【あめの物語 二人の秘密編 9】
昔の友人「工藤」を訪ねて気仙沼に行った佐井は、工藤が住んでいた家を見つけた。しかしそこには、工藤と関係のない見知らぬ他人が住んでいた。
そこで、当時から住んでいた向かいの住人に工藤の消息を聞いた。その家の住人である老婦人は佐井のことを覚えていて、工藤の消息を佐井に話すのだった。
海の見える小高い公園に車を止めた佐井は、気仙沼の北部、鹿折地区とその先に見える穏やかな気仙沼湾を複雑な気持ちで見ていた。ここは津波と大火災のダブルパンチでとても被害が大きかった所だ。
ここで暮らしていた人の中に、これほどの被害を予見できた人はいたのだろうか?
余りにも大きすぎた震災の爪痕を覆い隠すように、ここでもかさ上げ工事が行われていた。
頻繁に出入りを繰り返す工事車両を見ながら、佐井は工藤のことを考えていた。
「あの時、工藤がそんなことになっていたなんて…… 工藤はオレ達から離れた訳じゃなかった、そうするしか方法がなかったんだ。なのにオレは…… 工藤、お前は今どこにいるんだ」
聞かされたばかりの女性の話が脳裏に蘇る。
「なにも知らなかったの? 大変だったのよ。確か、あなたたちが来ていた頃だったわ。工場が上手くいってなかったみたいだったのよ、借金も沢山あったみたいだし…… そのためあんなことを……」
小さな自動車の町工場をしていた工藤の父親は、経営に行き詰まり多額の借金を抱えてしまっていた。
質の悪い所からも借入があり、相当に酷い取立てもあったらしい。
それに耐えきれなくなった両親は、すべてを捨て自宅で心中していたのだった。
両親と言っても、母親は後妻のため工藤とは血のつながりはなかったが、子どもが一人いた。
「確か当時、小学生の妹さんがいたと思いましたが?」
「陽太君が連れてどこかに身を隠したのよ。債権者っていうの? 早い話借金取りがいつも押しかけていたから。本当にかわいそうだったけど、私たちではなにもしてあげられなかった。お葬式も出せなかったはずよ」
佐井は女性の話を聞いていて、身体中の血の気が引いてきた。自分が立っているのか座っているのか、それすらわからない。思考が止まり吐き気がしてきた。
「陽太君は今、どこに住んでいるのかおわかりでしょうか……」
やっと絞りだした声で聞くと、
「ごめんなさいね、なにもわからないの。ただね、それから五年くらいしてからかなぁ、ひょっこり陽太君がここに来たのよ。じっと自分の暮らしていた家を見ていたわ。私、とても声などかけられなかった…… でも、陽太君が私に気づいて声をかけてくれてね、優しい子だったからね。それで私『今どうしているの?』って聞いたの。そしたら『あの節は、本当に親が迷惑をかけてすいませんでした。今は親の墓がある鹿折で、アパートを借りて住んでいます』っていってたわ」
佐井は、立って話を聞いているのがやっとの状態だった。血糖値が下がって身体中に震えがきていた。
「そうですか、色々と教えて頂き本当にありがとうございました。失礼いたします」
「あなた顔色悪いわよ、大丈夫? これからどうするの」
「帰ります。が、その前に鹿折に行ってみます」
「何十年も前の話だからね、今も住んでいるかどうか…… それよりも鹿折は、この前の震災でなにもかも無くなってしまったのよ」
「わかっています。それでも…… 行ってみます」
「そう、じゃぁ気をつけてね」
「はい、本当にありがとうございました」
「今はなにもないここで、工藤…… お前は今、生きているのか? オレは…… オレたちから急に離れたお前のことを…… もう取り返しがつかない」
自問自答の堂々巡りが、繰り返し佐井の思考を占領した。
「答えなどなにも見つかりはしない」そんなことは十分すぎるほど、わかっていながら……
「どうして…… なぜ黙って…… なぜ……」
「二十歳を過ぎたばかりの、世間知らずの若造になにができた。逃げる以外にどんな方法があったっていうんだ」
「なぜオレに相談してくれなかった、なぜ頼ってくれなかった……」
「バカな! 自分と同年代の若造に相談してどうなる? なに一つ解決などしやしない! じゃ、お前になにができた? 助けることができたのか、アイツを! そんな力や金を、なにか一つでも持っていたのか?」
「持ってなかったさ、でも…… でも友だちじゃないか。黙って行くんじゃなくて」
「友だち? お前にそれが言えるのか? お前はその時なにをしていた」
危ういが、絶妙にバランスを保っていた佐井・工藤・直美の三角関係は、工藤が離れたことで一気にバランスを崩し、佐井と直美は急速に接近した。
若い二人はそれが当然のようにすぐにお互いの体を求め、それに溺れた。
工藤というバランサーを失ったことをむしろ喜んでいた佐井が、そこには確かに存在していた。
同じことを考えては打ち消す、打ち消してはまた考える。佐井は、堂々巡りを繰り返す無限ループのような思考のトンネルから抜け出せなくなっていた。
「だけど…… オレだってわかっていれば、できる限りの力を貸した。二人をかくまうことくらいなら、オレにだってできたはずだ。温かいご飯と安心して眠れる場所なら、兄妹二人分くらいの余裕は実家にあったんだ」
「お前の家が安全な訳はない。あいつらをなめるな、交友関係などすぐにわかるんだ。迷惑をかけたくなかったんだよ、あいつは。それに当時のアイツにそれが必要だったのか? 一時的にはそれでもいい。だが、アイツに本当に必要だったのは逃げることじゃない。現実に正面から向き合い、一つひとつ解決していくことだ。なにをどう乗り越えることが一番いいか、おまえにそれを助言する力があったのか? 一緒にその困難を乗り越えることなど、おまえには無理だったんだ。それを知っていたから、だからなにも話さずアイツは離れたんだろう」
…続く…
Facebook公開日 1/20 2019