見出し画像

自分と他者との摺り合わせ。

自分は、他の誰とも違う人。
他の誰かも、その人以外の他者とは違う人。

みんなが、それぞれ自分という人の人生を生きている。

自分ではない他の人の人生は、生きることはできない。


自分の考えと全く同じ考えをする人はいない。

だから、自分の苦しみや哀しみを分かってもらえないと孤独感を味わう。


他の人も、きっと同じように思う時があるはず。

「誰も自分のことなんか分からないよ」と。



みんながそれぞれ違う悩みや感じ方をしながらも、それぞれ同じ瞬間を生きている訳では無いので、理解してくれる人が、理解してほしいときに側にいてくれない時がある。

そんなとき、人は孤独感に苛まれる。



なるべく、そうなりたくなくて、
優しい誰かが、本当に理解しているかどうかは別にしても、
「分かるよ、辛いよね。」と
言ってくれることもあるかもしれない。

また、他の人が悩んでいるときに、共感してくれた相手に対してではなくても、自分も同じこと〜共感を返すこと〜もあるかもしれない。


そういうことで、人と人は、別の生き方をしていて、考え方が違っていたとしても、支え合うこともあるでしょう。



自分が辛い時に、他人を助ける余裕すら持てない時もあるかもしれないし、また共感してくれる人がいない時もあるでしょう。


孤独感を感じているのに、尚更辛いけれど。

誰にも分かってもらえなくて、辛さに拍車がかかっていたとしても。


そういう痛みの経験によって、自分も分かってもらいたいという思いから、優しく人に共感してあげられることができたなら、
きっと自分が辛いときに、そのことが違う他者から返ってくるかもしれません。


自分は自分であって、他の人とは違うかもしれないけれど。

人に対して共感してあげることができたなら、きっと誰か他の人から、自分が辛いときに『共感』という優しさが戻ってくるかもしれません。



他人がどれほど傷ついているのか、自分とは違うところで傷つきやすい人なのかは、誰にも言わない限り、見ただけでは計り知れないものだと思います。

でも、明らかに誰かが傷ついている姿を見かけたら、寄り添ってあげられる人になれたらいいなと思います。



自分が他人を傷つけてしまうことも、沢山あったと思います。

それは、他のことで傷ついていたから人に対して優しくない言葉をかけたかもしれないし、傷つくとは思わずに口にしてしまったこともあるかもしれません。



自分も傷つくけれど、自分も本意かどうかは別にしても人を傷つけることもあるというのが、人と人との間で起きる出来事ではないかと思います。

なので、自分ができるときには、
人に共感したり、優しくしてあげられたらいいなと思います。

 

人は、人生を生きてることで、失敗を通して、まなびというか、課題があり、それを乗り越えるのが難しくあっても、もがきながら、同じ時を生きている仲間、他者と寄り添うことで、少しずつであっても傷を癒しながら、人生を歩んでいきたいと思います。










いいなと思ったら応援しよう!

さゆゆ
よろしければサポートお願いいたします。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!