見出し画像

【道行き7-5】

【第七章『佳奈』-5】

 佳奈かなのぼるの店を訪ねてきた。来訪者が佳奈とわかると、茉由まゆはドアまで走り、すぐ鍵を開けた。

「茉由さん。よかった、いたのね」と言った佳奈が、驚いた表情で茉由を見つめる。茉由の瞳には大粒の涙が溜まり、いまにも流れ出しそうになっていた。

「ど! どうしたのよ、いったい」

 佳奈がそう言ったと同時に、「わぁ〜」と茉由が佳奈にしがみつき大声で泣き出した。

「まさか!」

「いや、そうではない。今まで食事していただけだ」

 するどい眼つきで昇をにらみつける佳奈。昇はあわてて言い訳みたいに言う。

「違うの、違うの、佳奈さん」

 泣きながら、茉由が訴える。

「この子は私が預かります。場合によっては警察に行きます。いいですね!」

「警察って、それは……」

 佳奈の眼つきは変わらない、あまりの鋭さに昇は後退あとずさりした。

「来なさい、茉由」

 そう言うと、佳奈は茉由の手を引いて自分の車に乗せた。すぐに自分も運転席に乗り込むと、スイッチを入れ思いっきりアクセルペダルを踏み込む。佳奈の車はモーターを動力とする電気自動車だ。よってエンジンを始動させる手間がかからない。

「ちょっと待って。おい、待てって」

 慌てて二人を追いかける昇を無視して、電力の供給を受けたモーターはすぐに最大トルクで車を加速させる。住宅街では迷惑な話なのだが、フル加速によるタイヤのスリップ音を残して、佳奈の車はすぐに昇の視界から消えた。

「ふぅ…… 追いかけてはこないみたいね。いったいなにがあったの、茉由? あのオヤジは誰?」

 近くのショッピングモールの駐車場に佳奈は車を停めて、やっと泣き止んできた茉由に聞いた。

「父です」

「え! お父さんなの? そのお父さんになにされてたの?」

「なにもされてないです、カレー食べてただけなのに……」

「カレーって、だってあなたが急に泣き出すから、私、てっきり」

「それは…… でも、違うって言ったのに、佳奈さんったら……」

「あぁ…… 私、初対面なのに……」

「でも、たぶん大丈夫です。父は型破かたやぶりの人に慣れてますから」

「そうは言っても…… ま、やっちゃったことは仕方ないか。後で謝るわ」

「きっと驚いてるわ、お父さん。佳奈さんスマホ貸してください、父に連絡入れます」

「そうね、はい。そうじゃないと、私が警察に通報されちゃうわ」

 一旦車を降りると、佳奈のスマホで茉由は昇に連絡する。すぐに昇は電話に出た。自分は無事だということと、近くのショッピングモールにいること、少し二人で話がしたいことなどを告げると、茉由は電話を切った。

「で、私にこんな大失態だいしったいえんじさせてまで、大泣きした理由はなんなの?」

 車に戻った茉由に、開口一番かいこういちばん佳奈が言った。

「佳奈さんこそ、どうしたんですか? 店に来るなんて」

「うん、ちょっと気になったことがあってね。ま、こっちは後でいいわ。茉由の話を先に聞くわ」

「実は…… 例の中年くんがイスラエルに行くって……」

「イスラエル? イスラエルって、あの中東の国のこと?」

「どうしよう私、どうすればいいの? ねぇ、佳奈さん、私、どうしたらいいの?」

「ちょっと落ち着いて。どういうこと、詳しく話して」

 茉由の瞳にまた涙が溜まっている。今にも泣き出しそうな顔で、隆夫の病室で聞いた二人の会話を佳奈に話した。

「彼ってカメラマンだったよね、メインで写しているものはなんなの?」

「知らないわ、そんなこと聞いたことないし」

「そうか。で、今の話だけど、二人が病室で話しているのを聞いたわけね。早い話、盗み聞ぬすみぎきしたってことね」

「違うわ、聞こえたのよ。部屋に入ろうとした時に」

「どっちでもいいけどね、それは。じゃあまだ茉由は、彼からイスラエルに行くことは聞いてないのね」

「うん」

「わかった。それじゃ彼にすぐ連絡しなさい、『会って話がしたい』って」

「でも、会ってなんて言えばいいの?」

「正直に言いなさい。『病室に入るときに聞いてしまった』って、言えばいいのよ。そしてあなたの今の気持ちを素直に伝えなさい」

「でも、それで思い直してくれる?」

「そんなことはわからないわ。でもね茉由、迷った時は今できることを一つずつやっていくしかないの。なにもしないで、あーだこーだと頭で考えていたって、なにも解決しないのよ」

「だって怖い! 最悪を考えると、もう怖くて……」

「しっかりしなさい。なにもしないうちに、もし本当に彼がイスラエルに行っちゃったらどうするの? それこそ最悪じゃない」

「はい……」

「わかったら帰ろう、お父さんに謝らないといけないからさ。きっと心配してるだろうし…… 最悪は私の方よ。そこでなにか買っていこう、手土産になりそうななにかさ」

「ごめんなさい、私が泣きついたばかりに……」

「本当だよ、私の信用はどうしてくれるわけ?」

 ということになり、手土産のスイーツを買って二人は店に帰った。店の照明は半分ほどに落とされている、少し薄暗い店内に静かなバラードが流れていた。

「ただいま…… お父さんいるの」

 恐る恐る茉由は声をかけた。

「おかえり」

 そういう声が聞こえて、少し照明が明るくなる。佳奈が茉由の後を追うようにして、二人は店内に入った。カウンターの中に昇が座っている。ロックグラスを片手に、その顔は微笑んでいた。

「先程はとんだ無礼ぶれいをしました。本当に申し訳ありません」

 恐縮きょうしゅくしきった顔の佳奈が昇に頭を下げた。

「いえいえ、そんなことはないですよ、ちょっと驚いたけどね。しかし凄い人だなぁ〜 あなたは。とっさのことだったのに、すぐ的確てきかくと思える判断をくだしてそれを行動に移した。並の人間にできることじゃない、おそれいったよ」

「いえ、あれは…… 恥ずかしいです」

「お父さん、あらためて紹介するわ。こちら、私の髪を切ってくれる美容師の佳奈さん」

相田佳奈あいだかなと申します、いつも茉由さんには、ごひいきにして頂いてます。先程のおびというほどのものではないですが、これを……」

「茉由の父、下月昇しもつきのぼるです。いやぁ~ そんなお詫びなどよかったのに。今回はとんだ初対面になりましたが、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「どうです、ご一緒にやりませんか」

「なに言ってるの、お父さん。佳奈さんは車よ」

「いいじゃないか、泊まっていけば。客間きゃくまで休んでもらえばいい」

「だから〜 そういうことじゃなくて」

「そうしようかな~ うん、甘えてもいいですか?」

「佳奈さんまで、なに言ってるの」

「だってさ、お腹すいたし、お酒も飲みたい気分なんだもん」

「どうぞ、どうぞ。こんな美しいお客様なら大歓迎です」

「まぁ、うれしい! ありがとうございます」

「お父さん、いい加減にして!」

「いいじゃないか、ねぇ~ え〜と、相田さんでしたっけ?」

「はい、相田佳奈です。佳奈でいいです」

「それじゃ、佳奈さん。水割りでいいですか?」

「はい、お願いします」

 そう言いながら、佳奈はカウンターに腰を下ろした。

  ーー続くーー



いいなと思ったら応援しよう!