚えているのですが……」
「和服の女性って…… 『あめさん』のことかしら? うちのお店に和服でいらっしゃる女性は彼女だけですが……」
「きっとその方だと思います。『あめ』さんというお名前なんですか?」
「はっきりとはわかりません。オーナーのお知り合いとのことで、ここがオープンして一か月程した頃からおいで頂いています。お名前をお聞きしたら『あめといいます』とお答えになられました。で、その方になにか?」
「ここから先は、私からご説明しましょう」
美香の話を引き継ぐように佐井は話しだした。
「実は、弊社の社内報の企画で『明日に残したい日本の和』という特集をすることになりまして、その企画の担当部署が『伊達六十二万石』の城下町、つまり私どもの東北支店になりました。担当はこの古林です。ですが、『残したい日本の和』と言われてもあまりにも漠然としていて、なにを取り上げればいいのかまったく思いつかない。和服やお茶、生け花などではたぶん原案の段階でアウトです。焼き物も一緒です。なので今日も部署でミーティングをしていたのですが、思案のあげくこれはもう『和に精通した人の意見を聞くのが一番』という結論になりました」
…続く…
Facebook公開日 3/28 2019
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