【愛犬の死んだ日】
2月28日の朝、飼っていた愛犬が息を引き取った。
享年17歳と7ヶ月の大往生だった。
最後は苦しんだり、暴れたりすることなく、眠るように穏やかな最後を迎えた。
老衰だった。
『彼』は今から17年前、我が家にやって来た。
オスの柴犬で、名前は母と妹が『タツヤ』と名付けた。
名前の由来はわからないが、『たっちゃん』の愛称で、家族や町内会の人たちから親しまれていた。
走ることと食べることが大好きで、決して人間に危害を加えることはない温厚な性格をしていたため、躾に手を焼いたことはない。
町内会の人たちからも「優しい犬」と評されるのだから、とても器の大きな犬だったのではないだろうか。
上京していた僕は、帰省する度に彼と会うのがひとつの楽しみでもあった。
僕の許へ駆け寄ってくるその姿を見ると、長距離移動の疲れなどたちまち吹き飛んだものだ。
一緒に住むようになった時にはもう、彼は「認知症」を患っていたが、それでも生活を送る上で大きな問題は抱えていなかった。
今月のある日、彼はとうとう自分の足で立つことが出来なくなった。
家族全員が覚悟を決めた日でもあった。
もはや人間の介助をもってしても歩行は不可能で、力なく床に寝転がってしまう彼の姿は、思わず目を背けてしまうほどに痛々しかった。
だが、この時にはまだ食欲があったため、回復の可能性は僅かにだが残されていた。
それから数日後。
食欲だけは旺盛だった彼が、ついに固形物を一切口にしなくなった。
僕たちが二度目の覚悟を決めた瞬間だった。
何だかんだでまた元気な姿を取り戻すのではないかという微かな希望は、この日で完全に打ち砕かれた。
そして先週。
ついに認知症特有の「夜鳴き」が始まった。
それは今思い返せば、終わりへと向かうカウントダウンが開始された日だったのだろう。
脳を病魔に侵された彼は、きっと今がいつで、そこが何処か、周りにいるのが誰かもわからなくなりながら、「吠える」という行為を制御することも叶わず深夜に鳴き続けた。
処方された睡眠薬も効果が無く、打つ手なしの状況だった。
それから数日が経過した昨夜。
彼の鳴き声から覇気が消えた。
もう、死神の鎌は彼のすぐそこまで迫っていたのだろう。
母が何かを察知して、彼の真横で就寝していた。
冒頭の通り、今日、彼は静かに息を引き取っていた。
彼の亡骸を前にして、不思議と涙はこぼれなかった。
死期の接近を感じてから、僕が願っていたことはたったひとつ。
「どうか苦しむのだけはやめてくれ」
その願いが無事に通じたのが、せめてもの救いだった。
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お前との思い出はたくさんある。
走るのが大好きだったお前と、散歩の終わりはお互いに全力疾走で家まで走ったな。
陸上部だった僕でも、お前の俊足には到底敵わなかった。
妙に賢かったお前は、ドアノブを自力で下ろして部屋へ勝手に侵入してきたこともあったな。
階段も器用に昇り降りしていて、あれには正直驚いたよ。
妹からもらった高級メロンを片手にぼーっとテレビを眺めていたら、横から丸ごと搔っ攫っていったこともあったな。
あれは普通にしてやられたよ。
美味かったか? ちゃんと堪能したのなら許す。
そういえば僕と同じで蕎麦が好きだったな。
お前に小麦粉を与えられないから、買うのは必然的に十割そばだったよな。
目を細めて味わっていたお前の顔は本当に愛らしくて、「わんこそば」なんていって二人で仲良くかっ食らったな。
お前との選別には十割そばを入れといたから、いつか家の誰かと再会したら茹でてもらうんだな。
あぁ、どうも駄目だな。
お前との思い出を振り返る時、思い浮かぶのはお前が元気だった頃のことばっかりだ。
でも、どうか許して欲しい。
それがきっと人間の弱さだ。
その証拠に、お前の姿を浮かべるとどうも視界が滲んできてしまう。
まだ家に安置されているお前の亡骸に「行ってきます」と「ただいま」を言ってしまう。
返事なんて返ってくるわけが無いのに、どうしてもお前の頭を撫でてしまう。
さあ、そろそろ本当にお別れの時間だ。
美しい引き際を見せたお前に対して、いつまでも過去を振り返ってばかりじゃお前に失礼だよな。
しかし、これだけは言わせて欲しい。
認知症になっても決して飼い主を噛んだりしなかったお前は、間違いなく真の漢だった。
お前が最後まで貫き通した矜持は、飼い主の僕にとっての誇りだ。
いつか、そっちで再会することがあったなら、覚えていたらでいい。
その時はどうか、また、僕の許まで駆け寄ってくれ。
それを、僕が死んだ時の楽しみにしておこうと思う。
それまで、達者でな。
『たっちゃん』