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生きるということは無駄を楽しむということ

最近よく耳にするタイパという言葉を知っているだろうか?私はこの言葉を知ったのはつい最近だ。

これはタイムパーフォーマンスの略称で意味はその名が示す通り費やした時間と得られた満足度の相対性を意味する。

特に最近の若者はこれを意識している人が多いようだ。それは彼らの間でYouTubeのショート動画、TikTok、インスタのリール動画など、短時間で要点だけをまとめたコンパクトな動画が流行っているのを見れば一目瞭然だろう。

これに限らず

音楽においては最近の再生機器で早送りやスワイプ機能があるせいで、イントロを短くして早めにサビに移行するような感じの曲が増えているようだし

映画においてはファスト映画という映画のあらすじをまとめた動画がよく見られてるようだ。

また、読書においても短時間で本を読む技術とされる速読はよく知られている。

このように各分野やコンテンツにおいて速くてコンパクトにまとまったものがより求められていっているように思える。

私はこの風潮にとても疑問を感じている。生きるということは過程を楽しむことに本質があると思っているからだ。

しかし、現代においてこのような生きることの本質をどんどん見失っている人が増えているように思う。

その証拠に最近では「趣味は?」と聞かれたらしっかりと答えられない人が多いように感じる。

音楽聴く、動画を見るなど当たり障りない答えを言う人がとにかく多い。しかも、それも周りに合わせて言っているだけで本当に好きなのかと言われたら違うだろう。

そもそも自分が何が好きなのか分からないという人の話もよく聞く。

それは道草を楽しむことを忘れて結果だけを求め生き続けてしまったからなのではないかと思う。

例えば、速読という技術には読書で知識を得ることの目的しか見ておらず、純粋に読書を楽しむことは含まれていない。

ファスト映画も映画の内容を理解することだけを目的とされており、映画を見ることで感動したり笑ったりと感性を楽しむことへの意識がない。

私はよく感性が素晴らしいと言われる。おそらくそれは無駄なことを真剣に楽しんでいるからなのだと思う。

例えば、私は電車を使わずに目的地までわざわざ歩いたりすることがよくある。この場合大抵の人は早く目的地に着きたいからという理由で電車を使うだろう。

しかし、私はその目的地までにある面白そうなもの探しながら歩くことに価値を見出しているのだ。

大抵の人は気にも止めてないが、意識して道を歩くだけでもいろんな情報が入ってくる。

鳥のさえずりが聞こえたり、カマキリが道路を歩いてたり、歩いている道が昔からある旧道であることを示す建物など、例を挙げるならキリがない。

私はそういう訳の分からない無駄なことを真剣に楽しみながら道を歩いている。どんな場所を歩いていてもとても楽しいのだ。

そして私は生きるということ自体が究極の道草であり無駄なことだなと思う。

周りを見渡すと皆とにかく効率的に生きようとしている。ハッキリ言うが、そんなに効率的に生きたいならとっとと死ねばいいのではとも思ってしまう。

そもそも生きるということ自体が無駄だ。何故なら何かを食べたり、息を吸ったり、お金を使ったり、熱いと感じるなど、生きている上で必要とされる行動はとても非効率だからだ。

私は皆本当は究極の無駄を楽しむためにこの場所に生まれて来ている気がするのだ。

そんな場所で効率的に生きることを求めるなんて本当の意味での非効率であるし無駄だと思う。

このnoteがちょっとでも心に来たら僕のように是非道草を楽しんで真剣に無駄なことを楽しんで欲しい。

何かをする時にこんなことやって何かの役に立つのかなど考えなくていい。

役に立つという結果よりも何かをするという過程に意識を持っていって欲しい。

無駄なことなんてないし、それが後々役立つかもしれない。そして、その過程を楽しむということが人生を生きるということを忘れないで欲しい。





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