「ママは3割ぐらいしか話聞いてない」
おととい娘に言われた言葉です。
「前から思ってたけど、ママは話3割くらいしか聞いてない。「うん、うん」っていってるけど、全然聞いてないのすごいわかる」とのこと。
苦笑するしかありません。
そりゃバレるよね、、、とも思います。
良好な人間関係を築くために、そして育児においても、相手の話を聞いてあげるということはとても大事で、またパワフルなことです。
私もできる限りは聞いてあげなきゃと思ってはいるんです。
でも、子どもたちが小さい時から、延々と結論の見えない話を聞くのは正直結構苦痛だったし、娘が長じてきて時々出てくる友達や学校に対する愚痴や不平不満、自分とは違うなと思う意見、興味ない芸能界のニュースなどをちゃんと聞くのは結構難しいことです。
つい「ふーん」と気のない返事をしてしまったり、「こんな風に考えてみたら?」というアドバイスをしてみたり、「そんなことないんじゃない?」と、否定してみたくなったり、「それは違うよ」と持論をぶつけてしまったりもします。
子どもたちがこういう話をしたとき、ただ関心を持って聞いて欲しい、受容して欲しいことだというのもわかるので、なるべく否定しないように聞いています。でもムクムクと心の中では「そんな細かいこといちいち気にしなきゃいいのに・・・」とか私の自我がささやくので、それを言わずにグッと堪えるのは結構な修行です。
否定をすると機嫌悪くなるなと思うと、あえて上の空にして、耳に入ってもあまり心に入らないように聞く、なんてこともしてしまいます。
ケイト・マーフィの「Listen」という本に、「会話」には我慢という技術がいる、というタイトルのチャプターがあります。
まさに、話を聞くには時に我慢が要りますね。
ちゃんと向き合って、話を聞こうというモードに入れば、話に集中して聞けるのですが、やはりそれにはそれ相応のエネルギーがいるので、自然にしているとやはり常に100%意識を振り向けて話を聞くというわけにはいかないです。
学校に行っていない娘の場合、友達とも全然あっていないし、話相手が本当に私一人、あるいは上の子くらいしかいません。
だからこそ聞くのがしんどいのもあるし、でも私が話を聞いてあげなきゃという気持ちもあります。
良い状態で娘の話を聞いてあげるには、自分の器が大きく関係していて、やはり心身の余裕が必要だなと思います。自己犠牲の精神でただ闇雲に聞いてあげるだけだと、ストレスが溜まって却ってよい状態で聞いてあげられなくなります。
話をする時間が少なくなったとしても、一緒にいる時間に向きあっていられるように、娘と離れている時間も必要だし、自分の話を誰かに聞いてもらったり、自分の心が喜ぶことをすることがとても必要だと感じます。
娘の話を100聞いてあげるというのはなかなか難しいですが、7割聞いてない感じさせてしまうのはさすがにどうかと思うので、もう少し割合をあげられるように、心の余裕があれば、仕事している手を止めて、スマホから目を話して、話を聞くようにしようと思いました。またそんな風な余裕が持てるように、自分にも心の栄養になることをしよう、とも思いました。