【とうもろこしの空想】背中に扉がある男①
僕の背中には小さな扉がある。
いつからあるのか、気づいたときには、手のひらサイズの小さな扉があった。
「お客さん、うちは刺青禁止です」
僕は何年か前に公衆浴場でそう声をかけられた。意味がわからなかったが、鏡に映った背中には確かに扉があった。あれから公衆浴場には行っていない。最初こそ驚いたが、そのうち気にしなくなった。背中にあるものだから、つい忘れてしまう。思い出しても変わった痣があるぐらいに思っていた。
ある日、僕の背中の扉が開いた。
背中にあるので、もちろん目で見たわけではない。ただ、あっ!扉が開いた!とわかったのだ。扉は内側から開いた。そして、開いた扉の中から声がした。
「ここはどこだろう。この布が邪魔で、前が見えないぞ。何か切るものがあったかなぁ」
僕は慌てた。こんな街中で服を切られたら困ったことになる。
僕は急いでトイレに駈込み服を脱いだ。すると扉からまた声が聞こえた。
「おかしいなぁ。いつもの場所じゃない」
扉から出るのか出ないのか、おかしいな、おかしいなと繰り返すばかりだ。
「すいません。出るなら早く出てもらえませんか」
僕はたまりかねて、そう声をかけた。
すると、おぉっと声がした。そして、何かが肩へ登ってきて、耳元で声がした。
「あぁ、巨人の背中だったか」
僕の背中には小さな扉がある。いつ開くかわからない扉があるものだから、これはとても普通の生活はできないなぁと思った。そう思って僕は少しほっとした。
そして僕は仕事を辞めてアパートも引き払った。もともと荷物が少なかったこともあり、絶対に必要なものだけを残していたら、結局トランク1つにまとまってしまった。
「さて、どこに行こうか?」
実家は既に敷居の高い場所になってしまったし、背中の扉を相談できるほど気の置けない友人もいない。さて、これは自由だろうか不自由だろうか?
あれから小さい人がちょくちょく尋ねてくるようになった。扉が開く感覚にもすっかり慣れてしまった。小さい人は扉を開くと服を登って僕の肩にちょこんと座る。不思議と僕以外の目には小さな人が映らないようで、1度も指摘される事はなかった。それは相手に気を使われているのかもしれないし、僕が幻覚を見ているのかもしれない。ただ僕には確かに小さい人が見えるのだ。
「さぁ、行こうか」
行ったのは、いつものように、僕の肩に座った小さな人だった。
僕は最初海に行こうと思っていた。すると小さい人が言った。
「やめておけ。海に行くと打ち上げられた人魚に遭遇することがある。出会ってしまったら大変なことになる」
そうか、それなら山に行こうと思った。すると小さい人が言った。
「やめておけ山には人に紛れて、生きることもできない。鬼が潜んでいる。出会ってしまったら大変なことになる」
そうか。それなら別の街に行ってみようと思った。すると小さい人が行った。
「やめておけ扉には縄張りがある。うっかり他の扉の縄張りに足を踏み入れたら大変なことになる」
僕は困ってしまった。それではどこにも行けないことになる。
「困ることがない。私が良い場所を知っている」
小さな人がそう言った。僕は小さい人に言われるまま電車とバスを乗りついで、10時間かけてたどり着いた場所は真っ暗でよく見えなかった。ただ誰も住んでいない廃墟だということはわかった。小さい人はこの廃墟の屋根の下で朝を待つと言う。野宿もキャンプもしたことがないが、不思議と嫌ではなかったし、怖いとも思わなかった。むしろ生まれて初めてかもしれないワクワクとした気持ちでいっぱいだった。
僕は何かの気配で目を覚ました。日の出前の藍色の空を、バックにひょろりと、背の高い人影が目の前にあった。
「箱が帰ってきた」
人影が言った。ひょろりと背の高い人影は、自分よりずっと年上の男に見えた。こちらを見ているけれど、見ていない。焦点の合わない目を少し不気味に感じた。年上の男はぶつぶつと何かをつぶやきながら、この廃墟の鍵を開け、さっさと中に入っていった。
「さあ、行こう」
小さな人に言われて、僕も建物の中に入っていった。目が慣れてくると、そこが普通の家ではなくお店だとわかった。カウンターにテーブル、たくさんの椅子。バーや喫茶店といった雰囲気に見える。
「あれが鬼さ。人に紛れて、生きることができる知性がある」
小さい人が言った。鬼と言われても、普通の人間にしか見えない。
その時、電気がついた。オレンジ色のランプの様な照明が室内を照らした。ここはバーだったようだ。洋酒の瓶とグラスが棚に並んでいる。
「私はタツオ、ここの管理をしている」
タツオはそう言って鍵の束を差し出した。
ひょろりと背の高い男は、長くて白い髪を後で1つに束ね、銀縁の丸い眼鏡をかけていた。年上だと思ったが、肌艶が良くもしかしたら年下かもしれないと思った。
「僕は、ここで何をすればいいんだ?」
「このバーを再開させるんだよ。君ならできるさ。」
その根拠は?ただ、自分がバーを経営するなんて考えたこともなかったので思わず笑ってしまた。しかし、仕事も辞めて家もない。これからどうにかして生きていかなければならない。とりあえず目の前にやれることがあるならやってみよう。そう思った。
まずは廃墟の掃除を始めた。ホウキを手に、埃をかき集める。小さな人も僕の肩から降りて、軽やかに動き回り、棚に溜まった埃を払い落としてくれる。タツオはカウターの酒瓶を一つ一つ確認をしている。無言で作業を続けたが、不思議と気持ちのいい時間だった。
作業をしているうちに、僕は少しずつこの場所に愛着を感じ始めた。埃を払ってみると、その下からは飴色の床が現れた。カウンター、テーブル、椅子どれも丁寧に使い込まれてきたことがわかるものばかりだ。
掃除が一段落すると、僕はカウンターに座り、手を止めた。
「こんな場所に誰が来るんだろう」
周りに民家はなく、かすかな川のせせらぎと、葉の擦れる音だけが聞こえる。肩にちょこんと乗った小さな人が心配するなと言うよう微笑んでいた。
「箱がある限り、客は来る」
タツオが言った。
「箱とは何ですか?」
「お前が持っている」
それはすぐに扉のことだとピンときた。
いろいろ疑問は浮かぶけれど、そう言うものだと飲み込むことにした。
1日がかりでようやくお店の部分だけの掃除が終わった。まだ裏の厨房や2階の生活スペースの掃除がある。小さな人は1度帰ると言って、扉からいつものようにどこかへ帰っていった。
どこからか、タツオが弁当を持って来て置いて帰って行った。今晩はひとりきりか。そう思ったその時、背中の扉が開いた。ただ、いつもと様子が違う。小さな人ではない、もっと大きな者が出て来ようとしている。
ビリリとTシャツが破れる音がした。
「「え!」」
振り返ると床に髪の長い女が座りこんでいた。
つづく
誰に見せるわけでもなく、スマホのメモに放置していました。noteを始めたのをきっかけに、続きを書いてみたいと思います。
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