【道行き3-3】
【第三章 『写真』-3】
ひょんなことから茉由は、八雲の撮影に同行することになった。
車の中で、隆夫との関係を八雲に聞いた茉由は、話の流れから八雲の恋愛論を聞くことになる。
「ある、言わないメリットはまだある。だからみんな、親友という隠れ蓑に入ろうとするのさ」
「でも、本当に友情だけってこともあるでしょう?」
尚も、茉由は食い下がった。
「あるかもしれない。私だって、全人口の調査をした訳じゃないからね。でも、私が聞いた中では一人もいなかった。だから持論ってことにしている」
「親友って言ってた男性はいなかったってこと?」
「反対だよ、初めのうちはみんな親友って言ってた。でも突っ込んで話すと、違うってことに誰もが気づく。ただ『いい人を演じてただけ』ってことにね」
「でも、なんでそんなことを……」
「簡単なことさ、いい人も親友も同じ。そう演じていれば自分は傷つかないし、嫌われることもない。そして最大のメリットは、『いつも傍にいられる』ってことさ。つまり『親友だ、友情だ』と言ってるヤツは、この事実に気づいてないか、気づいてないふりをしているかの、どっちかだってことさ。これは私自身が経験していることだ、だからそうしている男の切ない気持ちは、痛いほどわかる」
「……」
反論できなかった。いや、しようとすれば出来たかもしれない。だが、なぜか茉由はそうしなかった。そんな茉由を無視してさらに八雲は話を続ける。
「ただね、そういうことをしている連中は、それのデメリットに気づいていない」
「デメリット?」
「そう、いい人は…… つまり親友は、恋人になれない! 勇気を振り絞って、傷つく覚悟を持って『付き合って欲しい! 恋人になってくれ!』と告白したヤツだけにしか、恋人になる資格はないのさ」
「たしかに、そうかもしれない……」と、その時茉由は思った。
「昌夫さんもなれなかったの? 恋人に……」
「あぁ、なれなかった……」
仙台市を流れる川で、全国的に名前が知れ渡っているのはたぶん広瀬川だろう。その広瀬川沿いを並走するように、仙台と山形を結ぶ鉄路、JR仙山線が走っている。
八雲が運転する車は、そのJR仙山線を縫うように橋で越えたり、下を潜ったりしながら並走する国道48号線を西に向かって走り続ける。
熊ケ根駅を左に見てから、その真向いにあるコンビニの駐車場に八雲は車を入れた。
「どうしたの?」
そう聞く茉由に八雲は言う。
「トイレを済ませてから行こう」
「私はまだ大丈夫よ」
「ダメ、奥新川はトイレないから」
「え! ないの?」
トイレがないという八雲の一言に驚き、茉由は聞き返した。
「駅にはまだあると思うけど、男女共有の和式のどっぽん便所だよ。そこでする? 昔は川の近くにもあったけど、ここも和式のどっぽん便所で…… 薄暗くて…… 臭くて…… 変な虫がいっぱいいて……」
「もういい、トイレに行きます」
聞いているだけで気持ち悪くなりそうだった茉由は、八雲の話を止めて車から降りた。
ついでにお菓子と飲み物を買い込んで八雲が運転席のドアを開ける。並んで歩いてきた茉由は迷うことなく助手席へ。車が走り始めるとすぐ、茉由は自分が不思議な安心感に包まれていることに気づく。
「私…… ぜんぜん緊張してない。それだけじゃない、無意識に助手席に乗ってる」
これは茉由自身、ほとんど経験のないことだった。前の夫だった稔の運転でもこんなことはなかったし、父、昇の運転などは最悪だった。
「なぜこんな人が、免許取れたの?」と、免許行政が信じられないくらいだった。
「一番近いのは、隆夫か……」
だが隆夫の運転でも、茉由はいつも緊張で右足を踏みしめていた。つまり、あるはずのない助手席のブレーキペダルを踏んでいたのだ。
ところが茉由は今、無意識に助手席を選んでいた。さらに、このことに何の疑いも持たずこれまでの時間を過ごしていたことが、とても恐ろしいことのように感じた。それに「じゃ、朝の運転はなんだったの?」という疑問も湧いてくる。それを確かめたかったが止めた。
「まあいいわ、これはこれで悪くない。たぶん年上の男性に惹かれる若い子って、こんな感じなのね」
そんなことを考えながら茉由は瞳を閉じる。朝が早かったからだろう、猛烈な眠気に逆らえなかったのだ。エンジンの音と路面から伝わる振動がとても心地よかった。
「かわいい寝顔だなぁ~」
助手席でうたた寝している茉由の寝顔を盗み見て、八雲はクスクスと笑った。そしてサイドバックから薄型のデジタルカメラを取り出し、信号待ちで「カシャ・カシャ」とその寝顔をカメラに収めた。
ニッカウヰスキー工場の入口を横目に見ると、奥新川に向かう道の入口はもうすぐだ。道端に立つ二体の大きなこけしが、作並温泉が近いことをドライバーに知らせている。
八雲はスピードを少し落として左側を注意深く見ながら走る。そば屋の看板を見つけると「ここだな」と小声で呟き、左折して林道のような細い道に車を入れた。
大きなそば屋の看板の隣にある小さな案内板に「奥新川橋」という表記があった。そのそば屋までの数百メートルは舗装路だったが、その後は未舗装路になる。
車のフロントガラスには鬱蒼とした杉の木立が広がっていたが、やがて車は杉林を抜けさらに山の奥地に入って行く。荒れた林道は上下に大きく車を揺らした。そんな車の動きに驚いて茉由が目を覚ます。
「な、何! いったいどこを走っているの?」
車のフロントガラスには、茉由が見たこともない山の様子が映し出されている。何がどうなっているのかとっさに判断がつかない茉由に、車を走らせながら八雲が言う。
「起きたか、もう少しで着くよ」
変わらない口調で話す八雲とは対称的に、いや、そんな八雲の声などまったく聞こえないほど、茉由はパニックになっていた。
「私をこんな山の中に連れ込んで何をする気! 停めなさい! 警察呼ぶわよ! 訴えてやる!」
「違う、落ち着け! 落ち着けって!」
八雲の言うことなどもう茉由には何も聞こえない。両手で拳を作り、髪を振り乱して八雲の体に鉄拳を繰り出している。
「痛い! 痛いって! 危ないから止めろ。止めろって言ってるだろう」
しかたなく、八雲は道幅が広くなったところで車を停めた。間髪を容れずに茉由はドアを開け、逃げるように車外へ飛び出した。
「ふざけないで、いったいどういうつもり! 絶対警察にいうからね!」
「だから落ち着け。私はただ奥新川の駅に向かっているだけだ」
「こんな山の中に駅があるって言うの! そんな嘘、小学生にも通じないわ」
「とにかく私の話を聞け、ちゃんと話すから」
「はぁ、はぁ」と肩で息をしながら髪を振り乱した茉由は、鬼の形相で八雲を睨みつけた。
ーー続くーー